人間について

人間の業・・

ちょっと前に同じようなテーマで記事を書いたけど僕も含めて、生きているということ自体誰か、或いは、何かの生き物の犠牲の上に生きている良い人間(少なくとも悪人ではないと思いながら)生きている全ての人間が何かの生き物の犠牲の上に生きているそれが人間の業というものだ・・それに関して面白い動画を見つけたおそらくこの人間の業というものを非常に分かり易く、アニメにしたブラックユーモア的動画だと思う動画のタイトルは・・「MAN」つまり「人間」人間はどんなに素晴らしいと言われる人であっても、何らかの業(ごう)を背負っているのではないかだとしたら、自分がどんなに成功したとしても、このような業(ごう)を背負っていることを人間は生きている限り、絶対に忘れてはいけないのではないかと思うただ、生きているだけでも何かの生命を食らって生きてしか生きていけないのがそして人間の限りなき欲望が人間以外の全ての命を犠牲にしてしまっている悲しいかな、愚かなのが人間だ。もう一つ動画を紹介・・タイトルは・・「The Scarecrow」つまり「案山子」案山子という人間以外のモノ?から客観的に人間社会の愚かさ描いた動画だと思う
人間について

「生きられるか」なんて心配なんてしていない

昨日、書いた記事に「生きられるか」という心配より、「生きるんだ」という気力が大事というようなコメントをいただいたけど、実は「生きられるか」なんて心配なんてしていない。「生きるんだ」という気力なんかも僕には必要は全く必要ない正直言ってなんだかもう生きていたくないと僕は思っている。こんな体でも、毎日食いしばって必死になって働いてそれでも収入が少ないと、文句を言われるなんだかもう疲れたなあいっそうのこと死んでしまって無になりたい脳が死んでしまえば、喜びも、悲しみも、そして怒りも、人を恨む気持ちもな~んにもなくなるな~んにもなくなってしまえば死んでしまえば何も感じないし、何も思わないそんな風になってみたいなぁ楽でもなく苦でもなくな~んにもないそれこそこの宇宙の始まりの前のように・・ぼくの命が生まれる前のように・・
人間について

僕はあと1年生きていられるかな?

脳出血で倒れた時、ぼくはもやもや病という基礎疾患のために脳の血管が異常に細いため、それが破れて脳出血をした当時、もやもや病の出血発症についていろいろな情報を集めていたら成人以上の人って出血発症の人は高い確率で再出血を起こすという情報を得た。そして最出血をした際には非常に重篤になるということだった。つまりは死ぬかもしれないという意味である。そしてその最終決を起こす確率は45歳から55歳までの間が最も確率が高いという。それは出血箇所をした時の状況やその後の生活などの影響とはほとんど相関性がなく相関性があるのは単純に年齢と相関性があるということだった。つまりはどんなに養生していたとしても45歳から55歳までの間がもっとも、再出血の確率が高いということを意味する。つまりは45歳から55歳までの間に僕が最も死ぬ確率が高いということだった。そして45歳で脳出血で僕は、この先10年間生きていられるのかなぁなどと考えていた。そして今僕はあと半月ほどで 54歳になる55歳までにあと1年だ。あと1年だけ、何事もなく生きられていたらもう少し長く生きられるかもしれない、などと思っているそれにしても去年の秋には...
人間について

ハーズバーグの動機付け衛生理論?によると・・

ハーズバーグの動機付け衛生理論なという理論がある人事の勉強をした事がある人なら知っていると思うけど、人間(社員)を動機付けする(モチベーションを上げる).ためには、まずは現状が「不満足な状態」ならば、まずはその不満足な状態を解消してあげなきゃいけないそして不満足な状態で亡くなった状態において初めて動機付けが効く(いわゆるモチベーションを上げるための動機付けのような 手段が効く)ようになるというような理論だったと思う。うまく説明ができなけど、この理論を今の僕に当てはめてみると、、、僕の場合は簡単はモチベーションを上げる事ができないという事になるのだろうなぜなら、僕は半身不随とその疼痛に常時苦しんでいるから、常時、「不満足な状態」にいることなる(もちろん健常者と比較して・・)そのため、僕を健常者のようにモチベーションを上げさせるためには、まずは現状の半身不随という不満足な状態を解消させるだけの気持ちの高揚をさせてあげなきゃいけないという事になるのだろうかそうしなければ、普通のモチベーションアップ策では効果が出ないと思う。確かに僕がやる気になるためには、普通の2倍以上のモチベーション策が必要...