前の記事にコメント頂いた障害者の方の言う通りだと思う。
被災者と障害者は確かに似ている。
月日が経っても状態が好転していなければ、
どちらも「日常として」苦しみと向き合って生きている。
しかし、被災地以外の直接被災されていない人や障害者の周りの人には
、
非日常であるX-DAYから月日が経つとそれぞれの日常に戻って行く
残念ながら妻や子、他の身内に於いても
被災者や障害者の日常の苦しみを共有する事は困難な事なのだろう。
真の苦しみや寂しさ・悲しみ・怒り・孤独感などを全てなんて・・
とても・・理解されていないと思う
人の心に「絆」なんて・・本当にあるのだろうか。。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。