武士道をテーマにした感動する映画かと思ってレンタルした。
でも、残念ながら期待した内容ではなかった。
なぜならこの映画は生々しい現実、つまり人間の中に潜む醜い欲望や残虐性を描いた映画だったからだ。
最近、このような映画が増えたように思う。
北野たけし監督の映画でもそんな生々しい現実を描いた映画が多いように思う。
生々しい現実・・
そんな現実を描いた映画や小説が本当に素晴らしいのだろうか?
それは生々しい現実を受け入れることが大切だと言うのだろうか?
理想を描いた映画や小説はダメなのだろうか?
この映画を見て僕が思ったことは、
生々しい現実を知ることに大きな意義はない。
そして生々しい人間の中に潜む醜い欲望や残虐性などを知り、受け入れる必要もない。
どんなに現実が醜いものであっても、
崇高な理想を追い求める姿にこそ人間の生きるべき本筋があるのではないか
そんな姿こそ、美しく感動するのではないだろうか
生々しい現実は知る必要はあっても、受け入れる必要はないと思うのだ。
それは僕にも当てはまるからだ。
障害という苦しい現実を知る必要があっても、現実を受け入れる必要はないと思うのだ。
障害受容という言葉がある。死の受容という言葉もある。
障害に苦しんでいる障害者に対して「あなたは障害の受容ができていない」などという
何とも冷酷な言葉を患者に対しての言い放つ医者もいるそうだ。
僕は思う
生々しい現実を知ることに意義が出るのは、生々しい現実を知るからこそ崇高な理想とは何かを考え、
それを追い求めてこそ、生々しい現実を知る意義が出るのではないか?
受け入れる必要なんてない!断じてない!
僕は現代医学ではほぼ不可能だろうと考えられる麻痺の完全回復を理想として死ぬまで追い求めるのだ!
この映画の最後に残虐に人を殺しまくる殿様役のスマップの稲垣吾郎君が言った言葉が
とてつもなく気になった
「人は死を前にするからこそ、生の尊さを知るのだ」と
自分の残虐性の正当性を主張するような言葉だった。
一聞すると、もっともらしく聞こえるかもしれないが、、、
そしてこの映画の監督はこの言葉を伝えたかったのではないかと感じたが、、
僕は違う
と思った。
僕はそうではなく
「生きる苦しみを知るからこそ、死さえ望み、死をも怖れなくなる、
そして死を怖れなくなるからこそ何事に対しても怖れをなくし、理想を追い求めることができるのだ」
と思う。
死を恐れるのは生きる苦しみを知らないからだと思う。
やはり最後に映画の中で残虐に人を殺しまくった殿様役のスマップの稲垣吾郎君が主役の役所広司殺されるとき、
「死ぬのが恐い!」「死ぬのが恐い!」「死ぬのが恐い!」とみっともなく叫んでいた。
死を恐れるのは生きる苦しみを知らないからだ。
生きる苦しみ、生きているからこそ起こる生々しい現実を知ってこそ、本当の理想が何かが分かり、
その理想を追い求めることができるのではないか
そんな理想を追い求める姿こそが人間として美しく感動できるのではないか。
だから最近の生々しい現実を描く映画や小説はあまり好きではない。
僕にとって生々しい現実を知るのは僕の自分の障害だけで充分だから・・
だからこそ僕は理想を追い求めたい。
NPO法人の活動もその目標も、先日、村上春樹さんがヨーロッパの講演で話したような
「非現実的な夢想家」の考えるような活動なのかもしれない。
あの坂本龍馬は「利」で人は動くというそれまでの武士道の理想とはかけ離れた「現実」を捉え
薩長連合をお互いの「利」を一致させることにより成立させたという。
それはそれで、あの時代にはすごいことだったと思う。
でも僕は少し違う
「利」で動く人は「利」がなくなると離れてしまうと思うのだ。
それが現実だと知るからこそ
「理想」で動く人や「理想」を共有できる仲間と共に理想を追い求めたい
功利主義だけにはなりたくないと思うのだ。「非現実的な夢想家」と言われても良いから・・
映画自体は期待外れだったけれど、そんなことを考えさせられた映画だった。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。