ほとんど怒らない僕


僕は怒らない人を憎むこともほとんどない。

どんなに悪態をつかれても

誹謗中傷されても、いじめられても

僕はほとんど腹が立たない。

昔からそうだった。

仏の岡下などと言われたこともあるほどだ。

なぜ僕は腹が立たないのだろう。

考えてみた。

その原因は子供の頃にさかのぼることに気が付いた。

僕は子供の頃いわゆる「いじめられっ子」だった。

昔は今の「いじめ」のように周囲の皆が結託して一人を

いじめたり、無視したりするようないじめではなかった。

ドラエモンに出てくるジャイアンのような「いじめっ子」がひとりいて

自分より弱い子をターゲットにいじめるという感じだった。

そして僕はそのターゲットだった。

何回もそのいじめっ子に泣かされたものだ。

何回もいじめられてるうちに僕は「なぜあの子は僕をいじめるんだろう」と

考えるようになったことを覚えている

不思議だった。

なぜ???なぜ?・・なぜ僕をいじめるの?なぜ僕なんだ?

そんなことを考えていたことを覚えている。

そんな風に考えているうちにその子が自宅で3歳年上の兄貴にいつも

いじめられていることがわかった。

そのことが分かってから、きっとあの子は自宅で辛い状況にある

そのはけ口が必要だったんだろう

そのはけ口が僕になっただけなんだと思えるようになってきたことを覚えている。

そう考えるようになってから僕をいじめるその子が逆にかわいそうになってきた。

そうすると怒りが消えた。

そな幼児体験からか、今でも人を(或いは僕を)攻撃する人がいたら

怒りが起こる前に「なぜこの人は僕に対して攻撃的になるのだろう」などと

すぐに考えるようになってしまっている。もう癖だと思う

「なぜあんなこと言われもて怒らないんだ?」と言われたことは何度もある

そでもその人の「心の背景」を知ると攻撃的になっても仕方ないなと思え、

その人に対する見え方が180度か変わってしまうのだ。

そうするとどんなに攻撃されても怒りも起こらず、増して憎しみなど消えてしまう。

人の行動は見方を変えることで善人にも悪人にもなってしまう。

要は周囲が偏った見方をしているだけではないのか・・

そう感じる

見方を変えれば怒りも収まってしまう。。

国家間の戦争なんかもそうではないだろうか。

見方を変えることで紛争を起こることを防げないのだろうか

などと思っている

楽観的過ぎるのかな・・こんな考え方。。

やっぱり国際社会は目には目を・・歯には歯を・・

でなければ生きぬくことはできないのだろうか。

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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