障害は個性か?


僕は以前、ある人から

「岡下さんのことを『障害者』だとは思っていません。個性だと思っています」

と言われたことがある

その人なりの私への心配りだったのだろう

けど、

どうも「障害=個性」という部分が引っかかった・・

正直、

「障害は個性というようなそんな甘いものだろうか」

「障害なんてそんな甘いものじゃない」

というのが僕の本音だった・・

それで

ちょっとネットで調べたら、

どうやら大ベストセラーになった乙武さんの著書「五体不満足」が

その語源らしいことがわかった。

そこでもっとよく調べてみると、、

多くの方が「障害は個性」=乙武氏の言葉と思っているように感じますが、

後のインタビューで乙武氏は、

「障害は個性などとは言っていない、この言葉が一人歩きしている」

と発言されています。

本の帯や宣伝文句に「障害を個性としてとらえ・・・」とのような広告文があり、

それにより障害者本人である著者の乙武氏の言葉として広まってしまったようなのだ

ならば納得できる・・

個性とは・・僕なりの解釈では

個性とは「自分らしさ」だと思っている

僕の「自分らしさ」

それはたぶん障害者になる前の自分に本当の「自分らしさ」があったように思う

そして今、その「自分らしさ」を発揮しようにもそれを邪魔しているのが

左半身不随という正に障害なのだ!

障害は「自分らしさ」の表現さえもさせてくれない

障害は断じて「個性」なんかではない

そんな甘いものではない

本の帯や宣伝文句に「障害を個性としてとらえ・・・」とのような広告文を書いた

コピーライターは明らかに乙武氏の障害を「美談」にしようとしているふしがあると思う

障害を負って生きることは決して「美談」になんかならないと僕は思う

障害者が主人公のドラマなどは、

どれも努力、克服、感動、涙、

それでも生きる的な脚色が加えられるため、

僕が見るとまったく感動しない

なぜなら嘘っぽくて現実を直視しているとは思えないからだ

この様な番組が高視聴率を稼ぐ反面、本当の障害を扱ったNHKなどの

ドキュメンタリー番組などは福祉関係者や当事者で無ければ見ない

多くの人がドラマに感動を求めるけど現実は見ない証拠だと思う

障害者は努力し明るく感動的に生きていないと一人前の障害者ではない

との風潮が少なからずあるように感じる

このブログで以前、本当の気持ち(苦しい、辛い、痛い、悲しいなど)を書くと

「ウザい」というコメントが来たものだ

それからというもの僕はこのブログにさえ

「本当の気持ち」をそのまま書かないようにしている

なぜなら、障害者の本心の葛藤を書いたところで

誰にも分かってもらえるわけがないし、

読者がそういうことを求めているのではないことが分っているから・・

話は戻って・・

障害は人が生きるためんの圧倒的な「障害」であって断じて「個性」なんかではない

苦しくて、苦しくて、辛くて、辛くて、死にたくて、死にたくて

どうにもならないくらい泣き叫びたいほど辛いのが障害という現実だ

でもそんな気持ちをストレートには誰にも言わないし、書かない

なぜなら「無駄な事」だと分かっているから・

ほとんどの障害者の方はそうだと思う

僕にとって左半身麻痺は・・

例えば左側に置いてあるものを取ろうとするとき

ただそれだけの事が

とてつもなく高い、永遠に乗り超える事がができない「壁」であり

辛くて、

痛くて、

歯がゆくて、

悲しくて、

屈辱的で

悔しい

そんな正に生きるための障害でしかないのだ

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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