人間について

怒りと憎しみ

怒りとは許せぬ心、憎しみも 許せぬ心許せぬのは弱い心乗り越えてしまえば許せる心に変化するじゃあ乗り越えよう。乗り越えられれば許せるのだから心なんて自分次第
人間の生き方

怒りや悲しみを乗り越える。

僕の心は、ときどきひどい怒りや強烈な悲しみに襲われることがある。なぜ身体がこんなふうになってしまわなければならないのか。なぜ会社をつぶさなければならなかったのか。なぜこの身体で無職無収入にならなければならなかったのか。脳出血を起こしてからというものさまざまな怒りや悲しみに襲われてきた。それを乗り越えるために必要だったもの・・それは「志」であったと思う。その志は大きな大きなものである方が怒りや悲しみは薄れたような気がする。志とは「士(サムライ)」の「心」である。武士の心とは「武士は食わねど高楊枝」の言葉に尽きると思っている。つまり「自我を捨てること」でどんなに生活が窮していても満腹を装って楊枝を使う、つまりどんなに苦しくとも苦しさを見せず自我を捨て民のために闘うという姿ではないかと思う。だから「志」とはいわゆる「社会貢献」的なものでなければならないと思う。そんな志を持つことができれば、自分の怒りや悲しみなんて、それこそ自我の欲望の塊の結果現れる心のあり方であり、とてもとても小さなことに思えてくるものだ。そして志を持つことによってそんな小さな怒りや悲しみなんて吹き飛んでしまうものだと思う。...
独り言

必死の思い

何かに必死になっていなければ気がおかしくなりそうだ。なぜモヤモヤ病は僕を選んだのか。。なぜ僕は今、走ることさえできないのだろうか。それどころか歩くことさえ満足にできない。なぜ僕が脳出血にならなければならなかったのだろうか。なぜ僕はこんなにも苦しまなければならないのだろうか。なぜ、後遺症はせめて運動麻痺だけにしてくれなかったのだろうか。視床や被殻出血のせいで、なぜにこれほどまでに一分一秒痛みと痺れに苦しまなければならないのだろうか。もし神様とやらがいるのなら、ぜひ聞きたい!僕は何かそんなに罪深いことをしたのでしょうか。なぜ僕は必死で守ってきた会社を潰さなければならなかったのでしょうか。目の前の茶碗すら持つことができない・・なぜ!なぜ、なぜ、なぜ!毎日が考えれば考えるほど、息苦しくなるくらい辛くなってくる。。だから何かに必死の思いで取り組んでいたい。この苦しみすべてを忘れるために・・必死の思いだからそ、相当無茶もするもしかしたら人を傷つけるような暴言を吐いているかもしれない。でも僕自身、無茶苦茶に必死の思いで何かに取り組んでいなければ気がおかしくなりそうなのだ。中途半端な行動をしている人間...
人間について

手ごたえのある人生さえ送ることができればそれで良い.

人並みな喜びなんて僕にはもう必要ないさ。脳出血倒れて昨日でまる3年。。いまだに、左手は全く動かない。左足も鉛のように重く自由に動かない。もう健常者のようにスポーツなんてできないだろう。「のんびり散歩」すらできない。ただ、歩くことすら重労働なこの身体さ、、人並みの娯楽なんて僕には必要ないさ。でも僕には志がある。(きっと)僕以外の人には持つことができない志がある。この身体でできるだけのことをやればそれでいい。それだけで充分手ごたえのある人生を送ることができるじゃないか。それで充分満足さ。
人間について

機械は「理論・理屈」で動くが、人は「熱」で動く

人間が希望を持って生きて行けるかどうかは、周囲の物理的状況とは何の関係もない。よく「希望を持つことができない日本にしたくない」などという言葉を使う政治家がいるけれど、希望を持つことができない日本って一体どんな日本なんだ?と思う・・何度もこのブログの記事で書いているけれど希望なんて人間の心の中で持つものであり、周囲の物理的状況や経済環境なんて何の関係もない。どんなに苦しい物理的状況(例えば戦後の焼け野原のような状況や世界恐慌のような不況)であっても人の心の中にだけは「希望」を持つことができる。それは「心の熱」だと僕は思う。「心の熱」こそが世の中を変えることができるのではないかと思う。機械は物理的論理で動くけれども、人間は「人の心の熱」(熱意とか情熱といったもの)で動くものだと思う。だからこそ心の中の希望が大切であり、心の中に持つ人間の志が大切なのだ。心の中にそれがなければ、どんなに頭が良くても、どんなに知識があろうとも、そしてどんなに物理的に恵まれた環境であろうとも、新しい発想も生まれないし、技術革新もできないと思う。僕は身体障害者になってしまったけれど、そんな志と情熱だけは健常者に負け...
人間について

不幸ではなく不便なだけ

障害者になってしまったことによって今まで当たり前にできた事ができなくなってしまい、これまで、たくさんのことを諦めてきたけれど、障害者になってしまった事は決して「不幸」ではない、「不便」になっただけ不便なら工夫さえすれば、何とでもなる人の5分の1のスピードしかなければ、5倍の時間をかければ同じことができる。あとは工夫で少しでもスピードを上げられるようにすれば良いだけ。自分を不幸と思うなんて損!そんな気持ちだと工夫する知恵も湧かなくなる。工夫して少しでもできることが増えたり、スピードが少しでも上がることができた喜びを味わう方がずっと得!障害は決して不幸ではなく、不便なだけ!不幸と思うのは心の中心の中で自分のことを不幸と思う心が自分を本当に不幸にしてしまう。不便とは心ではなく状況、不便な状況なら知恵と工夫でなんとかなるじゃん希望や志も同じ状況と心は関係ない。どんなに苦しい状況でも心の中には希望が持てる。
独り言

