僕はそれは自我を捨て去ることのできる能力ではないだろうか
と思う。
なぜなら苦境時に人の心を襲う
苦しみ、
悲しみ、
怒り、
憎しみ
怖れ
などの気持ちは
自我があるから心の中に湧いてくるものだと思うのです。
自我があるから、
自らの喪失感に苦しみ悶える
自我があるから、
プライドを傷つけられ憎しみや怒りが生まれる
自我があるから、
自分を守ろうとし、
自己防衛行動として攻撃的になり、
結果として人を傷つけてしまうことになるのではないだろうか
僕が脳出血にで障害者になったことによって最も苦しんだ理由も
僕の心の中に強烈な「自我」が存在したせいではないかと思っている。
これまで築き上げてきたもの(自分の身体・体力も含め自、分の会社や自分のプライド)を
全て失ったのだ。
その喪失感に僕の中の自我が苦しんだ。
苦しんだ
恐ろしく苦しんだ。この3年間、何度も自死を考えた。
自我が存在するということは「自己のあらゆる欲求」が存在するということだと思う。
高い欲求は時に行動を起こすための大きなパワーとなるけれど、
一度その欲求を満たすことが不可能だということに気付いてしまうと、
逆に強烈に生きる意欲を無くしてしまうものだと思う。
そして悲しみや怒ろや憎しみや怖れのような気持ちを
芽生えさせてしまうのではないだろうか
苦境を乗り切ることに最も邪魔になるのが、
苦しみ、
悲しみ、
怒り、
憎しみ
怖れ
などのネガティブな心だと思う。
このネガティブな心さえなければ冷静沈着に苦境に対処していけるのに・・
と我ながら自分自身をそう思う。
そのため僕は自我というものはは非常に邪魔になるものだと今感じている。
これほど邪魔なものはないと思う。
昔の武士は自我を捨てることを誇りにしたという。
あの西郷南洲(西郷隆盛)も限りなく自我の少ない侍だったと聞く。
西郷南洲人対峙した時、心の中にほんの少し「空」をる作ることが、
できる人だったという。だから人心を集めたという
だから僕も、限りなく自我をなくしたいと思っている。
生身の人間だから自我を完全に無くすることなんて不可能なことは分かっているけれど、
出来る限り少なくしたいと思っている。
それは人心を集めたいなどということではなく、
その自我によって自分自身が苦しむのは嫌だからだ。
そしてその自我は他人さえも傷つけてしまうこともある。
そんなことをしてしまったときには、
他人を傷つけてしまったという自責の念のから
それまで以上に自分自身が苦しんでしまうのが嫌だからだ。
でも僕は脳出血により多くの者を失ってしまったことで、
多くの「自己の中の欲求」を諦めざる得ない状況に追い込まれたと思う。
無理やりかなりの自我を捨てさせられたという感がある。。
なぜなら従来持っていた自我や欲求など捨てなければ生きていけないから、、
そんなふうに考えると苦境を乗り切る本当に力強い精神力というものは、
決して単に「負けず嫌い」とか「勝ち気」というような性格ではなく、
むしろ限りなく自我を捨てることができる能力ではないかと思う。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。