決 意とは


どんな時に人間は決意というものができるのだろう

人間生きていく中で決断を迫られる時が多々ある。

特に苦境に遭遇したときには決意が必要である。

最近、悩んで、悩んで、散々悶々と悩み抜いたあとで、「突然決意できる」瞬間があることに気づいた。

決意ができると気持ちがスーッと楽になるのだ。

そして何も怖くなくなる。

それは素晴らしい瞬間でもある。

一体どうやれば決意ができるのか、このところ考えている。

決意せできれば何事も恐れをなくし、粛々と物事を進めることができる

心が最強になる瞬間だ。

いろいろこれまでの自分の心の動きを考えてみた結果、

僕はこう考えている。

ありふれた言葉だが「最悪の事態を覚悟できた瞬間」なのだ。

最悪の事態を覚悟するとはどういうことか

それは決して「諦め」ではないことに気づいた。

「諦め」ではなく「心が崩壊しない確信」を持つことができた時なのだ。

僕の場合、苦境に陥いったり、行く手に壁が立ちはだかったり
ネガティブな思考に陥ったときには「最悪の事態」だけではなく
ありとあらゆる悪い状況を想定するのだ。

そしてそのありとあらゆる想定される「悪い状況」に対して

それが起こったときどう行動するかを考えるのだ。

その「どう行動するか」が決まったとき僕は覚悟ができる瞬間だと思う

つまりどんな状況が起こってもどう行動すべきかが決まってしまうと

恐れがなくなるのだ。

たとえその行動が最悪の状態をパーフェクトに克服できるものではなくても

そのとき

「何が正しい行動なの」

「何がやるべき行動なのか」

それさえ分かっていれば行動に自信の持てるのだ。

たとえその行動によって最悪の事態が「解決」しなくても

やるべき行動ををやることができれば悔いは残らないからだ。

やるべき行動を出来ないから後悔するのだ

人生も同じだ。成功するか失敗するかは時の運もある。

それよりも悔いのない生き方、つまり行動が出来たかが大切なことだと思う

そして僕は万が一、再出血を起こしてしまい、その結果ひどい後遺症(最悪は死)に

襲われたときにはどうすべきか全て考えている

この年齢で遺書も準備している。

十分にありえる事態だから・・・

その「どうすべきか」さえ頭にしっかりと存在すれば、

日々を恐れながら生きる必要がなくなるのだ。

恐れながら生きることほど人間にとってつまらないものはない。

恐れながら生きると大きな行動が出来なくなるからだ。

しかも行動が貧弱になり且つ、迷いがあるためスピーディーな行動が出来なくなる

誰かが企業経営の活動の秘訣は「悲観的に計画して楽観的に行動する」

といっているのを聞いたことがあるがそれに近いものだと思う。

常々そう言うことを考えていれば常に決意ができている状態なので

何が起こってもうろたえることがないと思う。

それにしても今回の福島原発の事故に関しては

「想定外でした」を繰り返すばかりだったような気がする。

「想定外」ではなく「想定しなかった」だけなのではないのか

「想定外のことを想定しておく」ことも国の危機管理としては
必要なのではないか

「想定外」だからといって許されるものではないような気がする。

そんな意味で管首相には就任当初から決意がないように感じられる。迷いだらけではないかと感じる。

僕なりの考え方から言うと決意がないということは最悪の事態のときの行動が想定出来ていないということだ。

こんな首相を持つ日本は実に危ないと感じる

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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