はっきりと明確にしなさい
社会に出てからそんなふうに教わってきたような気がする。
ビジネス上ではそれは大切なことだろう。
よく、出来もしないのに「大丈夫です!出来ます」
と言ってしまう営業マンがときどきいる。
言い切ってしまってできるのならそれでも良いが出来なかったらクレームの嵐・・)
大風呂敷を広めてしまい出来もしないプログラムをできると言って受注を取ってきてしまう
健常者の頃そんな営業マンに振り回されたものだ。。
到底不可能な納期でも威勢よく「出来ます!」といって受注するから困ったもんだ
制作現場はパニック状態、徹夜、徹夜の連続だ。。。
ビジネスはそれではいけない。
もちろん多少の無理も必要だろうけど
でも出来ないことは絶対に出来ないと言わなければ
社内外に大変な迷惑をかける・・
と思っていた。。
でも、、
人間が生きる目標や志はそれでよいのだろうか。
僕は障害者になってから何度も聞かされた。
「発症から6カ月以上経過して回復しない麻痺は回復は不可能だ」
と・・
確かに僕も実感している
脳出血を発症当初は僕の左半身は完全麻痺だった
左手左足は存在さえわからないほど全く感覚がなく、触れられてもわからず、ピクリとも動かない状態だった
だ
それが6カ月の入院の厳しいリハビリの結果、なんと杖つきでゆっくりと歩けるようにまで回復したのだ。
このペースで回復すればに2、3年すれば走ることができるようになるくらいまで
ほぼ完全に近い状態まで回復ができるのではないか
と感じていた。
でも現実はきびしかった。
6カ月後杖つきでゆっくりと歩けるようにまでには回復したが、それで退院だった。
それからというもの約2年半週に一度通院リハビリをしているが、
現在も退院当時とほとんど麻痺の状態は変わっていない。
左手では何も持つことが出来ない。
ただダラリと左肩からぶら下がっているだけの役立たずな肉の塊にすぎない。
左足も思うように動かず杖なしでは歩くことは難しい。
走ることなんて到底不可能だ。
それでも週に一度リハビリに今でも通っている。
大きな回復なんて見込めないと現実を理解しているにも関わらず・・
それは僕の夢だからだろう。
心のどこかで「必ずできる」と信じてる。
「必ずできる」
・・この言葉は僕にとってとても大切なのだ。
「必ずできる」
「必ずできる」
「必ずできる」
「必ずできる」
何度も唱えていると
不思議なことだが意欲が湧いて来るのだ
「意欲」
これこそが生きる力なのだ。
「出来ない」と100回唱えると
意欲がなくなってしまう。
生きる意欲さえも・・なくなってしまいそうになる。
本当ににできるかどうかなんてそんなことどうでも良い。
要するに意欲がほしいのだ。
意欲がないと何も出来ない。
出来ないことを出来ないと言うのは簡単だ。
それが現実だと言われればそうかもしれない。
でも人間が意欲を持ち続ければ、その意欲が不可能を可能にしてくれるのではないだろうか
意欲が湧くと出来そうな気になる。
この左半身の回復が5年かかるのか、10年かかるのか、それとも20年かかるのか
誰にもわからない
でもいつか必ず回復するという夢こそが僕の意欲の源泉なのだ。
もしかすると生まれてからも発症するまで(45年)にかかった時間と同じぐらいの時間が
かかるかもしれない。
そのときは90歳だ
それでも
回復するならあきらめたくない。
諦めたくない
あきらめる・・それは希望を捨てることに等しい、
僕の生きる意味を放棄するのに等しいから・・
僕が、人間が生きる目標は不可能と思えるような目標を持ったロマンチストでありたいものだ。
リアリストなんて・・意欲がなくなってしまうだけだ。。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。