人間について

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希望や志に根拠なんて必要ない

僕は3年前、、半身不随の障害者になり、会社も生産、無職無収入で全く先が見えない状況だった。でもなぜか世の中の役に立つ人間でありたい。障害者でも健常者に負けないくらいの人間になれるはずだ。という漠然とした自分に対する自信というか自分を信じるように心がけてきた。そしてネガティブな気持ちにだけはならないように無私無欲の心境になるように心がけた。そうすることによって、憤りや怒り、悲しみといったものを和らげることができた。そして、大きな大きな夢をまず持つようにしてみた。目先の苦境には振り回されないように、目先苦しいことや悲しいことや憤りがあったときその夢だけを考えるようにしてきた。そのとてつもなく大きな夢や志を実現できる根拠なんて全くなかった。今から考えると夢や志に根拠なんて必要ないと感じている。夢や志とは確証された成功とは全く違うものだと思う。何の根拠がなくても誰かにできることを証明できなくても自分の心に夢や志を持つことが大切だと思う。そもそも夢や志に前例などない。だから夢であり志なのではないか。そこに「根拠」を求めたら、「過去」の実績でデータなどから「根拠」を作り上げなければならない。前例が...
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知る者は言わず、言う者は知らず

知る者は言わず、言う者は知らず。。か・・
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障害者の自分を好きになろう

もう障害者でになってしまったことをあることを嘆くのは止めよう脳出血の後遺症という病との闘いは好きじゃないけれどその闘いを楽しもう。どうやって克服するか知恵を出すことを楽しもうそしてそんな後遺症と闘って入いる自分を好きになろう。そんな障害者の自分を自分で愛することにしよう。そうすればこの障害さえも決して嘆くものではなく、豊かな個性の一つと思えるかも知れないから・・
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まだ思考と行動のギャップに苦しむ自分

思ったように行動できない。苛立ちがつのる左半身麻痺になってからもう3年も経つというのに、まだ思考とできる事とのギャップが激しく解離している。「心の中ではもう健常者じゃないのだから、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、」と 自分を言い聞かせてきたのだけれど、、 思考のほうが先走る、、 思考先走り、身体が付いていけないと 焦る、苛立つ、そんな焦りから 怒りが沸き起こる。 そしてそのうち、怒りが悲しみに変わる。 無視無欲、無視無欲、無視無欲、 焦る自我を 怒る自我を悲しむ自我を無くしてしまいたい。思考に身体か付いて行けないときに限って、 健常者だったら こうできるのに、、こうできたのに、、 間に合ったのに、、間に合えば上手くいったのに、、 身体の動きが遅いせいでタイミングをはずしてしまうから上手くいかない苛立ち。 老いるという事はこういう事かも知れないと感じる老いは20年、30年かけて、徐々に身体の動き鈍くなってくるから受け入れられるのかも知れない。僕はある日突然、身体の自由が思考通りに「思うように」 動かなくなったから受け入れる事が難しいのかも知れない、 まぁ、そんな事、考えても仕方がない。 思...
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メガソーラーからスマートシティ構築へ

これまで九州のメガソーラープロジェクト構築実現に向けて取り組んできたがなんと来年はわがNPO法人が繋ぎ役で本格的なスマートシティ構築構想を実現するプロジェクトが進み始めそうだ。スマートシティ構築のための最新技術を持つ企業ルートはほとんどそろっている* メガソーラー技術* NASバッテリーを超える大容量・長寿命(30年寿命)の蓄電池技術* 最新小水力発電技術* 最新型の風力発電技術これらを組み合わせればスマートシティ構築は可能だあとはどういうステップでどの企業のどんな役割分担をしてもらうかが肝になる もう一つ必要な技術、それはスマートメーターとそれを一括管理するシステム構築だ。その技術は今東芝がスイスの大手スマートメーター起業と資本提携して技術開発を進めようとしている更にシステム構築はNTTファシリティが現在進めようとしている。これらをどう束ねるか・・今月に入ってフィールドも与えられた。大阪梅田北ヤードに進められているうめきたグランフロント大阪のナレッジキャピタルだ。グランフロント大阪のナレッジキャピタルここを拠点に活動を開始できることになった。来年は忙しくなりそうだ。できるかなこの身体...
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残り少ない命を精一杯生きる

