人間の生き方

障害者になったことは不幸ではない

僕が障害者になった事は決して「不幸」なんかではない。ちょっと不運だっただけさ、これを不幸にするかどうかはこれからの僕の生き方で変わる少なくとも身体的障害が絶対的に人の人生を不幸にするものではない不幸になるかどうかはその後の本人の心の持ち方次第さ。iPhoneからの投稿
人間について

それぞれの紅葉・・それぞれの輝き

今日、京都の東福寺のもみじの撮影に行ってきた。昔独身の頃(約25年前)JR東福寺駅から1分ほどのワンルームマンションに住んでいたけど当時は東福寺のもみじなんて全く知らなかったし、興味もなかったでも 半身麻痺によって僕のほとんどの趣味・・・観光などには全く無関心で基本的に身体を動かす事が好きで水泳やスキューバダイビング、ウィンドサーフィンなどが趣味だった・・それら全てが全くできなくなった今の僕は写真撮影くらいしかできないそれで電車のつり広告の「東福寺のもみじ」というキャッチフレーズをみて懐かしさもあり、行ってみようと思い立ったJR東福寺駅はJR京都駅からJR奈良線に乗ってったった一駅JR奈良線が単線のローカル線だし、JR東福寺駅自体も小さな駅だからいつも電車は閑散としていたことしか覚えていないでも今日は違ったJR奈良線のホームんの手前から駅員さんが拡声器で人員整理をしている様子イヤな予感・・予感は的中した・・既にホームに来ていた電車に乗る乗客を駅員が外から押し込んでいたもちろん電車の中は寿司詰め状態・・僕の半身麻痺の身体では無理!と思ってその電車は諦めて次の電車を待つことにしたでも、もと...
人間について

強制的に価値観を変換させられるということ・・

僕は半身不随になったことで半ば強制的に価値観を変換させられたというか、それまで持っていた価値観を捨てさせられた。ここで言う価値観とは人が皆大なり小なり持っている自分が自分であるための誇りとかプライドのようなものだ人には誰しも大なり小なり人に自慢できる自慢しなくても、「こういう事が好きである」とか「こういうことができる」という「自分らしさ」を持っていると思う僕それが水泳であり、スキューバダイビングであり多少なりとも人より体力があり、少々のことではバテないとか或いはアウトドアスポーツが好きであるというような、今考えるとどうでもいいような事だったと思うでも当時(倒れる前)は僕にとってかなり大切なプライドであり「誇り」のようなものだったらしい「らしい」というのはそれらすべてができなくなって初めて気が付いたからだ今考えると(生きるたために)どうでもいいような事だけどこのような自分の誇りとかプライドを失わさせられるという事は「あるべき自分」が死んでしまったような強烈な苦しみだった「自分が自分である」ことができなくなってしまうということは本当に辛いものだ例えば他にも僕は「父親」でもあったから息子(男...
人間の生き方

心だけでも武士のようでありたい

今の時代に侍なんて存在しないけど、僕は今自分の心だけでも武士のようでありたいと思っている半身不随という障害者になって僕はこれまでいろんなことに嘆いてきた。いろんなことに悲しんできた。自分の人生を恨みもした。自分の不遇に対して怒りに打ち震えたこともある。でも、どんなに怒りにうち震えようがどんなに悲しもうが、この運命が変わりはしない。障害が治るわけでもない。この運命を受け入れて生き抜いていくしかないのだ。だとしたら、自分の人生がどんなに理不尽だと感じようが、泣き言は言いたくない。人前ではもちろん泣き言など言わないが、自分の心の中でも思いたくもない。そんなことを心の中で感じているだけで、思っているだけで、自分の人生が情けなくなってくるだから自分の人生がどんなに理不尽だと感じようとも、どんなに苦しくても一切泣き言を言わない、そんな昔の日本の武士のような心に僕はなりたいそして自分に与えられた役割を(それが何かわからないけど)、それがどんなに小さな役割でも泣き言いわず、全うしてから死にたいと思っている。そうすればきっと後悔のない人生にできると思うから、、
人間の生き方

闘い続けるんだ、、一生!

闘い続けるんだ!この半身麻痺の障害と、、男は闘うものだから、、一生ね・・・そしては弱音は吐かない絶対にね闘い続けろ闘い続けるんだ身体の機能障害という敵が立ち塞がる限り、、闘い続けるいつまでもいつまでもこの闘いに終わりはないでも絶対に負けないそれが男の生き方だと信じているからただそれだけiPhoneからの投稿
独り言

焦らず知恵を使え!

