人間について

アフリカ赤道ギニアへ行くぞ!

アフリカギニアへの飲料水化設備導入が本格的になりそうな気配!しかも僕自身がサポートでギニアに行けそうだ!ここまで来れた!脳出血で半身不随となり一時は人生を諦めかけていたこの自分が・・だあの・・健常者の頃、死ぬまでに一度は行ってみたいと思っていたあこがれの地・・アフリカそこへ・・皮肉なものである健常者のときにも夢の夢だったアフリカへなんと障害者になってしまった今頃行ける・・・・・!ギニアってこんなとこだ障害者でも社会参加するために社会の役に立ちたい!という志を持ち続ければ夢は実現できるのだ!もう負けない!これからも身体的に苦しいときはたくさんあるだろう。でもそんなことには負けない!志が・・夢が・・実現できるのだったら・・負けない・・
人間について

簡単なことができない事の方がつらい

脳卒中で片麻痺になるということそれは難しいことができなくなるのではない。僕は今、片手でスマートシティ構築の数十枚の提案書も書けるソースコードを記述してホームページも作成できるデータベースの設定もできる。小難しい再生可能エネルギー技術に理論書も読んで理解できる。再生可能エネルギー及のための問題点や課題も整理できる。原発の理論も理解できるし、問題点も整理できる。でも封筒を開封することに苦労するのだ。プリントアウトした書類をホッチキス止めがうまくできない。靴がすぐに履けない。着替えに20分以上かかる。そうこんな簡単なことができないのだ。誰にでも当たり前にできることができない。お椀を手にもって味噌汁をすすることができないナイフとフォークで食事ができないそしてふつうに歩くことができないこれが苦しい。つらい悔しいそう、ほんの日常生活に必要な簡単なことができないのだ。これが苦しい。つらい悔しい
人間の生き方

生かされている

生かされている・・・以前まだ健常者だったころ、人間は生きているというよりも生かされていると言っていた人がいたのを覚えている。当時は「そうかなぁ・・」途いう程度にしか感じていなかったけれど今、正に僕は「生かされいている」と実感している。確かに「生きている」というより「生かされている」障害者となって、死んだ方が楽だと思う事も未だにたくさんある。できなくなってしまったことも挙げればキリがないくらいだ。特にスポーツという類のものは一切できなくなった。「スポーツで汗をかいて楽しむ」ことも二度とできないだろう。山のハイキングとかもできなくはないだろうけど、歩くこと自体まともにできないぼくにとっては地獄でしかない。。今日はある紙をカッターで切りたかったが片手では定規を当てて切ることができないので諦めた。昨夜は昨夜で温泉旅館で宿泊したが大浴場の温泉が石畳のうえ、手すりがないので入浴は諦めた。。できないことが多すぎる。楽しめない事が多すぎるこれで生きているというのかこんな状態で生きていて楽しいのか。それでも生きなければならないのかそうだ生きなければならないのだ。死んではいけないのだ。そんなことは分かって...
最新環境技術

スマートシティの定義

一昨日、昨日と葉っぱビジネスで有名になsった徳島県上勝町にバイオマス施設建設構想の打合せに行って感じた。この町は自らが必死で「自立」しようとしている。そしてそのための活力がある太陽光や風力やバイオマスなどの再生可能エネルギーを積極的に活用しようとしている何を目指しているのかと担当者の方に聞いた。そうするとそれは国の補助金に依存しない自立した町づくりだという回答が返ってきた。これを聞いて僕はスマートシティというもの見方が変わった。もともとスマートシティとはスマーグリッド(次世代送電網)からきた言葉で、太陽光や風力やバイオマスなどの再生可能エネルギーを活用した効率的な次世代送電網の整備された町だったと思うでも僕は今はこう考えているスマートシティとは・・エネルギー地産地消だけでなく食の地産地消・バイオマス技術を利用した廃棄物の地産地消、更には地域の資源を徹底活用した雇用・労働の地産地消を実現する街づくりだと思う
人間について

面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけり

面白きこともなき世を面白く 住みなすものは心なりけりご存知の方も多いと思いますが、これは高杉晋作が結核で病死する直前の時勢の句です。そして僕の好きな俳句の三本の指に入ります。この意味は、どんな世の中もどんな人生も面白くするのは自分の心次第であるという意味だと捉えています。今の僕に一番必要な心の持ち方だと思う。負った障害を辛いと思えば辛くなる。面白い波乱万丈の人生だと思えば意外と人より面白い人生を歩んでいるなぁ・・俺とも思えるどうせなら辛いと思うより、面白い波乱万丈の人生だと思った方が得じゃないかそう思えば何でも前向きになれるから、、
独り言

山間いの朝

今徳島県上勝町という山あいの町にいる昨日からバイオマス循環施設設置構想の打ち合わせのために来ている。今朝はこの町の温泉旅館で目が覚めた。不思議な感じだ。温泉旅館、、何年ぶりだろうせっかく温泉があるというに昨夜は入浴を諦めた。大浴場に手摺りがないからだ。左足に感覚がない僕には手摺り無しで浴場を歩くのは危険だ。まだ、いろんなモノを諦めなきゃいけないな、、でも部屋から見える渓流の景色だけでも慰めになる。倒れた当初は左半身が「完全麻痺で、寝返りさえできず、二度とこんなところに来れないと諦めていたから、こんなところで朝を迎えられただけで感謝しよう。それでも、この身体では河原に降りる事は無理だ。まだ、いろんなモノを諦めなきゃいけないな、悔しい思いが心をよぎる、、そんな朝、、iPhoneからの投稿
人間の生き方

