障害者になって本当待つということに苦しめられた
そして逆に待つという強い意志を持つことができたように思う。
去年リハビリ病院から退院して自宅に帰ってきたときには僕は何もできず、外出さえもろくにできず、
家人が外出し一人になるのは怖かった。ベットで寝転んでただ、ただ眺めているだけ、
強烈な孤独感に襲われた。この怖さというものは経験して経験したことのない人にはなかなか理解しづらいだろうと思う。とにかく待った。家人が帰ってくるのを待った。ひたすら待った。
僕はもともと非常にせっかちな性格であっただけに待つということはひどくツラかった。
人間にとって待つということは何故こんなに嫌なことなのであろう
簡単な話。電車に乗っていて赤信号で電車が長い時間停止しているとイライラする。
これってなぜだろう。
たとえば通勤に30分かかるとして、途中で赤信号5分間停止して、その後、その5分をあとで取り返し、
きっちりと30分で到着したとしても、その五分間は非常にイライラするものである。
同じ30分の乗車時間であるにもかかわらず、停車するとイライラするのである。これは以前から自分でも不思議に思っていた。
今考えると、きっと「前に進んでいる感」がないことがイライラさせるのであろう。
少しでも良いから前進しているという感覚があれば、その人の心に希望のようなものをもたせるのではないだろうか「停止」した状態というのは目標に対して近づいていないという感覚を持ってしまうから焦るのではないだろうか。
実は僕が脳卒中で倒れたことが原因で、去年、家内と私の母がおお揉めに揉めた。思わぬことで大喧嘩となってしまい、断絶状態である。私の母は孫に会うことができない状態である。
なぜこんなことになってしまったのか今でも分からない。
感情のこじれと言うのは非常に難しい、正直、特に女性は分からない。嫁姑と言うのはずでこんなくだらないことでモメるのであろう。私の母も父も老いているにもかかわらず、倒れて無収入になったが私に金銭的な支援をし続けてくれた。感謝である。でも孫にも会うことができない。
僕は「時間が解決するよ」と言っている。2、3年たてば息子も自我が確立し、自らおじいちゃんおばあちゃんに会いたいと行く日が来るよと言っている。
しかし僕自身少し焦りが出ている。家内の気持ちがまだまだかたくなに拒否をしている状態で割ることが分かるからだ。
とりあえず、待ってみよう。と思うが、結構つらい。
怒りや悲しみなどの気持ちは時間でかなり解決するものだ。それは脳の「使わなければ失う」という
特徴があるからだ。怒りの気持ちや悲しみの気持ちを考えれば考えるほど脳はそれを考える力を強化してしまうのだ。
リハビリと同じである。「麻痺した手を使わなければその機能は永遠に回復しない」のと同じだ。
使えば使うほど脳機能は強化され、逆に使わなければ失うのである。
私のリハビリは永遠に続けなければならない
怒りや悲しみや憎しみを緩和するためにはこの脳の特徴を逆手に取るのである。
つまり怒りや悲しみや憎しみの考えを使わないのである
そうすると怒りや悲しみや憎しみの思考回路は自然と失われてしまうのである。
このことは心の安寧につながる。あせりは禁物である。
焦ると判断を誤る可能性が高い。
今私は次の仕事の求職をある会社に職務経歴書を出して結果待っている。
やっぱり待つというのは嫌なものだ。よほど自信がない限り心が焦る。
いま進めようとしているhttp://my-japan.jp/
のプロジェクトにしてもそうだ、資金が十分になり私にはゆっくりとしかすることができない。
少しずつ賛同者を募り、支援者を募って、この事業のコンセプトをアピールして理解をしてもらうしかない
しかし、やはり気持ちが焦る。動きがないと前に進んでない感覚に襲われ不安になる
ベストは尽くしたはずだ。
経済産業省の補助金申請にしてもそうだ。
今日、難病認定の申請の結果にしてもそうだ。
本当に待つことが多い
しかし、まあ本当に役所の申請関係の処理の結果を持つのは本当に多い。
もう少し生産性を上げることができないものなのだろうかと思う。
いずれにしてもベストを尽くして駄目だったらしかたがないではないか。
ベストを尽くして天命を待つ。
私の体も同じ、リハビリを続けても続けても良くなる実感がない
やっぱりもう二度と普通に歩けないの、お茶碗はもてないのか・・と
だ
から焦る、、、落胆の気持ちに変わってくる。
発症後、まもなく2年ずっと必死でリハビリを続けてきた。
それでも何も変わらない。3年かかるのか、5年かかるのか、20年かかるのか
全く先が見えない。。
長期戦だ。
最善を尽くして良い方向に行くと信じることが僕の心の支えになる
焦ってもどうにもならないことは理性では理解している。しかし焦る
困ったもんだ
そんな時以前にも書きましたが尊敬する松下幸之助の書きの言葉を唱えるようにしている
「時を待つ心」松下幸之助
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何ごとをなすにも時というものがある。時、、それは人間の力を超えた
、目には見えない大自然の力である。いかに望もうとも、
春が来なければ桜は咲かぬ。いかにあせろうと、
時期がこなければ事は成就せぬ。
冬が来れば春は近い。桜は静かにその春を待つ。
それはまさに、大自然の恵みを心から信じきった姿といえよう。
わるい時がすぎれば、よい時は必ず来る。おしなべて、
事を成す人は、必ず時の来るのを待つ。あせらずあわてず
、静かに時の来るのを待つ。時を待つ心は、春を待つ桜の姿といえよう。
だが何もせずに待つことは僥倖を待つに等しい。
静かに春を待つ桜は、一瞬の休みもなく力をたくわえている
。
たくわえられた力がなければ、時が来ても事は成就しないであろう。
時を得ぬ人は静かに待つがよい。大自然の恵みを心から信じ、
時の来るのを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい。
着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る。時期は必ず来る。
待てといわれればなおあせるのが人情である。だが、
自然の理はわがままな人情には流されない。冷たいのではない。
静かに時を待つ人には、暖かい光を注ぐのである。
おたがいに時を待つ心を養いたい。
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そしてもう一つ、朝ドラの「ゲゲゲの女房」で、水木しげるが入っていた
ゲーテの言っていた下記の言葉も最近唱えるようにしている
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”意志の力で成功しない時には好機の到来を待つほかない。”
”人は努力している時は迷うに決まったものである。”
好機が来るまでやり続ける努力するしかない。
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さらにが下記の言葉も最近唱えるようにしている。
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心配とは、ロッキングチェアのようなものだ
私たちをせわしなく動かすのだが
どこかへと運んでくれるわけじゃない
ウィル・ロジャース
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人間の心のコントロールって本当に難しいな。
すべては心の問題であると思う
自分の心の弱さ以外には越えられない障害など存在しない
そう自分に言い聞かせながら肢体障害に対して自分なりに立ち向かっている今日この頃である
まあそれにしても[待つ]というのは人間にとってツライものである
果報は寝て待てと言うのはよく言ったものだ。的を得ていると思う今日この頃である。
心を無にしてして待つ、そして雑念にとらわれず、やるべきことを粛々とこなしてゆくことが大切なのであろう
そうすることによって自然と前に進み始め希望が見え始めるのではないだろうか
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。