その中で日本はアメリカ型の物質的豊かさを求めてきた結果、夢や希望を持つことが
できない世界にしてしまった。また高福祉社会のデンマークでも必ずしも幸せではない。
物質的な福祉の仕組みでは人が必ずしも幸せになれない。というようなことを言っていたのですが
僕はやはり夢や希望は「世の中の状態」のことではなく「心の状態」のことだと信じています。
これは障害を負ってからこの2年間の中で私がたどり着いた一つの結果です。
つまり「幸せ」も「閉塞感」も「心の状態」であり「世の中の状態」や「世の中の仕組み」ではない
と思う。
ではどうすればよいのかということになりますが、
「心がしっかりしている人」はたとえ孤独でも幸せをつかむこともできるし、
どんな社会でもどんなに荒廃した世の中でも夢や希望を待つことができると考えています。
私は戦後世代で戦争のことは分かりませんが、戦後の焼け野原という悲惨な世の中で
日本人は何故夢や希望を待ち続け発展できたのか。
それは戦争では敗戦しましたが当時の日本人は「心」まで負けて荒んでしまって
いなかったからだと思います。
私は個人的にいま必要なのはむしろ物質的豊かさをこれ以上追い求めるのではなく、
「心」をすばらしいものにすることが最も重要なことではないかと感じています。
それは「教育」かと言われれと
「教育」という言葉もしっくりきません。
あえて言葉にするなら「道徳」のようなものだと思っています。
そのヒントは「論語」や日本の武士道にあるのではないかと思っています。
といいますのは脳出血で障害を負って、自暴自棄になっていた状態から
今、持ち方ができている希望や志を持とうするために、非常に精神的な支え
になったのが「論語」であり、「葉隠武士道」でした。
もちろん「論語」のすべてを読みその全てを理解ができたわけではありませんが
何回も何回も読みました。そこから「希望とは、幸せとは」何かを自分に問いつづけました。
そして今、大きな夢と志を持つことができています。
その意味で道徳いう言葉が適切なのかどうか分かりませんが「論語」などに出てくる内容
で人々の心を鍛えることが解決策の一つではないかと考えています。
そこでメディア関係者に私が言いたいのは「今の日本は閉そく感で覆われている社会」
という言葉を何度も繰り返す繰り返さないで欲しいと思うのです。
「閉塞感」も心の状態です。社会の状態でも、世の中の状態でもないと思います。
メディアが「今の日本は閉塞感で覆われている」という言葉を繰り返すが繰り返すから
国民全体の心が閉塞感に覆われてしまったのではないかと感じる。
どんな人間もいつもいろいろなものと戦っていると思います。
闘う「敵」は人であったり、
病気であったり、
自然の驚異であったり、
不景気という経済であったり・・
でも忘れてはいけないのは戦う相手は必ずしも憎むべき敵ではないと考えることだと思う。戦う相手があるからごそ自分を磨く事ができるのだ。
本当の敵は自らの心の中に存在すると思う。ネガティブな自分の心こそ憎み、闘うべき相手ではないだろうか。
だからこそ、心の閉塞感を煽るような報道や学校教育はいけないと思う
今の大人は子供たちにもそんな閉塞感を煽るような教育をしてしまってはいないだろうか。
少なくとも僕は息子に、これからの未来がどんな苦境になろうとも「折れない心」を
持ってもらうように心がけたいと思っている。難しいことだろうけど・・
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。