最もたるものが身内の死
身内の喪失である
財産にしても同じ、、
築きあげた、或いはコツコツと積み立てた財産、つまりお金・・
を失うと苦しむ・・
だからお金持ちほどその財産が目減りすることを極端に恐れる
だから不労所得?として投資に走るのだと思う
仕事なんかにおいても、
そこで得た地位や
舞い込んできたチャンスや大きな案件など
掴み取った優良顧客・・等々
それらを予期しないトラブ等で失うと
その(喪失感)のショックで苦しむ。
なぜに人はこれほどまでに「喪失」に苦しみ
「喪失」を恐れるのだろうか
僕自身、
脳出血で身体機能を失い、その影響で会社も失い、仕事も失い
その喪失感に激しく苦しんだ。。
なぜに人はこれほどまでに「喪失」に苦しみ
「喪失」を恐れるのだろうか
人にとっての最大の喪失の恐れは「死」ではないだろうか
「死」は自分自身の喪失だから・・
でも最近思うのだ・・・
そもそも「一度所有する」から
「喪失」するのではないか
最初から何もなければ
「喪失」するものはないではないか
だとしたら
「所有」さえしなければ
「喪失」の苦しみなど味わうこともない
この世の形あるものはいつかは消滅する
この世は諸行無常だから
地位とか名誉もいつかは変化し無くす・・
人間もいつかは老い、病にかかり死ぬ
つまり生まれた瞬間からいつかは自分が消滅する運命にあり
だから、「自分の喪失=死」の恐怖を感じ続けなければならない
でも、生まれてこなければ
そんな恐怖を感じる必要はない
でも、そもそも
生まれる前、
自分は存在しなかったではないか
存在した瞬間、
自分が自分を所有?してしまい
それを喪失することを恐れることになる。。
自分が存在している?
自分が自分を所有している?
なんとおこがましい・・
そもそも「自分」などというものは存在しないかもしれない
自分の心が作り上げた幻覚のようなものに過ぎない
そこにこだわるから、(実際は存在しないかもしれない)自分の存在に
こだわり、自尊心などというくだらない心を持つから
失うことを恐れる。
例えば、自分を脅かす何らか(スポーツでも事業でも何で良いけど)
の競合が現れると自分が負けそれまで築きあげてきたものを
喪失するのではないかと恐れるあまり、
相手を攻撃してしまう。。
それも「自分の喪失」への恐怖のようなものだと思う
結局その恐怖から起こる「怒り」や「悲しみ」などのネガティブな
感情は何の実態もなく、誰にも見えないし
存在しているかどうかすらわからなでがないか。
結局、人の心が生む幻覚のようなものに
皆、恐れ、悲しみ、怒り、憎み、失意を持ってしまい
何も生産的にならない行動しかできなくなる
誰もも元々「自分のモノ」なんて無いのではないかもしれないのに・・
地位も名誉も財産も・・
そして自分自身さえも「自分のもの」ではないかもしれないのに
それらが「自分のもの」だと思い込み、
奪われ、喪失すことを恐れ、
その挙句、他人を攻撃し、傷付け合う
人間って・・
なんて我がままで
愚かなんだろう
所有もしていないものを
喪失すると恐れるなんて
つまらないではないか
少なくとも
1963年1月1日22時以前
僕は存在していなかったし
あったはずと思っていた
元気な左半身さえ存在していなかった
そして僕の心さえも・・
そう思えば、今半身不随で以前より
不自由で苦しいと
(以前といってもせいぜい1963年から、たかが50年それ以前はない)
悩む自分が馬鹿らしくなったりするのだ。。
投稿者プロフィール

- 代表
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。