僕は関西人だからこう(アホ)になるけど
関東なら
器用貧乏、隣の馬鹿に使われる・・
なのかな・・
いずれにしても
この「器用貧乏、隣のアホに使われる」という
言葉を、僕は耳にたこができるくらいから聞かされたものだ
なぜかというと
父は日頃から
「自分より有能な人間を動かせるようにならなければ大成はしない」
という事を僕にっ伝えたいという意図で言っていた
簡単な話、
自分のができない事をそれができる有能な人を
(悪く言うと)おだて倒して、
その気にさせ、自分の代わりにやらせてしまえということだ
と・・
父は大阪で丁稚奉公してから、自ら縫製業を営んでいた
そんな父は中卒であるがゆえに、
自分の知識の無さにかなりのコンプレックスを持っていたと思う。
それゆえ、自分より有能な人間を追い越せない
そんな歯がゆさから本能的に自分ができないなら、
自分より有能な人間にやらせる(やってもらうしかない)
という術を父なりに考えていたのだろう
だから、
(経営者或いは管理者は)
自分より有能な人間を動かせるようにならなければ、
その会社や組織は、その人の器以上には大きくはなれない
そのためには自分より有能な人間をおだて倒して、、、
またやってもらったときには、
「ありがとう!助かった!あんたが居てくれたお蔭や!」
と感謝しまくれ、そして部下の仕事が例え自分がやるよりも結果が悪くても
そこで怒ってはいけない。結果が自分の思うようなものでなくとも
「自分の代わりやってくれた行為」に対して感謝しなさい(ありがとうと言いなさい)・・と
そうすれば自分の器以上に大きくなれる、逆に自分が一番できると威張っている間は
その会社はそれ以上成長しないだよ・・と
そんな父は
あの天才喜劇役者藤山寛美の舞台の中の「アホ役」の寸劇が大好きだった
藤山寛美がアホ役で有能の出偉そうな人を「すんません、すんません」
と頭を下げまくりながら、
結局、有能な人間役が「お前には任せらへん!俺がやる!」と言わせ
やらせてしまったとき、後ろを向いた藤山寛美が舌を出す
というような場面がに好きだった。
それもこれも今思うと、父のコンプレックスによるものだったのだろう
それを観ながら、僕に
「ああうのが実は大切やねんで!」
「人に頭を下げてでも人にやらせた方が勝ちや」
などともよく言っていた
振り返って僕の人生・・
幼少の頃はひどく不器用な人間だった。
泣き虫で、走っても足も遅く、いわゆる「どんくさい奴」だった
でも思春期の頃(中学くらい)から
そんな自分がイヤで(身体的にも頭脳的にも)必死で能力を高めようと頑張った
その結果、運動では水泳で、県下で3位に入れるくらいまでになった
体力も人一倍ついた。そうなると不思議なもので、
ひとつ自分に自信がつくと学業の方まで伸びていった
そして、社会人になった頃にはいつの間にか、
とつもなく不器用な人間だった僕が「器用な人間」の部類に入っていたと思う
増してや経営コンサルティング会社になんか入ったものだから
更にはIT系の会社なんかにも勤めたものだから
事務仕事、PC操作、荷物の梱包から荷物運びまで
たいがいの仕事は何でも自分できるようになっていた
そうなると案の定・・
いつもまにか僕自身が「器用貧乏」になっていた
自分で会社を興したはいいけど、
従業員に仕事を任せられない
たとえ任せても、自分の思っていた結果と違うから気に入らない
気に入らないから僕がやり直す。
そんなことをするとやった本人(従業員)は自尊心を傷つけられるもんだから
おのずと士気が低下して、会社全体の仕事が進まない
進まないから、結局自分が手を出してしまう
そんな悪循環・・
社長の(優れた)技量だけで興したような中小零細企業によくあることだ・・
結局、仕事を全て自分の肩で背負ってしまって
自分の身体を酷使することになっていた
挙句の果てに脳出血を起こして倒れてしまった・・
そして今、僕は多くの身体機能を失い、日常生活でさえ、
人に頼まなければできないことだらけになってしまった
封筒一つ封をあけるのでさえ、自分ではなかなかできないから
息子や家内に頼まなければならない毎日だ
そんな簡単なことをやってもらうだけで
わざわざ呼びつけてやってもらう・・・
コレってやる方も面倒だけれど、
頼む方はもっと気を使うものだ
そんなとき、父が頻繁に言っていた
「器用貧乏、隣のアホに使われる」
という言葉を思い出しながら、できるだけ相手に
気持ち良く「やってもらう」ために
屈辱感を感じる感情を押し殺して
「すんません すんません ありがとう、ありがとう」
の連発を心がけようとしている今の自分がいる・・(^_^;)
こんな状況って、我ながら自分の人生って皮肉だと思う
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。