困難と苦境こそ成長(発展)のチャンスである。これは真実だ。


過去の多くの偉人が「困難や苦境は試練と思え」というようなことを

言っているけれど、これまでの僕はピンと来ていなかった。

でも今回僕は脳出血により障害者になったことで、

その通りだ!

と本当に思えるようになった。

なぜなら、困難や苦境に襲われとき、これまで通りの考え方では

立ち行かなくならなくなるからだ。

だからどうしても新しい発想や知恵が必要になるのだ。

そこにこそ新たな本当の生きた知恵が生まれると感じるのだ。

そして成長もしくは発展につながるのだ。

例えば僕は左手は全く使いものにならなくなってしまった。

当然のことながらこれまで両手でしていた作業は今まで通り出来なくなってしまった。
片麻痺なって初めてわかった事だが、人間が行うほとんどの手作業は両手を使っているのだ。片手だけでしている作業なんてほとんど無い)

今までのやり方では出来なくなってしまったのだ。

身近な生活の中で、丼やお茶漬けを食べるという作業。

これは右手片手だけではおそろしくむずかしいのだ。

左手で、器を持てないので口まで器を持ってきて「かきこむ」ことが出来ない。

当初、そのことに対してとても歯がゆい思いをして、何の知恵も使わず、

今まで通り器から口に直接かきこみたいと思ってしまい、テーブルの上に置いてある。

器に口を近づけて器を置いた状態で「かきこもう」とした。

当然のことながらあえなく失敗に終わった。

そんなことがとても悔しかったものだ。

でもふとよく考えてみると何も器から直接口にお茶漬けをかきこむ必要なんてないのだ。

今まで通りのやり方をしようとするから失敗するのだ。

実に簡単なことだが、スプーンを使えば食べることができるのだ。

ただ、お茶漬けをスプーンで食べるという行為は実にむなしい。

その「むなしい」などという思い込みやこだわりを捨てさえすれば、

食べる方法はいくらでもあるのだ。

どうしても食べたければ、新しい方法を考えるものだ。

これは日常生活の一場面だけど仕事においても同じだ。

両手を使わないと書類整理はとても難しい。

でもパソコンなら、神の書類整理をする必要はない。

紙の書類など無理に使わなくてもよいのだ。

公園でパソコンでタイピングして、書類を作ってフォルダーに整理すれば、

なんとでもなる。

日々の生活や仕事上でいろいろな不自由が出てきて、実に精神的に苦しい。

それを乗り越えるために新しい知恵が必要なのだ。

ほかにも、我ながらよく知恵を使ったなと思うことがある。

中枢性の痛みと痺れに対する対処方法だ。

当初この得体の知れない左半身全体を襲う痛みと痺れに対しては医者でさえも、

明確な治療方法(もしくは薬)がなかった。

この得体の知れない苦痛をうまく言葉で医者に訴えることができていなかったから、

医者もどうしてよいのかわからなかったのだろう。

でも自分は苦しくて、辛くてたまらないのだ。

医師にいくら訴えても、正面から取り合ってくれないことは、医師の表情を見ても、

分かった。医師自体が戸惑っていることが見て取れた。

こうなったら、自分で解決策を調べるしかない。そんな状況だった。

そして必死で、自分なりに、いろいろな脳卒中の後遺症に関する医療情報集を集めた。

その中に、中枢性の痛みと痺れに対しては「明確な原因はわからないが、抗うつ剤が稀に効果がある」

という文章を見つけた。おそらく脳神経のシナプスに作用するのであろうというくらいだった。

それで僕はうつ病でもないのに、11件の心療内科をまわった。そして入手した情報について話し

抗うつ剤をトライアルで処方してほしいと頼んだ。心療内科の医師もそんなことがあるのか、

というような反応だった。

でもしつこくお願いした。

その結果功を奏したのだ!十数種類の薬を試した結果、

その中の1種類のベンゾジアゼピン系の抗うつ剤で若干痛みと痺れが緩和したのだ。

やっと見つけた・・という感じだった。

そしてその薬は、今でも中枢性の痛みや痺れが激しい時に服用している。

神経科の医師にも対処出来なかったことを自分で探して対処策を見つけだしたのだ。

必死になればこんなことまでできるのか

と自分でも感心しているくらいだ。

どうしてもやりたい。

どうしても解決したい。解決しなければならない。。

という状況であれば、新し知恵が出るものだ。

でもそこに必要なのは、自分自身の中の志ではないかと思う。

何としてもやり遂げるという志があれば、志を失わなければ、

新しい考え方や知恵が沸いてくるものだ。

絶望的な状況で志を失ってしまうと、絶望は精神を蝕み、知恵も湧かず、

本当に四面楚歌という状況を作ってしまい、本当の絶望状態となり、

死の選択につながるのではないかと思う。

その意味でも、志を持ち続けるということは実に大切なことだ。

夢を諦めない!

何としても実現する!

そんな志が必要だ。

それさえあれば、どんな逆境でも、どんな環境でも知恵と工夫で生き抜くことが、

できるものだと思う。そうやって湧いてきた知恵と工夫は、

それまで以上の、、今までの発想では考えられなかったようなすばらしいものになると思う。

障害者になってしまった今、自分ひとりで出来なくなったことがあれば他人に頼めば良い。

そしてそこに共有できる志が存在すれば協力してもらえるものだと思う。

脳出血により障害者になったことで、会社を無くし、収入も無くし、

仕事も無くし何もなくなった

その上、体の機能もなくなり、無い無い尽くしの本当に苦しい状況だった僕が

ここまで来れたのも、自分の心の奥に志のようなものを持つことができ、

それを維持することができたからではないかと感じている。

そんな絶望的な状況のなかで僕の心の中に志のようなものをに芽生えたことは、

非常に幸運なことだったと思う。

もし神様というものが存在して、

僕の心に志というものを与えてくれたのであれば感謝である。

そこからこれまでの自分とは全く違う新しい自分を作ることが出来始めているから、、、

そんな意味でも、僕は脳卒中により障害者になってしまったという

自分に与えられ苦境にある意味、感謝しなければならないのだろう。

脳卒中という事故がなければ、以外に大きな夢を持っている今の自分は

絶対に存在しなかっただろうから。。。

だからこそ逆境や苦境は成長(発展)のチャンスであると実感として感じる今日この頃だ。

今回の東北の被災者の方々、、

何もかも奪われて本当に苦しい状態だと思う。

僕の病気なんかよりもずっと

苦しくて、苦しくて、苦しくて

未来も見えず、それでも生きていかなければならないのか、

というとてつもなく絶望的な心境だと思うけれど、

たとえ今、未来が見えなくても、心の中の志だけは失って欲しくないと思う。。

心の中の志さえ失わなければ、

知恵と工夫でいつか未来が見えるようになってくると信じています。

志を失ってしまうと本当の絶望になってしまうから、

そんなふうにだけはなって欲しくない。

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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