こだわりと誇り


ときに職人さんの「こだわり」は賛美される。
伝統工芸などの伝統技術の世界であればそれも良いかも知れない。
しかし、未来に向かって進むときこだわりは禁物であと思う
こだわりは、過去から積み重ねた努力の結果であるかも知れない。
その築きあげた基礎があるからこそ、次のステップに踏み出すことができるのかもしれない。

決してそれらを蔑ろにしろというのではない

こだわりとは、一種の誇りでもあるのではないだろうか
。しかし誇りというものはそれを傷つけられたとき、
必要以上に意欲に悪影響が出るものである。
新しい未来に向かって、前に進むときそれは大きな壁となる
僕自身がそうであった。
人間、45歳にもなればそれなりに積み上げてきた「自分」というものがある
しかも築き上げてきた「モノ」をベースにした働き盛りの年齢でもある。
そういうものが脳出血であっという間に消失した。
その喪失感たるや僕にとって並大抵のものではなかった。
この2年はそのことで苦しんできた。
長い間「前を向く」ことができなかった

しかしこの2年の間にどうすれば前を向くことができるのか悶々としながら考えに考えた結果
僕なり結論は自分「自我」あるは「こだわり」を捨て去ることだった。

こだわりを捨て、今この瞬間の現状を素直に受け入れ、
真っ白な状態から希望だけを持ち、前だけを見ながら進むと意欲と持つことができるものだものだと思う。
そのとき過去の栄光や自信は邪魔にしかならない。こだわりは物事の見方を歪めてしまう。
こだわりを捨て、素直な心で物事に取り組むときにこそ、新たな希望が生まれ創造が生まれるのではないか。
人は往々にして、こだわりの中に自らの誇りというものをもつものだと思う。

それを捨て去ることは堪え難い喪失感を味わう。
こだわりが強ければ強いほど、自我が確立されていればいるほど、それを失ったとき挫折感を大きくするものだ

人にとって喪失感ほど恐ろしいものはない。最大の喪失感を味わうのは人(特に肉親)の死であると思う
しかし人間は不思議とそういった喪失を乗り越えたときにこそ、新しい自分を発見し
、新たな希望が生まれ新たな道を歩み始めるような気がする。

こだわりのない創造的な心構えと絶対にできるという信念と絶対やり遂げるという不屈の精神こそ、今必要だ。

不可能だと思った瞬間から本当に不可能なる
諦めたら、そこで終わりだ。
確実性など求めずに、自分を信じ続け希望捨てずに前に進み続けることが知恵を生み、
あらたな創造を生み、未来を切り開くのだ信じている

投稿者プロフィール

代表
京都の某経営コンサルタントに従事
神戸の中堅IT企業にてWEBシステム構築や各種企業向けシステム構築のプロジェクト・マネージャーとして従事
神戸にてIT起業を起業し、代表取締役に就任
その後リーマンショックの影響で業績が急激に低下しに起因し、
血圧上昇と同時に基礎疾患のモヤモヤ病により脳出血発症し、
左半身不随の障害者となり会社は廃業、自己破産して、一時絶望
2020年まで障害者枠で非正規雇用の契約社員にて様々な企業に従事
2021年に再起をかけ、半身不随の身体でも出来るビジネスと踏んで
プロコーチを目指しコーチングノウハウを修行
2022年に、いつの日か個人事業主や企業経営者のコーチや個人のライフコーチとしてコーチングビジネスをするスタートする為、コーチング認定試験に合格し、認定コーチとなり、左半身不随障害者でも可能なあらゆる事業展開予定。
座右の銘は平凡ですが「ネバーギブアップ」です。
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