今日常生活のなかで健常者になら、ごく普通に当たり前にできる事が半身麻痺のせいでできない事に対して今でも、異常に苛立つ事がある!ちょっとした荷物さえ運べない!両手さえあれば、、たった3段の階段さえスムーズに降りる事ができないそれどころか、手摺りがなければ階段を降りる事さえできない!腹が立つ苛立つ右半身はこんなに健常でスムーズな動きができるのに左半身が麻痺しているだけでたった3段の階段さえ降りる事ができないのだ!悲しい腹が立つ苛立つ悔しい日常生活のなかでこんな悔しいことがまだまだゴマンとあるその度に悲しんだり腹をたてたり悔しがったり悲しんだりしていたら心が耐え切れなくなる持たないここは知恵を使え!いや知恵を使おう!知恵こそが人のみに与えられた能力ではないか僕は幸いその能力までは失っていない能力が高いか低いかはわからないが、、そして意欲も出る!障害者になったこの4年で自分に意欲を出す方法も自分なりに体得し始めている意欲さえだせれば知恵も出る知恵だこれからは知恵で生き抜くのだ!身体が不自由な分、 人一倍知恵を使おう!知識ではない知恵だ!そうすればきっとこんな身体でも有意義な人生を送れるに違いな...
独り言

非現実的な夢想家

村上春樹さんの言った言葉で「非現実的な夢想家」という言葉が僕は好きだ。夢は非現実的いいじゃないか非現実的だから夢なんだでも夢はいつ実現するためにあるものだと思う僕はいつも思っている僕の左半身麻痺の障害もいつか治ると心のどこかで信じている「現実的な」医者からみれば一般的に発症後半年以上経過した片麻痺の後遺症の回復は難しいと言われるだろうあるときある脳神経外科医に「現実を伝えるのも医者の役目です」とも言われた僕もさんざん脳卒中の後遺症については勉強したからそれくらいの事は分かっている。だから厚生労働省もリハビリテーションに対する保険適用は180日で打ち切りとなっているのだある意味僕は現実的な情報を知っているけれど、それでも奇跡の回復を信じている。なぜなら奇跡とは実現した瞬間に奇跡ではなく「現実」になると思うから、、そしてその瞬間に非現実的な夢想家はリアリストに変身すると思うから、、再生可能エネルギーの普及と原発廃絶も同じだと思う不可能だと思った瞬間に本当に不可能になる逆に原発が必要不可欠だと思った瞬間に本当に必要不可欠になるものだと思う再生可能エネルギーの普及と原発廃絶も夢だからこそ実現し...
独り言

男なら闘って強く生きろ

この世はなにもかも闘いだ、相手をたたきふせるか自分がたたきふせられるか、どちらか一つだ、その相手はときには人でないかもれない今の僕には闘う相手はこの病気、障害だ!自分を信じ、自分を強くしろ!自分を信じて闘え!闘い抜けそれで負けても本望だ闘わずして負けるのは後悔しか残らない、メディアなどに惑わされているのはそれだけですでに敗北者だ、しっかりしろ
独り言

素晴らしき我が人生

生まれて3か月で肺炎を患い、死の宣告・・いじめられっ子だった小学生時代・・運動神経もよくもなく、肥満気味だった小学生時代そんなどんくさい僕が中学生時になって、周りを見返したくて入ったクラブが水泳部・・日体大出身のスパルタ方式の監督の下1日に2万メートルもの練習をこなし、体力のなかった僕はいつの間にかそこそこ体力や筋力がつきスポーツが誇れる人間に変わった大学では理系の化学工学を専攻・・卒業後大手化学メーカーに就職・・万事順調と思ったら何を思ったのか理系で口下手な僕が時流(当時はバブル経済の真っ盛り・・)に踊らされてなんとコンサルティング会社に転職・・口下手が災いしてかなり苦しむそれでも仕事だからと必死になったおかげでいつのまにか2時間程度の講演ができるようになったと思ったら今度はWINDOWS95の普及と同時にインターネットが普及し始めた時流に乗らねばと、プログラムにど素人の僕がIT企業に転職案の定プログラムの基礎も知らない僕は七転八倒・・そして何をとち狂ったか自ら会社を興し起業した。元々経営者の器なんてない僕・・他の零細企業と同様に気が付いたら銀行からの借入金まみれ・・・ストレスが最高...
人間の生き方

忍耐・努力

忍耐・努力、、、あまりにも平易で、今の時代に合わない言葉かもしれないでも、身体障害者になってしまった今の僕にとって最も大切で大事なそしてこの身体で生き抜くために僕に必要な事かもしれない僕が学校を卒業し就職して、自宅から社員寮に引っ越すときに持たせてくれた父が中学生を卒業して大阪に丁稚奉公に出るときに彫ったという彫り物(僕の部屋に掛けてある)が今、突然目に入ってきた、、そこに書かれている四文字が、、忍耐・努力だとても平易な言葉で今の時代には合わないような言葉、、でもそれは今、僕に一番必要な事これが目に入った瞬間、この四文字が僕の心の奥まで飛びこんできたような気がした頑張れ、まだ諦めるな、、と言わんとしているように。