恨みとは怖いものだ。

週末から報道されている富岡八幡宮

 

殺傷事件の報道を見ていると、

 

姉弟の怨恨とは言え、恐ろしいものだ。
 

仏教などでは怒りや恨みというものは

 

「猛毒」であると言っているけれど

 

実際本当に恐ろしいものだと

 

今回の事件で気付かされた感じがする。

 

つい最近、復讐についての記事を書いたけど

 

恨みというものは、復讐では何の解決もしないというけれど

 

(犯人は自殺してしまったけど)もし生きていたら

 

姉を殺したことで恨みは晴れただろうか?

 

などと複雑な気持ちになっている

 

話は変わるけれども、

 

野村沙知代さんが先週末に急死した

 

彼女も生前はいろんな人から恨みを買っていたのではないだろうか。
 

確かに野村監督にとっては大切な妻だった事はわかるけど

 

客観的に見て、周囲には相当迷惑をかけていた

 

自分勝手な女性だったと少なくともぼくは思う

 

そしてそれでも生前にその恨みを買っていたことに対して

 

富岡八幡宮のような事件は起こらずに

 

一人亡くなっていった。

 

よく「天罰が下る」と言うような人もいるけれど

 

自分勝手で周りに迷惑をかけていたような生き方をしても

 

「天罰が下る」などといったようなことはなく

 

最後まで自分勝手に生きて亡くなっていく人は多いと思う

 

僕の周囲にも周りに迷惑をかけ、勝手気ままに生きて

 

いわゆる天寿を全うするような人もいた。

 

今回の富岡八幡宮の殺人事件の犯人は

 

あらかじめ手紙で「死んでも(恨み続け)祟り続ける」 。
 

などと書いていたようだけれど

 

そんなことから、人間の「恨み」というものは

 

一体何なんだろう、などと

 

不思議に感じていたりする

 

人間以外の動物に「恨み」といったような感情はあるのだろうか? 

 

 

 

 

 

 

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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