人間の生き方

他人事ではなくなったから・・

脳出血を起こして半身不随という障害者になってその苦しみを味わってわかったことそれは死ぬことよりつらい「生きる」というものが存在するということそしてそんな辛い「生きる」の中で生き続けている人がたくさんいることそういう人が過去にもたくさんいたこと僕なんかよりはるかに苦しみながら生き抜いている(いた)人たちが・・それはぼくのような病気で苦しんでいる人たちだけでなく、今も中東などの紛争地帯における残虐行為により苦しんでいる人々も含めてである・・そして僕は今やっと、そういう苦しんでいる人たちのことを、少しは自分の事として捉えることができるようになったような気がする僕自身が生きる苦しみというものを少しは知ったからかもれないそして釈迦が言ったという人間の人生は苦しみに満ちているという意味の「一切皆苦」という言葉が今の僕のこの身にこの心に染みる・・それまでの僕は、どこかそういう人の事を聞いても、ニュース映像なんかで見ても心のどこかで他人事だったような気がするでも、今は、そういったニュースを聞くだけで自分の胸が締め付けられるほどの辛い思いを感じる事が多い病気を通して少しはマシな人間になれたのかもしれない...
人間の生き方

全てを失ったわけではない

大切なものをたくさん失ったけどもう二度と元に戻らないもう二度と手にすることのできないそんな大切なものたくさん失った散歩という楽しみ泳ぐとい爽快さ走るという爽快さありとあらゆる運動機能一生懸命守ってきた小さかったけど自分の会社ほんの小さな夫としての父親としてのプライドさえも失いかけたでも「すべて」を失ったわけではない僕の胸の奥には熱い心だけは残っているそして今、僕は思う悲しまない怒らないときどき悲しみのあまり、僕の心が怒りに変わることがあるでも怒りは他人を傷つける怒りとは他人を傷つけているだけでなく自分自身が苦しんでいる証拠だと最近分かってきただから、怒ることは自分自身を破壊してしまうと思うだから悲しくても悲しまない悔しくても悲しくても怒らない怒ると自分自身が「怒りそのもの」になってしまうような気がするから悲しむと自分自身が「悲しみそのもの」になってしまうような気がするから全てを失ったわけではないのだから、この心がある限り・・
独り言

この身体で家事は・・さすがにキツ・・・(-"-)

今、家内と息子が8月1日から義母の住む長野に夏休みの遊びに行ってしまってから一人暮らしである・・複雑な心境である健常者なら「久しぶりの独身貴族」だなんて喜んでいられるんだろうけど・・今の僕にはキツい!苦痛である今やっている仕事(食っていくための仕事)から帰宅できるのは21時は過ぎる・・それから食事の用意である僕は昔から基本的に外食はしない。なぜなら自分で作った料理の方が(少なくとも僕にとっては)旨いからでも右手片手だけで、しかも痛み不自由な左半身をひきずりながら・・これはさすがにキツい・・いろんなこと(たとえば野菜一つ刻むのも片手だけでは一苦労だ)キッチンをウロチョロするだけえでも麻痺した左足にも堪える・・痛む食事が出来上がった頃にはもう疲れ切っている食べる気も失せそうになるさあそれからも大変、風呂掃除&風呂沸かしであると同時に洗濯の準備・・入浴と同時に洗濯機を回す・・風呂上あがりには脱水できた洗濯物を干すこれも片手ではかなりツライ・・終わった頃にはもう疲れ果て何もする気はおこらないテレビさえも見る気がしないとにかくベッドに横になりたい一心でベッドに横になり一気に就寝最近7日はこんな毎...
人間について

人事を尽くして天命を待つ

人事を尽くして天命を待つ・・というけれど・・今僕はまさにその状況・・この身体でやれるべきはやった・・細かい失敗もしたけれど・・それはそれ、そのとき良かれと考えて精一杯の行動の結果である後悔しても始まらないあとは待つのみ・・・待つというのは本当に心のコントロールが難しい今回の結果によってシンガポールに会社設立できるかどうかが決まるから・・気が焦る・・悪い方向に考えてしまったりもするシンガポールに会社設立さえできれば・・大きな飛躍だ日本の環境技術の世界への普及の一大拠点にするつもりだ。今はただ待つのみ・・
人間の生き方

「普通」「平穏無事」が一番幸せ、そしてそれが一番難しい

大金持ちになったら幸せか事業に成功したら幸せか志を達成したら幸せか僕は少なくとも、この3つのどれかが叶えられたら幸せな人生だと思っていたでも、今は違う。大金持ちになってもいつかは病気になり死ぬ事業に成功してもを患うこともあるあの巨人の長嶋さんだって自分の志は(ほとんど)達成していたのではないだろうかでも脳梗塞に倒れ、今は障害者だ。今はキャッチボールすらできないきっと今の長嶋さんは苦悩に満ちていると思う。少なくとも「平穏無事」ではないはず・・大金持ちになることよりも事業に成功することよりも志を達成することよりも何もできなくても、ごく「普通」にそして「平穏無事」に一生を送ることの方がはるかに難しいそしてその「普通の人生」こそが一番幸せだと今僕は思うのだよく、女性の人で玉の輿なんて必要ないのごく「平凡な家庭」でいいのなんて言う人がときどきいるけれど「平凡」こそが最も幸せで、そして最も難しいと僕は思う