不安になったとき、周りの状況が違って見えるものだ。
不安が心の中に降り積もった状態のときって
車ひとつ見ても自分にぶつかってくるんじゃないかなどという怖れを抱いたりする。
僕も半身不随になった当初何もできない(実際にはできることはあるのに)自分に不安になり、
目に見える何もかもが恐ろしく見えた時期がある。
なぜだかわからないけど、とてつものなく恐怖感を感じていた。
生きることそのものに恐怖感を感じていたような気がする。
でも
実際には周囲の状況は何も変わっていないのだ。
心が勝手に不安に感じているだけだったのだ。
そう何も変わっていないのだ
変わったように心が感じるからそう見えるだけだったのだ。
本当は不安な状況なんて存在しないのではないか
心が不安になっているから状況が不安に見えるだけだと思う
不安になると焦りの心が出る
焦りは冷静な判断を失わせる
知恵も沸かない。
心の負のスパイラルだ。
こうなると何もできなくなる
周囲の状況は何も変わっていないにも関わらず・・にである
こんなの損じゃないか
何の根拠もないのに不安に見える。
人間ってそれだけで何もできなくなるのだ。
だったらもう一度周りを見渡してみようではないか。
僕はそう考えた。
何も変わっていないことを確かめるのである。
何も変わっていない。
変わったのは自分の心だけだということを確かめるのである
自分の心だけがそう感じているだけで周囲は何も変わっていないし
目に前に物理的な障害は何もない
そういうことを確かめると心が落ち着くのだ
心を修復させてやればよいだけだと気付くから。。
つまり希望を持たせるのだ「不安なんか持つなきっとうまくいく」と・・
根拠なんてなくてよい
ただそれだけで、知恵が沸くのである
知恵が沸きだしたらしめたものだ!
僕の場合、片手しか使えないことに不安を持ってしまうとそれこそ何もできなくなる
でも片手しか使えないことに対して片手だけでどうやってやるか知恵を出そうという意欲があれば
知恵が沸き、できるようになるための工夫をする。そしてできるようになる(する)のだ。
そう考えると不安なんていうものはは物理的には存在しないのではないかと思う。
不安な世の中なんて存在しない不安は人の心の中だけにしか存在し得ないものだから・・
だから不安を持つなんて損だと思う。何も良いことはない
自分ひとりで不安になり恐怖感を持っているだけではないか
やっぱり損だ
だったら根拠がなくても希望を持っている方が良い
笑っている方が絶対良い。
不安になったら不安になっている自分を笑い飛ばそう!
そんなことを思う今日この頃である
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。