相手を許すということは、相手を認識することだ。
相手がなぜ「許すことのできない」行動をしたのかを認識することだ。
相手は相手なりの事情があったはずだ。
それをきちんと認識することで許すことができるのだ。
自分の人生についても同じ
中途障害になってしまった自分の人生を許せないというのは
人間の人生に対する僕の認識の甘さだ。
人間は誰しも、病に患い、老い、死を迎える。
僕も人間として当たり前に遭遇する病の一つに患っただけなのだ。
人によって人生はいろいろある。
この世界には僕よりもずっとずっと辛い思いをしている人間だってたくさんいる
もっと痛みに耐えている人間だってたくさにるはずだ。
人間の人生とこういうものだ
そういう理解をすることで自分の人生を受け止めることができるような気がする。
そう、僕はこういう人生なだけなのだ。
ただそれだけ・・
理解してくれないと感じる周りの人の無理解への憤りだって
良く考えれば、理解できなくて当たり前・・
病に対する悲しみも人は病になるものさ
そう思うことで少し気が楽になる。
人は誰しも病・老・死から逃れることはできない
なんだか悔しいど、ブッダの言うとおりだよな・・・
そしてこれが僕の人生なのだ。
人生とはこういうものなのだ。
だたそれだけのことさ
もう、自分の人生を許そう
自分の人生を許すことで、ほんの少しだけ強くなれるような気がするから・・
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。