人間について

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願いはかなう

Ameba人気ブログランキング2010年06月度 月間段位アップ賞 「願いはきっとかなうよ♪」カードAmeba人気ブログランキング>>願いはきっとかなうと信じること、これが人間にとって大きな力になると思う。希望とは世界の状態ではなく心の状態である。 希望、この深く力強い感覚は、 物事がうまくいっているときの喜びや成功が明らかな企業に投資する意欲などとはまったく異なるものだ。 むしろ、価値があるという理由で働くことのできる能力である。
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後悔の無い人生

脳出血で倒れるまで、全速力で走ってきた人生だった。障害を負ってからも全速力だった。猛烈に痺れる身体を引きずりながら、必死で仕事をしている。もし、今死んでも人生に後悔は無い、ベストを尽くせたと思う。無念だが、後悔はないと言い切れる。それだけが心の幸せだ。ただ、40歳過ぎて親の援助を受けてしまった自分は情けないと同時に親には感謝である。生きている限り、この恩には報いる。
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人間の脳の無限の可能性

人間の脳細胞の組織は米粒程度の大きさの中に10万個のニューロンとx200万本の軸索と100億個のシナプスのオン・オフ機能と相互のコミュニケーションで判断しており、その順列・組み合わせの数は 論理tr期には全宇宙素粒子量より多いというその順れる組み合わせ=全宇宙素粒子量より多いという論文を読んだことがあるということは、人間の脳の方がスパコンよりも情報処理能力があるのではないかある意味人間の直感の方が正しい判断である場合が多々あるのではないか人間の脳には無限の可能性があるのではないか
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人間の本質と人間の魅力。そして幸福について

義を見て為さざるは勇無き也り・・・武士道武士道精神は損得勘定をとらない。むしろ足らざることを誇りにする。才能とは自分自身を、自分の力を信じることであるやり甲斐、働き甲斐はやってみてはじめて出てくるやりもしない、働きもしないでどうしてそのような喜びを得られるだろうか生きがいにしてもそうだ精一杯生きる努力をしてはじめて生きる喜びを知るのだチャレンジして失敗を怖れるよりも何もしないことを怖れろこの地上に棲むあらゆる生き物のうちで人間だけが自分自身の生き方、あり方を変えられる人間のみが、自分の運命を築くことができる行動はいつも幸せをもたらすものではないが行動なくしては幸せはない幸福とは、旅の目的地のことではなく旅のしかたのことである自分の心の弱さ以外には越えられない障害など存在しない日本人は桜を好み西洋人は薔薇を好む桜:美しく散るもの薔薇:花弁を残して枯れるもの
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喪失から新たな創出が生まれる

僕は脳出血で実は「死んだ」のである。 今ここにいる私は以前の私でもない 「生まれ変わり」でもない 諸行無常・・ 物もいつかは壊れる。人間いつかは死を迎える 日々何もかも変化している。この世に永遠に続くものなどない 星ももこの地球もいつかは消滅するのだ。 しかし、人は現在の「ごく普通の幸せ」が永遠に続くものとどこかで思っている 世の中の万物いつかは壊れ、消滅していく 人間もいつかは必ず死を迎える 人はそれが怖い、「自分」が永遠でありたい。なにもかも永遠であってほしい そこから、宗教が生まれたのであろう。「神」の存在を信じたいことから生まれたであろうと思うに至った キリスト教や、イスラム教は死んでも、「神の世界に召される」ことで苦しい世の中での「死」や「消滅」の恐怖から逃れたい心理から生まれたのではないかと思う 仏教の「輪廻転生」の教えは釈迦が、 「永遠でありたい」と言う気持ちから考え出したのではないかと思う。 つまり、死を迎えても魂は残り別の何かに生まれ変わるんだと信じることで、肉体は滅んでも魂だけは残り、別の生き物に宿るということで、釈迦は「永遠」を信じようしたのではないだろうか。 で...
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捉われない心

捉われない心人はともすると心が捉われてしまう悲しみに捉われ怒りに捉われ憎しみに捉われ心が動かなくなってしまうそうなってしまうと何も出来なくなってしまう心が前に向かないからだ。捉われない心にどうすれば良いのだろうやはり「空」を目指していかなければならないのだろう。
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天国も地獄も自分の心の中にある

