人間の生き方

一杯のかけそば

久しぶりに感動する話、、よく知られた話だそうだが、、---------------ここから----------------------この物語は、今から35年ほど前の12月31日、札幌の街にあるそば屋「北海亭」での出来事から始まる。そば屋にとって一番のかき入れ時は大晦日である。北海亭もこの日ばかりは朝からてんてこ舞の忙しさだった。いつもは夜の12時過ぎまで賑やかな表通りだが、夕方になるにつれ家路につく人々の足も速くなる。10時を回ると北海亭の客足もぱったりと止まる。頃合いを見計らって、人はいいのだが無愛想な主人に代わって、常連客から女将さんと呼ばれているその妻は、忙しかった1日をねぎらう、大入り袋と土産のそばを持たせて、パートタイムの従業員を帰した。最後の客が店を出たところで、そろそろ表の暖簾を下げようかと話をしていた時、入口の戸がガラガラガラと力無く開いて、2人の子どもを連れた女性が入ってきた。6歳と10歳くらいの男の子は真新しい揃いのトレーニングウェア姿で、女性は季節はずれのチェックの半コートを着ていた。「いらっしゃいませ!」と迎える女将に、その女性はおずおずと言った。「あのー……...
人間について

痺れと痛みが薄れたのはいいけど、、

ネットで見つけた視床痛に効果があるという漢方薬 疎経活血湯、、確かに効いているようだ!昨日と今日はほとんど痺れがない!でも、人間って不思議で皮肉なもんだ死にたいと思うほどの痺れと痛みがあるときは、この痺れと痛みがきえなければ、左手足が麻痺した事による不自由なんか何でもない!工夫すれば何とかなる!なんて豪語していたのに、、いざ、痺れと痛みが和らいでくると手足の不自由が気になり出したそして苦痛に感じてきた、、人間の感情って皮肉だな
独り言

「簡単な」事ほどできないという悔しさ

片麻痺という障害、、この不自由さ、健常者には理解し難いだろう一番悔しいのは一般的に簡単だと言われる事(作業)が難しいというときだ頭は働くので、例えばPCなどで長文の提案書やレポートを書くのはそれほど難しくないでも、一般に簡単な事務作業と言われる事がとても難しいのだ、例えば、ファイリング作業書類に2穴パンチで穴を開けるこんな事がヤケに難しいのだ片手でキチンと書類を揃える事ができない揃えた書類を「そのまま」2穴パンチに挟むこれも難しい揃えた書類がすぐにズレてくるやっとの事で2穴パンチで穴を開ける事ができたら、今度はファイリングだこれがものすごく高いハードルなのだ片手で開けた穴をズラさず、ファイルのリングに通す、、これができない!穴にリングを通そうとすると、書類の穴がズレる!一旦書類の穴がズレたら最後、片手では穴を合わせるように書類を揃える事はほぼ不可能最悪書類を一枚ずつファイリングする事になる、、まさに悪戦苦闘だこんな状態だ、、こんな簡単な事ができない!一般的に考える「難しい事」ができないなら仕方がないと諦めもつくでも、こんな(健常者だったら)恐ろしく簡単事ができない!こんなとき、本当に本...
人間について

本当のことを伝えるのが一番難しい

いつだって本当の気持を話そうとすると、それがいちばんむずかしくって厄介だってことがわかるとてつもなく厄介なことだってな・・夫婦の会話でも・・仕事における上司との会話でも・・病院での医者との会話でも・・本当の気持を話し伝えるのが一番厄介だ・・なぜだろう・・
人間について

生きられる限り生き抜く

脳出血(被郭出血)の死亡率は65%だという・・あの桑名正博さんも脳幹出血で死んでしまった僕もモヤモヤ病(ウィリス動脈輪閉塞症)を起因とする出血だから(後から聞いたんだけど)脳のほぼ中心部からかなりの出血があったそうだだから死亡率は高かったそうだでも、残り35%の中に入り、なぜだか僕は今生きているこな死亡率の高いなかでせっかく一命を取り留めたんだ何か意味がある・・と思いたいまだきっとやるべきことがあるんだと・・だからどんなに後遺症が辛くても、死にたいと思うくらい辛いときもあるけれど、生きられる限り生き抜きたいそしてこの身体でできることを、そして少しでも人の役に立つことを不完全かもしれないけれど、精一杯生きて、精一杯やりぬき、生きられる限り生き抜く僕には(非科学的だけど)「生命力」のようなものがあると自分で自分を信じよう
独り言

心の借りが僕の意欲?