もやもや病が起因の脳出血・・10年以内の再出血の確率60%以上再出血=死残り少ない命であることは覚悟しているだからこそ悔いのないように精一杯生きるどんなに苦境でも希望も志も絶対に捨てない。障害者でもどこまでできるか挑戦だ。結果が出なくてもよい「成功」しなくてもよい悔いのない状態で死ねればそれが本望だ。
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失敗で終わるから失敗になる 成功するまでやったら成功や

失敗で終わるから失敗になる成功するまでやり続ければ成功になる脳卒中で挫折したままで終わるから挫折の人生になる!挫折を乗り越えたら、希望が待ってる 志が叶う!歩くスピードは健常者の10分の1だけど左手は全く使えず、タイピングも遅いけど健常者には負けられへん!負けたらそこで終わりや身体は思うように動かないけど、幸い頭は冴えてる自分が動くことができないのなら出来る人に頼めば何とかなるせやから絶対に負けない! 諦めない!障害者でも健常者にできないことができることを証明してみせる!挫折のままで諦めたら、本当に挫折になる
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スマートシティより疼痛を何とかしてくれ

明後日は、とある県議会議員と面談でスマートシティのモデル地区構築の提案をする。そのため、この3日間は提案書作成のためずっとPCとにらめっこだった。なんとか30ページの提案書が完成した。。しかし、、根を詰めたせいか左半身の疼痛が痛い!痺れる!左半身が頭のてっぺんから足の爪先まで痺れてるなんとかしてくれ!辛い!スマートシティ構築もいいけど、今の僕に必要なのはこの苦悶するような疼痛を排除することだ。なんとかならんのか・・この後遺症・・24時間四六時中365日痺れてる・・苦しい・・
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我欲をなくしたい。

我欲をなくしたい・・人は我欲があるから苦しむと思う。人の持つ我欲が100%満たされることはない。そして生身の人間である以上、仏でもない限り我欲をなくすことなんて不可能であることも分かっている。半身付随の障害者になってしまってからというもの、人から介助または介護を受けなければ生きていけないような僕にとっては「役に立たない人間」にだけはなりたくないという思いだけで「障害者でも役に立つ人間でありたい」と考え、この身体でできる限りのことはやってきたつもりだ。でも最近そんな「障害者でも役に立つ人間でありたい」という自分の想いさえ我欲ではないのかと感じている。だからなかなかそんな風になれない自分に苦しむ。悔しい普通に歩けるだけので良い・・それさえできない。自分の思考に身体がついてきてくれない。普通に両手を使って書類整理することさえ手間取ることに悔しい思いを感じてしまう。これも我欲だ。健常者のようにごく普通に左手でお茶碗を持ってご飯を食べたい。そのことに悔しさを感じるということは、そんなことさえ自分の我欲だと感じる。健常者に戻りたいという無理難題、無理だとわかっていても求めてしまう我欲だから我欲をな...
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希望の中にに我欲は存在しない

事業に成功したいお金持ちになりたい これらは希望ではなく我欲である希望と我欲とは全く違うものであると思う 希望とは将来必ず価値があると信じて活動できる事であるつまり自分を信じるところから希望が生まれるのではないかと思う。希望のある環境とか希望のない環境希望は環境の問題ではないと思う僕のような障害者という身体の状態の問題でもないと思う。たとえ障害者となってしまっても希望を持つのは人の心の中だ。そりゃあ、健常者と比較されれば何をやるのも遅い。 できないこともたくさんある。でもやれることの中から希望を見出すのは自分しかいない。自分が諦めたら、自分に価値がないと自分で思ってしまったらそこで希望は終わりだ。だから僕は諦めたくない。自分で持った希望を・・きっと価値がある(自分だけでなく社会にとっても)と信じているから・・人が何と言おうと僕が僕を信じているから、、それでいいじゃないか。