人間について

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あの世なんて存在しない方が良い、死後は無になったほうが良いと考えるようになった理由

僕は死後にあの世なんて存在せずに、無になった方が絶対に楽だと考えています。あの世という世界を考えたのは人間は自分が死んだとき、自分の「意識」までも消滅するとは考えにくいからだと思います。それと自分で意識が消滅するということを想像することが難しいと同時にある意味恐怖感を抱くからではないでしょうか。でも僕は違います。僕が「あの世なんて存在しない方が良い」「死後に魂なんて起こらない方が良い」と考えるようになったのは、脳出血で障害を負った当初、「自分は何の役に立たない人間になってしまった」という思い駆られ自暴自棄になってしまった時のことです。自宅に居ても常時ベッドに寝ているだけ1日24時間天井を見ながら過ごす日が続きました。このとき味わった強烈な「孤独感」です。この孤独感というものは地獄でした。(多分味わったことのない方には理解し難いと思いますが、)役に立たない人間であると感じていると同時に人とのコミュニケーションが絶たれる状態と言うのは予想以上に辛いものです。この時に思ったのです。死後、肉体が滅び、「魂」とかいうものだけが残ったとしたら同じ状態ではないだろうか「魂」には意識だけは存在するけれ...
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悔しくて、悔しくて、悔しくて、もどかしくて、もどかしくて、悔しくて、悔しくて、

今日エンジニアの会合があったのは、マンションの一室だった。ひとしきり、話が終わり解散となって皆が帰るとき、僕も玄関に行って靴を履こうとした。マンションだから、かまちがない部屋と玄関の段差は、ほんの1センチほどだ。僕は、左足が麻痺してつま先ではうまくバランスがとれないので「しゃがむ」ことができない。だから靴を履くときには最低でも30センチくらいの高さのかまちかもしくは椅子に座った状態でないと、靴を履くことができない。そんなことは分かっていた。でも立ったまま少し膝を曲げて履いてみようと挑戦してみた。しかし・・案の定その場で転んでしまった。いったん転んでしまうと、左手は全く力が入らないし左足も力が弱くバランスがとれないので、で立ち上がることがとても難しい。右足と右手だけで立ち上がらなければならない。周りの人達は、「大丈夫ですか」「どうすれば良いですか」と手助けをしてくれようとした。それはありがたい感謝の気持ちが湧いてくる。でも・・・僕の心の中は、情けない・・情けない・・情けない・・そして悔しい・・悔しい・・悔しい・・靴を履くことさえまともにできないのか・・・そんな思いが心の中に走り回るなんだ...
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ありがとうと言われたい、ただそれだけ

ありがとうただ「ありがとう」と言われたいだけなのです。先日僕がやろうとしているNPO法人の事業についてある社長に話をしましたところ「そんなビジネスモデルでどうやって収益を出すの?」といろいろビジネスとしてのあるいは事業としての課題を指摘されました。入っていることはもっともな話でした。これを一般の企業のように「収益の最大化」を目的とするならば、指摘された課題やアドバイスは正しいと思います。企業が「利益を最大化」できるということは、その企業が出すサービスや製品が、世の中から必要とされている証拠であり、そのことによって雇用創出できるとよく言われます。確かにそのとおりでしょう。でも僕は今回の事業をはじめようとしたきっかけは、障害者になってしまったとき、自分はもう役に立たない人間になってしまったのではないだろうかという言葉には表すことのできない何とも言えない挫折感・失望・喪失感などを乗り越えるため、障害者になってしまった自分がまだ役に立つ人間であるのかということを確かめたい、いや何としても役に立つ人間であり続けたい、そしてたとえ障害者であっても人の介助を受けながら生きていくような人生を送りたくな...
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後振り向かない。過去は忘れた。

どんなに悲しかろうがどんなに憎い出来事だったろうがもう後は絶対に振り向かない。もう過去は忘れた。前を向いて、前を向いて、前を向いて、そして前を向いて、どんなに痛かろうが体が動かずどんなに苦しかろうが、どんなに情けないと感じようが、負けてたまるか!何が何でも実現する!何を言われても構わない。ただ一筋にわが道を行く!
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「ワクワク」と元気こそが知恵とアイデアの源泉だ(品川社長、ありがとう)

今日は東大阪のモノづくり企業を支援している株式会社ロダン21という会社にうかがいました。この会社は東大阪の町工場などの製造業の支援をあらゆる方面でサポートしている会社です。株式会社ロダン21今NPO法人でやろうとしている事業を当初一般法人でやろうとしていたころから相談させていただいていた会社です。NPO法人の話が舞い込んできてから長い間お話しできてなかったので、今日状況報告も兼ねて、お伺いしました。この会社の社長さんである品川社長はよくテレビにも出演されている方で、知る人ぞ知る社長です。本日お伺いしたときこの品川社長とお話ができた。まさか社長と直接お話ができるとは思っていなかった。今日はお話をさせていただいて本当によかった。破天荒な社長という感じで、東大阪の製造業にハッパをかけておられるだけのことはあるってオーラを感じました。そしていろんなアイデアをたくさんいただきました。そのアイデアというのはあまりにも突飛に感じるようなアイデアでした。昔の僕だったら、「そんなことできるわけがない」と思っていたでしょう。でも今日の僕はお話をした後、ワクワクしてたまりませんでした!今日僕は品川社長から「...
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明日があると思えるからこそ・・