全てを許そう

今朝は久しぶりに気持ちの良い朝・・・・何年ぶりだろうと思うくらいだ。なんかよくわからないけどすべてを許そうという気持ちになっている不思議な気分だ。。僕を襲った脳卒中を許そう・・半身麻痺の障害を許そう・・そのことによって起こったいろいろな人間関係のトラブルも許そう・・・すべてを許そう。。許せるとても心が安寧した気分だ。。弱いも者ほど相手を許せない。許すということは強さの証だ。マハトマガンジーのこの言葉。。今、この瞬間の僕は何でも許せる気分だ。。さあ今日は今から徳島の山村にバイオマスエネルギーの導入提案に行く。。良い仕事ができそうな気がする。昨夜も確実な被災地用の放射性物質除去物質を見つけることができた。これで本当に人の役に立てる・・・と思えた。。そんなことがあったからかなぁ。。人の役に立てると思えることは素晴らしい。人は人の役に立つために生きることができるとき、心が最も輝くような気がするそれは大金を稼げたときとか、億万長者になれたときの気持ちなんかよりずっとずっとずっと光り輝くような気がする。そして心が穏やかになり、何でも許せるようになる。そんな気がする。さあ出発だ。
人間の生き方

希望とは・・

僕は脳出血で半身不随になったとき僕の希望は全て消え去った・・と思った。。築き上げてきたモノが全て崩れ去りそれと同時に希望も消え去ったそう思った。そう思い込んでいた。でもそれは違った。確かにこの3年間苦しんだ。何の希望の存在しない状態で生きていくことは死んでいるに等しかったと感じた。でもそれは違った・・希望が無くなったのは僕の心の中だけだったのだ。そのことにやっと気が付いた。希望は外から与えられるものではない。世の中の状況の事でもない増してや健常な身体が希望を呼んでくるのでもない。希望は自らの心の中で作るもの希望が見えないと思ったら、そう、自分の心の中に作ればよいのだ。ただそれだけのことだった。希望は自分の心の中で作るもの。世の中がどんな状況であろうと、身体がどんな状況であろうと関係ない。そんなことに関係なく心で希望を作ればよいのだ。心の中に希望や志さえ作ることができればしめたもの!そこから行動が生まれる、そして知恵が生まれる。心の中に希望や志さえ作ることができれば半ば人生は有意義なものになったも同然だ。こんな考え方が正しいか正しくないかわからないけど、そんなことにやっと気づいた。そのこ...
人間について

あの世なんて存在しない方が良い、死後は無になったほうが良いと考えるようになった理由

最近自分が生きる意味をまた考え込むようになったので以前にも書いた記事をもう一度書きます。僕は死後にあの世なんて存在せずに、無になった方が絶対に楽だと考えています。あの世という世界を考えたのは人間は自分が死んだとき、自分の「意識」までも消滅するとは考えにくいからだと思います。それと自分で意識が消滅するということを想像することが難しいと同時にある意味恐怖感を抱くからではないでしょうか。でも僕は違います。僕が「あの世なんて存在しない方が良い」「死後に魂なんて起こらない方が良い」と考えるようになったのは、脳出血で障害を負った当初、「自分は何の役に立たない人間になってしまった」という思い駆られ自暴自棄になってしまった時のことです。自宅に居ても常時ベッドに寝ているだけ1日24時間天井を見ながら過ごす日が続きました。このとき味わった強烈な「孤独感」です。この孤独感というものは地獄でした。(多分味わったことのない方には理解し難いと思いますが、)役に立たない人間であると感じていると同時に人とのコミュニケーションが絶たれる状態と言うのは予想以上に辛いものです。この時に思ったのです。死後、肉体が滅び、「魂」...
人間の生き方

障害者でも社会の役に立つことを示す 福祉を受けるだけではない事を示す。

今度、ある支援者によって障害者で運営する会社を運営することになりそうだ。これぼくにとっては障害者でもでも社会の役に立つことを証明するためでもある。もちろん今までの再生可能エネルギーの普及活動も並行して行う。明日、明後日はバイオマスエネルギー施設導入のために徳島県のある町へ行くこの町には一昨日の記事で書いた風力発電も将来的に導入させたい。エネルギーの地産地消のモデル地区にまでしたい。それはそれとして、今度は障害者で運営する会社の運営だ。いずれの活動もも障害者だからといって人の世話になるだけの生き方だけではないことを証明するのだという志が僕にはある。障害者は福祉を受けるだけの、そして人の介助を受けるだけの「厄介者」というレッテルをはがしてやるのだ。健常者には負けたくない。何が何でも・・成功するかどうかそれはわからない。。それよりも障害者でもここまでやっていけるのだということを示したい。事故やび病気で障害者になったからいろんあ人生の目標を諦める。そんな人も多いだろう。でも僕はそんな人たちにい生きがいを持たせてあげたい。諦める必要はないんだよ・・と