人間について

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逆差別?

現在、沖縄でオスプレイが不時着(墜落? )したことについて問題になっているけど以前からこのオスプレイというヘリは墜落しやすいから危険だということで配備には反対しているようだ。でも、よく考えてみると明らかにおかしいのではないかと思うことがあるというのももしも、それほど危険な墜落しやすい乗り物であるならばもっともかわいそうなのは沖縄の住民などではなくそんな危険な乗り物に搭乗させられる搭乗員ではないのか?と、単純に思うのだけど・・こんな考えは何か間違っているかな~その搭乗員のことはどうでもよくて、沖縄の人だけがまるで「被害者のように振る舞って」被害者ヅラしてるという状況は少なくとも僕はおかしいと思っているそれはまるで、サラ金で借金しまくった人がサラ金の取り立てに追われて苦しんでいることに対して借金をした側(借金した方が悪いはず)が被害者のようにメディアが報道するような事と同じように見えてしまい、同じ人間である搭乗者に対する逆差別ではないかと感じるのだが・・本当に墜落の危険があって危ない乗り物であれば本来、アメリカにまで赴き、こんなオスプレイのような危険な乗り物は海兵隊の命の危険にさらすのです...
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傍観者

世の中には、いわゆる傍観者的な人が多いと思う話の中ではいろんな意見を言うけどすぐに行動しない人たち少なくとも僕はこんな身体だけど(特にビジネスでは)思いついたらすぐ、行動に移しているつもりだというか性分として「放置」できないタイプだと思うなぜ、結論が出ないもやもやした中途半端な気持ちの状態で「放置」できるのか理解不能それじゃあ何にも進まない僕は身体は不自由だけど気になる事があればすぐに確認のため、電話に手を伸ばしている身体は不自由だけど電話はできる電話したらおのずと会いに行くことになる傍観者にはなれないし、傍観者の気持ちは僕には理解不能世の中の典型的な傍観者である「評論家」という人種が僕には全く理解不能・・彼らはh評論し、批判し、非難はするが何も行動しないそんなんで、ストレス溜まらんのかなぁかなぁ?何も変わらないし、何も進まないそんなんで、よう我慢できるなぁ・・よう分からん
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神経の病気は厄介

ここ数日、左半身の麻痺の状態が非常に辛い体調の激悪が続いているこれだけ体調悪く、体が不自由だと気力まで泣いてしまいそうだ。どんなに気力を振り絞っても神経がしびれるとか、神経が痛む。といったような症状には勝てそうにない。厄介だ。まあ、どんな病気でも痛むのは神経なんだけど・・それにしても(脳を含めて)神経に関わる病気というものは現代医学では治療するのが相当に難しいみたいだ。僕は数ヶ月前から麻痺側の左ではなく健常側の右手の痺れがでてきてつらいその原因はどうやら頸椎に異常があるらしい。ということが最近分かってきた。じゃあどんな治療するのかといえば、いわゆる「保存的治療」というやつだ。僕自身、この「保存的治療」という言葉に出会ったのが。皮肉にも脳出血で倒れた時に運ばれた急性期の病院でのことだ。「保存的治療」=「何もしないでは放置する」 。ということだ。なぜ何もしないのか医者に聞くと、人間の身体には自然治癒力というものがあるからその力に任せるのだという要するに「何もしないで放置する」わけだ言い換えると、何も手出しができないということだろう。僕の場合、もやもや病が基礎疾患にあったため脳の中の血管が非...
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永遠なるもは存在しない

宗教には縁がない僕だけどあの仏陀が「真理の言葉」で言っている「永遠なるものは一切存在しない」と永遠の魂さえも否定し神秘的な「救済者」(いわゆる神)の存在も一切否定して唯一、人間が救われるのは自らの心しかないという考え方だったという事に感嘆した僕が唯一信じる事ができる宗教?(思想)でありこの考えを勉強しているときこそが唯一自分が救われる瞬間なのだだからこそ神秘的な救済者を語る人に対しては何の信用もできない僕がいる
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水のビジネスの業界は嘘の情報が多すぎる!