あしたを信じることができるというのはとてもすばらしいことだと思う。僕は一昨年障害を負ったときのある日、明日がある~♪明日がある~♪明日がある~さ~♪という歌詞の歌を聞いたとき、こんな歌を歌うことができるなんてうらやましいと思ったことがある。「今日は駄目でも明日があるさ」そんな感じの意味での元気づけるための歌なんだろうが、僕にとっては全く激励にもならなかった。なぜなら明日(未来)があるとはとても思えなかったからだ。今日は駄目でも明日がんばろう。と思えること自体とても幸せなことだと思う。でも僕のように病気でなくとも明日を信じることができない人が今の世の中には沢山いるような気がする。特に今の若者はそんな感じがする。明日があると信じるためには、夢や希望がなければならないと思う。そしてその夢の希望は自分の心の中にあるものだ。僕は最近、新しい人に出会うたびに新たなアイデアをいただける。そしてそれをヒントに新たな夢や希望を考えることができる。そんな時こそ「明日がある」だから今日は駄目でも明日もまた頑張ろうという気持ちになれる。人は明日があると思えるからこそ今を生きていくことができるのだ。明日を信じる...
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自分を信じないと苦境なんて乗り切れない。

苦境を乗り切るためには自分を信じるしかないと思う。人は生きていく上で様々な壁にぶつかり、様々な苦境に出会うものだ。次々とこれでもかと苦境の波は押し寄せてくる!もうダメかもしれない。そんな気持ちになることが多々ある。そんな苦境を乗り切るために最も必要なことは自分を信じることだと僕は思います。僕は一時期リハビリを頑張ることが出来なくなっていました。頑張ることができっていなかったのか。。それは僕と同じような片麻痺の障害者が発症から10年近く経過しているにもかかわらず、回復していないという現実を見たからですですそれを見たとき僕は「10年経っても回復しないんだ」という絶望的な気持ちになったことを覚えています。そのとき僕は他の人ができないのだから自分もできない。と勝手に思い込んでいました。自分の回復を信じることができてなかったのです。つまり自分自身(自分の生命力とでもいえばよいのか分かりませんが)を信じることができていなかったのです。人はなぜ頑張ることができないのかということを自分自身と照らし合わせて突き詰めて考えていくと究極的には自分を信じることができていないのではないかという思いにたどり着きま...
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あるがままを受け入れることで希望を持つことができる。

自分の身の回りに起こる世の中のあらゆる事象をあるがままに受け入れる事はとても難しい。・苦境をあるがままに受け入れる・病気をあるがままに受け入れる受け入れるということは妥協することとは違うと思う。「捉え方」だと思う。病気や苦境はに出会うと人間だから悲しみや怒りが心の中に生まれてしまいがちだ。でも怒りや悲しみや憎しみは事象を正しく捉えることに邪魔になるだけだ。そういった感情は襲ってきた苦境の問題の本質を捉えることができなくしててしまう。その結果問題の本質が見えないため解決策も見えない。だから心が閉塞感に覆われてしまいます。そうなってしまうと、何事に対しても否定的に捉えてしまうものだ。そして意欲がなくなる。意欲がなくなるから支援のアイデアもわ沸かなくなり行動もできなくなる。そうなってしまうと苦境を脱することは絶対にできない。苦境をアルバムに受け入れられない最大の理由は自我の存在であると思う。自我とは、自分が過去から積み上げた「こだわり」の一種だと思う。「こだわり」は自分を苦しめる。往々にして苦境が襲ってきた時には「こだわり」を捨てなければならない状況に、追い込まれることが多いと思う。「こだわ...
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良かれと思って・・

良かれと思って良かれと思ってはからったことや言った事が良かれと思ったようにならなくて、思いもかけぬ反対の結果を生み出すことがある。そして思わぬ反発を招くことがある。人を傷つけ、憎しみまで買ってしまうこともある。思いが足りないのか、はからいが足りないのかいろいろ原因はあるのだろうけど、やはりそこには「私心」があり、「策」を弄したという感が心に残る「私心」はどこまでいっても自分が中心であり相手のことを考えているようで、所詮は「自分のため」という感を否めないものではないか。そして「策」はどこまでいっても、所詮は「策」なのだろう「策」には私心が篭ってしまうのだろう。出来る限り自然体で向き合い、私心なく振舞うことが大切なんだろうそのためにはそれ相当の修練が必要になるのだろう。そんなことが起こったときには、自らをもう一度振り返り、心静かに反省することが大切なんだろうまだまだ修練が足りない自分を痛感する。
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自我なんて

自我自我なんて無くなればいい。自我が存在するから苦しむ先日、東京都知事選に出馬する「ワタミ」の元社長、渡辺さんが「人生は自分が主人公でなければならない」などと言っていた。たしかにそうかも知れない。でも映画の主人公なら必ず助かる。でも僕は自分が主人公だなんて意識すると恐ろしく辛い。ここ数日どうもいかん。自我を捨て切れていない。だからむやみに苦しむ。わけもなく他人の恨みたくなる。。八つ当たりしたくなるそして麻痺の辛さに耐え切れなくなる。なんで今頃になって、なんでこんなに辛く思うんだ・・もうを乗り越えたはずじゃないのか・・無になることができていない、、自我はこだわりを生み、世の中に対する偏見を生むだから苦しむ。気候のせいだろうか気候のせいになんかしたくない。自分は主人公なんかではなく無でありたい心を無にしたい。なんだかつながりが欲しい。でも、誰かの世話になりながら生きるなんて死んでもイヤだ。まだまだ煩悩だらけだな・・自我だらけまだまだ弱いなあ。