「成功の哲学」
「人生に成功する人間とは」
僕が健常者だったころ購入した本が本棚に並んでいる。
今見てみると、なんとくだらない本なんだと思う。
このアメブロにもそういった
「資本主義的」成功の秘訣などというテーマの記事がたくさん存在する。
内容・・正直言ってくだらない。
「一日5万稼ぐ方法」・・・
「年収1000万稼ぐ方法」・・
というような類のテーマだ。
僕は半身不随という脳卒中後の後遺症になってから
人間は何のために生きているんだろうという事を何度も考えさせられた。
今の僕の生活は朝目が覚めた瞬間から痛みと痺れとの闘いだ。
目が覚める
左半身すべてが痺れている・・
左手。左足も硬直気味で動かない。。
苦しい。。
身体が苦しいから心も萎えてくる。。
心の奥底で「これではイカン!立ち上がれ!」と叫ぶ
そしてようやくベッドから力を振り絞って立ち上がる
やっと立ち上がったと思ったら、次は着替えだ。
左手は感覚がなく動かないので
右手でシャツ取り、「目で確認しながら」左腕をシャツに通す
でも左手は何も感じていない。
後ろ手にシャツを右側に回し、ようやく右腕を袖に通す。
それからやっと右手でボタンを通す。
その間、常時左半身は痺れ、痛みに耐えている。
そんなこんなで着替えに20分近くかかる
痺れや痛みが治まってくるのは起き抜けに飲んだ薬が効いてくる約2時間後だ
それまでは耐える。。
要するに日常活動できるまでに3時間近くかかる
寝起きだけではない。
一日中常時こんな具合である。
僕はいったい何のために生きているのか・・
と思ってしまう。
痛みや痺れ、そして不自由さと闘うために生きているのか・・
こんな僕にとって経済的成功資本主義的成功なんて何の意味もない。
なぜならそんな成功(金儲け)ができたとしても
この闘いの日々が終わるわけではないのだから。。
今こな身体ながらスマートシティ構築や再生可能エネルギー技術導入などという
大きな案件が来ているけれど、
それを成功させることが僕の人生の成功になるのだろうか
そんな疑問も持っている。。
僕は思いっています。たとえそれが「成功」しなくても
その成功を目指して精一杯頑張ったかどうかが、
僕にとっては最も重要だと感じている。
成功・不成功は時の運だ。
僕のようにある日突然半身不随になってしまったら
その「成功」への確率が限りなくゼロになってしまう。
それでも「成功」に向けて今の身体で精一杯努力したかどうかが重要だと思う。
幸い僕は零細企業だったけれど「社長」という地位につくことができた。
でもそれは決して成功でも何でもなかった。
それこそ会社を維持するために寝食を忘れて働いていたと思う
それは決して成功でも何でもなかった。
挙句の果てに脳卒中で障害者・・成功でも何でもない。
もし会社経営が順調に進み、大金を手に入れていたとしても、
それは「人生の成功」にはなっていなかったと思う。
死ぬ前に(たとえ「失敗」に終わっても)こんな身体だったけど精一杯100%頑張ることができた
と思えることこそが「人生の成功」と言えるのではないだろうか
それができればたとえ「資本主義的成功」ができず、いや失敗に終わっても
無念ではあるかもしれないけれど悔いのない人生だったと思えるのではないかと感じている
死の直前に自分の人生は悔いのない人生だったと思えるこそが
人生における本当の意味での成功ではないだろうか。
お金儲けや地位や名誉・・これを得ることが成功と思えるのは
この世の中がたまたま資本主義社会だからに過ぎないのではないか。
この世の中にもし貨幣というものがなければ、何が「成功」になるだろうかと考えたとき
やはり人の役に立つために身を呈して頑張れた人こそが「成功者」なのではないだろうか
僕は今そんな風に感じている。
そんな意味でもこれからも僕はこの身体で精いっぱい、力の限り生きたいと思う
投稿者プロフィール

- 代表
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。