以前、太陽光発電のビジネスに失敗してからこの2年間、水のビジネスを本格的に立ち上げるため準備をしてきた。そして来年、2017年からやっとスタートだ!この2年間準備をしてきて、分かったことだけど僕がやろうとしている水のビジネスの業界はこのビジネスは成功すると大きな利益が生まれるのだろう。いわゆる利権がはびこっているそして、嘘の情報を平気で垂れ流す連中がいる。僕のことをこの業界の素人だと思ってナメた態度で上から目線で平気で嘘を言う連中が多い。そんなみえすいた嘘をついたってぼくはこれでもたくさんの特許をとった大企業のエンジニアだったからそんな嘘の情報の真偽を確かめる方法はいくらでもあるし、その手の人脈もあるそんな業界でビジネスを1から立ち上げようとしているけど様々なこの2年間の検証結果、勝算はある。来年こそは太陽光発電ビジネスのような馬鹿な失敗せずに成功に向かって第一歩を踏み出すぞ!
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身勝手な人間

人間というものは、上手くいっているときは失敗ばかりしているようないわゆる不運な人間の事なんて目に入らないものだし、そういう人の事を馬鹿にしやすいものだと思う。そして自分さえ良ければ、それで良いという感じになりがちだと思う。だけど、自分も不運に見舞われて、友人だと思っていた奴にも見離され世の中からも見て捨てられ、その日その日の生活にも苦労をするようになってはじめて人のことも考えるようになり、見るもの聞くものが身に沁みるようになるものだと思う。そんな状況を乗り越えたこそ、初めて本当に強い人間になれるのではないだろうか
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最大の復讐とは

自分が悔しい思いをしたことに対する復讐というものは決して、悔しい思いをさせらた相手を貶めたり、やっつけたりする事ではなく、自分の人生を成功させることだと思う。しかし、その成功とは決して経済的成功ではなく、経済的成功が自分が人生の成功だと考える人はそれで良いけど、人生の成功とは、自分が死ぬときに満足出来た人生だったと思えたらそれは人生の成功じゃないのかなそんな人生の成功をすることこそが最大の復讐だと思う。振り返って僕の人生、決して経済的成功をしたわけじゃないけど脳出血になんかになり、障害者になんかなってしまったけれど僕の人生は少なくともこれまでは成功だったと思っている。障害者になんかになって、何が成功だと言われるかもしれないけど少なくとも僕は今までの人生はすべて自分で決断し、自分で選んだ道を歩んできた。ある人が後悔のない人生を歩みたいと言ったときに、ある人は後悔のない人生なんてありえないって言ってたけど、僕は確かに人生の一つ一つの決断に一切後悔がないわけではないけれどこの人生、すべて自分で決断し、自分の精一杯の力をほとんど出し切ってきた人生だったという意味では一切後悔は無いかつて。自分が...
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恨みとは怖いものだ。

週末から報道されている富岡八幡宮の殺傷事件の報道を見ていると、姉弟の怨恨とは言え、恐ろしいものだ。仏教などでは怒りや恨みというものは「猛毒」であると言っているけれど実際本当に恐ろしいものだと今回の事件で気付かされた感じがする。つい最近、復讐についての記事を書いたけど恨みというものは、復讐では何の解決もしないというけれど(犯人は自殺してしまったけど)もし生きていたら姉を殺したことで恨みは晴れただろうか?などと複雑な気持ちになっている話は変わるけれども、野村沙知代さんが先週末に急死した彼女も生前はいろんな人から恨みを買っていたのではないだろうか。確かに野村監督にとっては大切な妻だった事はわかるけど客観的に見て、周囲には相当迷惑をかけていた自分勝手な女性だったと少なくともぼくは思うそしてそれでも生前にその恨みを買っていたことに対して富岡八幡宮のような事件は起こらずに一人亡くなっていった。よく「天罰が下る」と言うような人もいるけれど自分勝手で周りに迷惑をかけていたような生き方をしても「天罰が下る」などといったようなことはなく最後まで自分勝手に生きて亡くなっていく人は多いと思う僕の周囲にも周りに...
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涅槃とは

涅槃とは一切の煩悩から解脱した状態であるため、煩悩に苦しめられる事がなくなり心が安寧すると釈迦は言っているけれど、煩悩とは言い換えれば執着(しゅうじゃく)を意味し、その執着をなくすことが煩悩をなくすことなると言っているその執着とは俗に言う色欲や食欲や金銭欲のようなものだけはなく、生存の欲求さえも執着してはならないというそれならば、本当に煩悩をなくせることができるのは死しかないのではないかと思うのだ確かに死んでしまえば、何の欲求も消え去るわけだから、全ての煩悩から解放されるということにはならないのか確かに原始仏教では涅槃を「釈迦や聖者の死、つまり入滅のこと」を言うらしいから、やはり死ぬ事でしか涅槃の境地にはなれないのではないのか?だとしたら、死ぬ事も悪くないと僕は思ってる
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輪廻の果てに

唾面自乾諸行無常一切皆苦諸法無我唾面自乾分子回帰