仏教系の教えでは人は煩悩があるから苦しむという。
そこで僕なり考えた。僕はなぜ半身不随の後遺症に苦しんでいるのか
痛みに、しびれに苦しんでいるのか
これは僕に煩悩があるからなのか
だとしたら
煩悩とは人間の持つ生理的欲求に他ならないのではないか
つまり生きるために必要なものを欲求しているだけではないか
痛みを和らげたい・・
快楽を得たい等々・・
地位と名誉欲さえも生きるための生理的欲求ではないか。
なぜなら地位と名誉が得られれば、皆に守られる・・つまり生易いといことにはならないか。
でも
地位と名誉が得られても必ずしも生き易いとは言えない。
身体的痛みや快楽ももしかしたらそうではないか。
痛みが和らげば、快楽が得られれば、絶対に生き延びられるか
そんなことはないと思う。痛みがあっても、快楽がなくても生きる人は生きる。
だとしたら
そんな生理的欲求(煩悩)に振り回される必要はないのではないか。
そんな意味で煩悩を捨てる努力をすることは理にかなっていると感じる。
僕も一生煩悩を捨てる努力を続けていこう。
自分が苦しまないために・・
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。