正社員採用を少なくしている大企業側に問題があり、
学生側は可哀想であるというような風潮にあるように感じる。
こういう風潮に乗っての学生側や求職者は自分たちが被害者であるというような
被害者意識を持ち、企業が雇用を減らすことが辞任で、で自分たちは就職ができない。
だからフリーターになるしかない。ニートになっても仕方がないというような意識に
なっているのではないだろうか
もしそうだったら、とんでもない話だと思う。
仕事などというものは「自分で作るもの」だと思うからだ。
ゼロから自分で作るものだ。
仕事とは何かを突きつめて考えてみると、
それは社会奉仕だと思う。
「社会の役に立つ行動」あるいは「人の役に立つ行動」であり
その人が「役に立つ」からこそ人はその人に報酬を支払うのではないか。
「仕事はもらうもの」ではない。
「仕事とは与えるもの」であると思う。
人が面倒臭いと思っていることをやってくれる(楽を与える)
あるいは音楽や芸術などで人に(感動を与える。)
新たな技術開発で人に対して(便利を与える。)
こういった与えるものがないから報酬が貰えないだけのではないか。
報酬をもらう前に、自ら「(奉仕を)与える」ことをしなければならない。
仕事がない。仕事がない。
というが、
僕なんて自己破産し全くの無収入の状態だった上に体は障害を負ってしまいまともに働くことさえできない体だった状態から、「人の役に立つ人間であり続けたい」という想いだけで、今では新たな事業まではじめることができそうなところまできている。
「それは45年の経験と知識があるからだ」などと言われるかもしれません。
いくら経験や知識がなったところで意欲がなければここまで来ていなかったと思います。
一時は僕も自暴自棄となり完全に意欲をなくしてしまっていた時期があります。
死を選ぼうとしたことさえあります。
もし心があのままだったら今でも仕事なんてできていなかっただろうと思います。
きっともっと悲惨な状況になっていたのではないかと思います。
当時の自分からは考えられなかったような自分が今あります。
でもそれは、ある時期「意欲」に目覚めたというか「人の役に立ちたい」そして「これで役に立ちたい。」という気持ちが芽生えたからだと思っています。
どんな状況にあろうとも、その人に「意欲」さえあれば、いくらでもその状況を
変えることができると感じています。
仕事は「もらう」ものではありません。
仕事は、まず「与える」ところから始まると思います。
投稿者プロフィール
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京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。