人間について

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発言に責任を持たないネットユーザー

最近思うんだけど・・特にTwitter・・僕はTwitterみたいな短い文章で考えをキチンと伝えられる訳がないと思うからTwitterはキライで全くやらなしんだけど・・気になるのはいわゆる「公人」は実名で発言して不用意な発言をするとも猛烈は批判にさらされるでもその批判する方はほとんどHN(ハンドルネーム)つまり基本的に匿名・・これってズルいんじゃない?実名を出している「公人」と不平等では?ネット上の情報ってほとんど全てがこんなHNからの発信情報だから虚報のような感じがするその最大に理由は情報発信者のほとんどがHN(ハンドルネーム)か匿名だから情報に確信が持てない。これっていいのかな・・?僕は少なくとも(自慢するつもりじゃないけど)ここではすべて赤裸々に自分をディスクローズしているつもりたぶん僕の名前でGoogleMAPで検索すると僕の住まいまで分かるあ!猫画が隣の写ってるわ・・笑でも気にしてないなんで皆実名が怖いのだろう??僕は障害者だけど隠すつもりも全くないなぜって、、障害者ということが別に恥ずべきことでもないしそもそも後ろめたい事などひとつもないし僕を襲いにくるヤツもいないだろう巨...
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本当の味方というものは・・

本当の味方の果たすべき役割は、間違っているときにも味方することである正しいときにはだれだって味方になってくれる。 それは決して「味方の間違いを肯定する」ということではなく「味方を守る」ということ以外のなにものでもないと思う「味方(従業員)の間違い」は守ったあとで修正してやればそれでいいそれが社長の仕事だと僕は少なくとも思っていたつもりだ-広告-太陽光発電物件投資
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痛いな・・

痛い・・いつまで痛いんだろう・・ずっと痛い・・歩くのだって自宅の階段上るのだって右手で手摺を掴まって一歩、一歩足元を目で見ながら足が一段上がったことを確かめないと登れないまるで90歳近い年寄りのよう・・何より痛い・・いつまで痛いどこもにも傷も腫れもないのに痛い・・何より痛かったのは昨夜、息子に泳ぎを教えて欲しかったなそしていっしょに泳ぎたかったって言われたとき心が痛かったな僕が昔、水泳選手だったこと県大会2位まで行ったこと息子なりに誇りに思ってくれていたんだろうかだから突然泳ぎを教えて欲しいなんて言ったのかな僕だけでなく息子残念なんだろうな・・でも、もうどうしようもないそれにしても痛いな・・朝っぱらから・・
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相互依存・・人(あらゆる生き物)はひとりでは生きることはできない

僕は障害者になってから「ひとりで生きる」ことは不可能になったと思った。。「介護」とまではいわなくても、あらゆる場面で「介助」が必要になることが多々あるこんなとき人はひとりでは生きることはできないということは痛感すると同時に人間だけでなく、この世のあらゆ生き物さえも「ひとり」では生きることはできないと感じるそれは「相互依存」なしでは生きていけない。。突き詰めて考えるとその「相互依存に残酷な世の中の矛盾を感じるなぜなら人(だけではなくあらゆる生命体)は食べ物を食べないと生きていけないその食べ物とは全て「生き物」だ、つまり「命」だあらゆる生命体)は他の命を食らうことでしか生き残れない自分が生き続けるためには他の命を奪うしかないたとえば、ライオンなどの肉食動物はシマウマやヌーなどの草食動物の他の命を奪わないと生きていけない。そんな意味でライオンなどの肉食動物とシマウマやヌーなどの草食動物は「相互依存」関係なのだつまり「食うか食われるか」の「相互依存」関係なのだ人間だって例外ではない例外ではないどころか他のどの生き物よりも人間以外の命を奪い自分たちは生き続け繁栄を謳歌しているその意味では人間と人...
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新たな目標・・

障害者となって気付いた事のひとつに障害を負ったことで苦しむ原因が「自我」にあるということに気付いた自分のプライドとかこだわりとか思い入れなどという「自我」さえなければ、障害を負ってもこの5年半はもっと楽に生きる事が出来たと思う周囲の支えのお蔭と幸運もあって経済的には今年中に何とかなりそうだ新たな事業として始めた太陽光発電事業もウソのように順調で、経済的には健常者の頃以上に豊かになれる道筋がほぼ見えたお蔭で妻子にも夫として父として経済的役割は果たせそうだ。それでもなお、僕の心は真には癒えはしないだろう。どんなに経済的に豊かになれたとしてもこの身体は元に戻ることはないからそこで考えた・・心が癒えない原因が「自我」の存在だということが分かってきたのだから次の目標は如何にして限りなく「自我」を無くすかだもちろん僕も生身の人間だ「自我」を完全に無くすことなんて不可能なことは分かっているでも、限りなく「自我」を捨てたい「自我」画ある限り苦しいから・自我こそ苦の根源だと思うからそこで新たな目標を立てたそれは・・嫌いな人と仲良くなる事そして人の役に立つ事をするそれも嫌いな人の役に立つ事をする事それを新...
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やっぱり酷だよな・・

