その逆の時もある。
頑張れという言葉がとてもつらい時、それは目標や希望を見失っているときです。
僕なんかもそうでしたが、脳卒中の後遺症の麻痺というものは、現代医学ではいくらリハビリをやっても
どの程度回復するかまったく予測できないのが現状です。
確かに脳には可塑性という代償機能があるということは分かっているが、どうやればどの程度、いつごろ
回復するのか全く分からない。
脳卒中による片麻痺患者には発症後10年という人はざらにいる。つまりそういう人たちは10年経過しても回復していないということだ。
例えば「3年間がんばりなさい。そうすれば必ず良くなります」とでも言ってくれれば、
必死でがんばるんだが、、
いつ回復するのかまったく予測できない。一生回復しない可能性もある
これでは頑張るのは辛い。回復するかどうかわからないものにいくら頑張れと言われてもこれがつらい。
例えば、痛みに苦しんでいる余命宣告されているがん患者に「頑張れ」というの酷なことだ。
頑張れば治癒するというのであれば、頑張り甲斐もあるが、ただでさえ患者は死の恐怖とも闘っているのだ
「これ以上どうガンバレrと言うのだ!」といいたくなるであろう。
つまり希望や目標が見えるのであれば「頑張れ」という言葉は効果的であろう。
今の若者が「頑張る」という言葉を避けるのはおそらく心に閉塞感を持ってしまい、未来の希望や目標を持てずに自分を見失ってしまっているからだろうと感じる。
「頑張れ」という前に希望や目標を持たせて上げることが必要なのであろう。
それなくしてがんばることなどできない。
でも僕は言いたい。半身麻痺という障害を負ったこんな僕でさえ、今、夢と希望をもつことができています。だから、世の中に閉塞感など存在しない。閉塞感は心の中に存在するだけだ。
希望を持つか持たないかは心の持ち方次第です。
持てる希望を持とうとしていないだけです。
だから「まず大きな希望を持ってみなさい」
希望を持つコツは世の中の不満(理不尽だと感じること)を考えればよいと思います。
自分に対する不満でも良いです
そういうものをなくすことは目標になります。そしてさらにその先が希望になると思うのです。
「きっと出来る、必ずやってみせる」と思って見てください。それがきっと希望になります。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。