左手は全廃である。
麻痺した左手足が脳の可塑性により再構築され回復する可能性があるという
「決してあきらめるな」と
私も今日までそう思っていた。決して回復をあきらめない
そういうあきらめない気持ち。それはそれでよい
でも「坂の上の雲」を読んでいて思った。
そのとき私は思った。。自分のか身体の機能回復にこだわっていて良いのだろうか。
もちろん、機能が回復すればそれはそれですばらしい。
でも私の人生に何が残るのだろうか
他に成すべきことがあるのではないか
左手足はそう簡単に機能回復しないであろうことは自分自身でわjかる。
リハビリ医師が何と言おうと、自分の身体は自分が一番良くわかる。
そう簡単には回復しない。
それに再出血のリスクも高い。残された人生そんなに長くはないだろうということは感じ取れている。
ならば残された機能でできることを考えることの方が大切ではないか
幸い右手は完全に健常である。タイピングスピードは両手を使えたときの10分の1以下ではあるがこうやって文章を書くことができる。PCを操作できる。
この残された右手一本で成すべきことをなさねばばらない。
まずは、この右手一本で家を養うこと。
遠くへ出向くことができなくても
今の時代、ネットで世界中を旅ができるではないか。右手一本で、、
正岡子規は晩年病魔で一日中庭を見ながら過ごし俳句を考えたという
その庭が正岡子規の全世界、全宇宙であった、
身動きできなくてもその庭から世界を感じとることができると言っていたという。
私も遠くへ外出することは時間がかり、身体に負担がかかるのでほとんど毎日この部屋でPCに向かっている。この部屋が私の全世界である。
今私が成すべきことは、まずは小さなところでは、この右手一本で父として妻と子を養うことだ思う
そして次にこの右手一本で世の役に立てることを考えなければならない。
人間として生まれてきた以上、少しでも世の中の役に立つ人間でありたい。
もう麻痺手足の回復だけににこだわることはやめよう。
麻痺したことでできなくなったこといくらを考えても仕方がない。
何も新しいものは生まれない。
右手一本でできることがあるはずだ、あの物理学者スティーブンホーキング博士は
目の動きだけで、自らの物理学論を伝え、アインシュタインを上回る物理学書、宇宙論を出したではないか。
残された機能で自分のできる限りの成すべきことをやろう。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。