今更、何度言っても仕方のないことだけど・・ウィンドサーフィンが得意でスキューバダイビングが好きで(イントラのライセンスまで取得したのに)水泳が大好きで身体を動かすことに快感を感じたり、生きがいを感じていた僕が身体を動かす機能を失うなんてやっぱり、皮肉としか言いようがないし酷だよな・・夏が近づいてくるとなんだかとっても辛くなる・・そういう意味じゃ長嶋さんも相当辛いはず・・
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皮肉だ・・人を動かす

自分より優秀な人間を使えない社長の会社はその社長の器以上には大きくはならないとよく言われるあの経営の神様 故松下幸之助氏も若き頃、病弱だったがゆえに部下に任せるしかなかったというだから「人を動かす」、人心を掴む天才(つまり組織を動かす天才=経営の天才)になれたといっても過言ではないと僕は思っている。皮肉にも僕は今、自分より優秀な人間(つまり健常者)に手伝ってもらわないと、できないことだらけになってしまった。普通に両手に買い物袋を持って歩くことができる人が僕より優れた人間なのだそんな僕より優れた人間を動かす(動かすというと失礼なので、僕の代わりに動いてもらう)ことができないと、今の僕にはできることが異常に少なくなっている。皮肉にもそんなことから、僕は如何に自分より優秀な人間(つまり健常者)に動いてもらうかを自然と、いつもしかも必死で考えるようになっている自分の代わりに他人に動いてもらうためにはその人に感謝の意を伝えることが大切だということをいつの間にか気づき始めているそれは口先だけの感謝ではなく、相手がこちらが感謝していることを「感じて」もらわないとダメなのだ。そうでないと代わりに動いて...
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「死」より「死までの過程・・」

最近、やっと気が付いた・・僕は障害者として今を生きることは、正直「苦」そのものであるそれがどんなに金銭的、経済的に恵まれようともこの「苦」は変わらないだから・・死にたいと何度も思ったでも死を選択しなかったというかできなかった以前、「死ぬこと」より苦しい「生きる」があるから死にたいなどと書いたことがあったけれどでも今頃、それは違うということに気が付いた。やっぱり「死」は怖くないが「死ぬこと」は怖いんだということに気が付いたそれは、先日、あの東日本大震災の翌月に石巻に海水の飲料水化装置の稼働状況の確認に行ったときのことをある人に話しているときのことだ。ふと津波で亡くなった方々がどうやって亡くなったのか考えてしまったその想像をしたときだあの3月11日というまだまだ寒いそして冷たい海水・・そして真っ黒な泥水の海水が口の中い入ってきて・・息が出来ない・・苦しい・・でも誰も助けてくれないそして溺れて死を迎えるこの状況は「死」ではない死に向かう「生きる苦のさなか」だと思った・・僕もそれはイヤだ・・と思った結局、死ぬためにはそのような「苦の過程」を通りぬけ」なければならないのではないかそれがどんな死に...
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相互理解不能、、脳卒中後の後遺症

脳卒中後の後遺症、、これほど理解困難な(病気?)もないだろうなぜかって?その症状があまりにも千差万別だからだそれも驚くほどだからだそれこそ100者100様いや万者万様だと思う一言で半身不随と言うけれど、ある人は足が動かないある人は手が動かない手が動かない人の中でもある人は肘から下は動かないけれど回すことができるまたある人は肩は動かないけれど肘から下は動くまたある人は指は動くけれど肩も肘も動かないその指の中でも、親指は動くけれど、小指は動かないとか逆に親指は動かないけれど、小指は動くとか指は全て動くけれど、手首は動かないとか痛みのある人、無い人痺れのある人、無い人挙げていったらキリがない、、それほどまでに人によって症状は違うなぜなら1000億個といわれる脳細胞のどの細胞が損傷(死滅)したかによって症状は全く違うのだだから、同じ脳卒中後の障害者でも分かり合えることがないことが多々ある実際、ある脳卒中後の障害者だけの麻痺改善のための情報交換のメーリングリストに参加した事があるけれど、僕自身分かり合えると感じた事は少ない。。。逆に自分障害を受けた部位に障害がないというだけで「自分より症状が軽い...
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僕にはもう永遠にできないだろう姿勢

しゃがむ・・という姿勢がこれほどまでに難しい姿勢とは・・健常者の頃は当たり前のようにしていた姿勢だけど今の僕にはどんなに頑張っても不可能だ・・「しゃがむ」とは以下のような姿勢だ・・よく見ると膝が前に出て、「重い」おしりは後ろ・・それを足のつま先だけで支えバランスを保っているのだ左半身の運動機能の脳を損傷し左脚が麻痺した僕にはこのような姿勢を右足のつま先だけで支えバランスを取り続けるのは不可能であるたぶん健常者でも片足一本でこの姿勢は難しいだろうよく考えるこんな人形があったなら、たぶん立たせ続けるのは困難だろう・・脳のバランス力ってスゴイと失って初めてわかるものだ健常者の頃は当たり前のようにしていた姿勢なのに。。だから今、僕は低い位置にあるモノを取ったり、低い位置でやらなければならない作業はできない・・例えば、車のタイヤ交換や低い位置の本棚の本探し等々・・こんな些細ことが日常生活をとても面倒くさいことにする。大事な機能を失ったものだ