脳出血を発症してから家族にも親にも心配をかけたし、僕を勇気付けてくれた。NPO法人の立ち上げにいろんな形で支援してくれた仲間感謝しているこれは僕の「心の借り」だと思っている必ず何かの形で返さなければならないと心の中で思っているその「心の借り」が僕が障害者でも役に立つ人間でありたいと感じている根源なのかもしれない借りは返す恩には報いたい役に立つ人間でありたい事にこだわるのはもしかしたら、そんな単純な心のあらわれかもしれない。
独り言

日曜日、、

日曜日、、障害者になってから日曜日の過ごし方、変わったな、、ほとんどベッドの上で過ごしている外出もしなくなった元気な頃は、息子近くの河原で遊んだりしたよな男と男の遊びサッカー、キャッチボールそんな事も、もうできない身体が不自由で、左半身が異様に重いから外出も少なくなったというかほとんど外出しないいけないな分かっているんだけど、「遊ぼう」という気になれない仕事なら使命感で身体が動くどんなに辛くても食っていかなきゃいけないからでもこんな日曜日、、家族には申し訳ない思ってる
人間の生き方

いつも明日の話ができる自分でいたい

何でも良い明日の話がしたい明日の話ができているとき、僕はなぜかホッとするそれはたぶん明日の話ができる事は「未来」の話ができていると感じる事ができ、自分にも未来があるんだ思えるからだろうだから僕は明日の話が好き未来の話は希望の兆しだと思えるから
人間の生き方

僕にとって経済的成功は、、、

人生における「成功」って、多くの場合、経済的成功を意味するそれはこの世の中が、資本主義社会である以上仕方がない僕も会社をやっている頃は会社の売上或いは利益、つまり経済的成功が僕にとって大きな目標でもあり、モチベーションになったでも、障害者になってしまった今、経済的成功は僕にとって何の魅力もなく、何のモチベーションにもならなくなったもちろん、貨幣経済社会である以上、生きていく上で、ある程度たお金は必要だ。でも、以前の倒れる前の僕のように(多くの起業家もそうであるように)必要以上の経済的成功は今の僕には必要無い。なぜなら、何億円積んだって、何兆円積んだって、僕の身体は元には戻らないからだから、以前のように優雅な暮らしや贅沢には何の興味もないだって、例えば大きな家を購入できたとしても、海外旅行で大きな高級リゾートホテルに泊まったとしても、この不自由な身体では辛いだけ、、プールがあっても泳ぐことさえできない以前の僕なら、泳ぐ事自体に快感があったけど、今の僕には辛いだけ、だから、必要以上のお金には何の興味もない唯一、今の僕のモチベーションになる事は「人の役に立つ人間」になる事障害者でも何か人の役...
人間について

役立たず・・って思われるのが一番つらい

たとえ障害者であっても何らかの人の役に立つ人間でありたいそして健常者に負けたくないこれが僕の今の一番の志・・なぜなら・・左半身不随になった当初、僕は人に世話をしてもらうしか生きていけないその感じは・役立たずな人間になってしまったという思いだった。この感覚は実際に身体機能を失った経験がないと分からないだろう当たり前にできたことができないそして男として・・男だからできること、家内に代わってやってあげたことちょっとしたことかもしれないけど例えば家電の配線や電灯の電球の取り替え・・片手では無理、、片足立ちができないし、、つま先立ちができず、しゃがむ事すらできないから、そんなことすらできなくなってしまうと・・役立たずな人間になってしまった・・と感じるものだ「自分が役立たず」って感じることがこれほど辛いとは思ってもいなかっただから今、僕は人一倍「人の役に立つ人間になりたい、役に立つ人間であり続けたい」そんな思いが強いでも身体が不自由で痛みと痺れが激しいと気弱になるものだ・・つい先日まで気弱だった痛みと痺れが激しかったから・・・でも漢方のおかげかこの2、3日痛みと痺れが和らぎ強気になるつつある。今僕...