喜びも悲しみも人間の心の問題であると最近思う。悲しいと思うことも、辛い思うことも所詮は自分の心の持ち方だと障害を負ってから本当に気づいた。肉体的痛み苦痛さえも心の持ち方で癒えることに気づいた。障害を負ってしまい、以前のような体力自慢の自分でなくなった(たぶん2008年11月20日以前の私は死んだ)ことは、とてもかなしいけど、心の持ち方によって、悲しみも憎しみも、恐怖も肉体的苦痛さえ癒やすことができることを悟れたことは感謝です。たぶん障害を負っていなっかったら、気づかなかったでしょう。きっと今でも親会社に振り回され、些細な?ことで怒り、悲しみ、憤りを感じ、自分の会社の将来に恐怖を感じていたことでしょう。まもなく息子の大手術ですが、そのことに対して、今の私に悲しみや心苦しみは限りなく少ない。何があってもそれ息子の運命である、生命力の結果だ。と思え、息子の生命力を信じることができるようになっている。天国も地獄もあの世にあるのではない。自分の心の中にある
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未だに世の中はマネーゲームだらけ

FX投資会社がなんとテレビコマーシャルしている。 マネーゲームへのお誘いか・・ 一昨年、リーマンブラザーズの破綻であれだけの世界的経済危機起こしたばかりなのに・・ メーカーの工場の人たちが汗水たらしてが必死で製品のコストダウンしてやっとのことで価格競争力をつけたら、為替が円高に振れて、水の泡・・ その為替差益を貪り食って生きている金融屋・・本来なら、工場の従業員達が受けるべき恩恵を 「ドルを売った、円を買った」のマネーゲームで、汗もかかずに横取りする連中・・ 金融屋はえら偉そうに言う「金融は経済の血液だ」と・・ でも実は金融屋は血管に猛毒な流し込んでいるのではないか。。
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人間は皆自意識過剰で当たり前

自意識過剰とは 他人が自分をどう見ているかを気にしすぎる状態。 反意語に、無意識過剰。 また、無意識過剰の隣接語として、オタクを採るという解釈もある人間は社会的動物である以前ににも書きましたが、孤独では生きていけない,だから自意識過剰になるのである自分が社会に受け入れられるのか?以前にも書きましたが、昨年のいま頃私は孤独感に苛まれ、何度も自殺を考えた時期でした。人間はコミュニケーションを断ち切られると生きていけない、長期間独房に入れられると発するのもこのせいだ。自分が世の中で認められているのか・・まだ自分に存在意義があるのか・・脳卒中などで身体の機能を失った人々のほとんどの人がもう自分は役に立たなくなったのではないかという心境に陥り自殺を試みるという。自意識過剰という言葉はときに悪いイメージ(「高慢」のようなイメージ)で捉えられるが、これは人間の本能だと思う。自分の存在を認めて欲しい・・これは人間だからこそである日本人に自殺者が多いのは自己アピールがヘタだからなのではないかと思う。自己の苦悩を自分の中に押し込めてしまう・・今の日本の中小企業のようなものだ。優秀な技術があるのにアピール下...
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世の中の役に立っているという感覚こそ人間の生きる力

自分が何らかの形で世の中の役に立っている・・この感覚この感覚こそが、人間が生きるための力であると思う。僕は去年のい今頃、半身麻痺になった現実に直面し、人間として当たり前にできることができなくなっている自分に愕然として、もう社会の役に立たない人間になっしまった。。いや世社会なんていうと大層に聞こえるが、社会の最初単位である、家族に何の役にも立たない人間になってしまった。。父親として、夫としての役割・・小さな会社でしたが、社長としての役・・全ての役割を果たせなくなった。死にたいと何度も本当に思った。そしてあるとき、残っている健常の右手で何ができないか・・いやまだ僕には右手があるではないか!左手でお茶碗を持ってお茶漬けを食べることはできないけれど右手でキーボードは何とかこうやって打てる。これで何かできないかと思い立ち、遅いタイピングで日本の環境・防災技術を世界に紹介するサイトを作り始めた。日本のモノ作り企業の役に立てるのではないか。現在景気の閉塞感の中で、日本の企業の発展の礎になれないか・・思って必死で片手でなんとか下記のサイトを作り上げた。他人からみれば、「思い上がり」かもしれない。自己満...