5倍で元に戻れる

今日、NPOの書類を整理しようとして、左手を添えることができず、パラパラっと落としてしまった。右手で拾い上げたけど、バラバラになった右手片手ではすぐにうまく揃えることができない。け仕方がないので右手で、一枚ずつ時間をかけて揃え直した。正直イライラした。左手が使えれば、両手で全部の書類の端を持ってトントンとすぐにそろえることができるのに!・・でもイライラしてもしょうがないと言い聞かせ、時間をかけて揃え直した。時間さえかければできるじゃないか。自宅から最寄の駅まで健常の頃は10分少々で歩けた。でも今は、杖を突きながら45分近くかかる。駅に着いた頃にはヘトヘトだ。歩くスピードは健常の頃の5分の1だ。。でも駅まで行けないことはない。歩くスピードが5分の1なら5倍時間をかければ良い。ただそれだけのこと。。このブログの記事だって右手一本で書いているからこれも昔の5分の1のスピードくらいかもしれないだったらこれも5倍時間をかければ良い。それで健常者と同じじゃないか。僕の志障害者でも誰かの、そして社会の役に立つことを証明したいそんな志も5倍時間をかければきっとできる。5倍時間をかければ元に戻れるんだか...
最新環境技術

今度は浄水化技術で世界貢献だ!

これまで国内においてメガソーラー太陽光発電の普及のサポートをしてきたが今度は今度は最先端の浄水化技術で世界貢献だ!これも中小企業の技術である!大手なら東レなどが既に中東方面に海水の飲料水化プラントの導入実績があるが今サポートしている企業は同じ飲料水化プラントでも小型で車で移動できるのだ!しかも最先端の殺菌処理であるオゾン殺菌済みの浄水ができる!しかも処理量は1日100トン!こんな小型化ができるのは日本でもこの企業だけだ!車で移動できるということは、飲料水不足の地域にすぐに移動できるということだ!この装置は既に東日本震災時に石巻で成果を上げている!下記が僕が今年の4月に震災間もない石巻までこの身体で、稼働状況確認のためにわざわざ行って撮影した処理中の動画です。見事な浄化処理だ!動画に「飲料水不可」と書いているのは、日本の古い水道法の問題だからだ。古い水道法が作られた時代にはオゾン殺菌などの技術はなかったので塩素(人に有害な次亜塩素酸ソーダ)による殺菌方法しかなかったから、飲料水には一定の塩素が含まれていることが義務付けられている。もう今は、人に無害なオゾン殺菌の時代なのにも関わらず・・こ...
独り言

強く負けない心、折れない心

どうしようもなく悲しいとき、辛いとき、心が折れそうになってしまうとき、身体が思うように動かなくて、これまでたくさんのものを諦めてきた、たくさんのものを失ってきた、でも僕は負けない。心が負けてしまうのは、折れてしまうのは、 「我」があるからだと思う。僕の中にあったた「我」は僕の中のプライドを失うことを怖れる喪失への怖れがあるから負けてしまうのだ。心が折れてしまうのだ。「我」は僕のプライドとか僕の45年間積み上げてきた「誇り」のようなものではないだろうか。それが壊れてしまったような気がする。僕のプライドや「誇り」なんてちっぽけなものだけど、そんなものさえなければそれを失うことに苦しむことはないだろう。だから僕は限りなく自分の中にある「我」を葬ってしまうように努力している。「我」があるから人は苦しむのだと思う。「我」さえなければ、心だけでなく、身体の痛みや苦しみにさえも耐えることができるのではないだろうか「心頭滅却すれば火もまた涼し」という諺があるけれどこれは本当だと思う。僕の今感じている身体の痛みは脳が勝手に感じているだけなのだ。痛みのある箇所には何の傷もない。つまり心(=脳)が勝手に痛い...
人間について

こだわりと経験と思い入れの平松氏が大阪をダメにし、喪失を恐れない橋下氏が大阪を救う

まもなく大阪市長選がありますが、私は個人的に橋下氏を応援しています。それは橋下氏のパフォーマンスに触発されたわけではなく私なりの理由があります。それは平松氏は、経験からくる「こだわり」と「思い入れ」と「誇り」の人であり、橋下氏は喪失を怖れない改革者であると感じるからだ。「こだわり」や「思い入れ」や「誇り」という言葉は聞こえは美しく素晴らしいと感じるが、僕は「こだわり」や「思い入れ」や「誇り」こそが人間の成長を止めてしまう、或いは企業や国を弱体化させる大きな原因ではないかと思っているからです。それは人間というものは「こだわり」や「思い入れ」や「誇り」というものを持ってしまうとそれを喪失することを異常に怖れてしまうのではないかと思うからである。「喪失への怖れ」は人間の判断を狂わせると思う。多くの企業が倒産する原因の一つが「こだわり」や「思い入れ」や「誇り」というものではないかと感じています。なぜなら「こだわり」や「思い入れ」や「誇り」は守りたいという心を生んでしまい、その結果「諦めるべきときに諦めることができない」という大きな失敗の原因になると思うのです。これは年配の人ほどそうなってしまう...