独り言

35年前の私の監督に会いたい

一昨年脳出血で半身麻痺になってから1年半強い中枢性痺れに耐え続け、動かない手足の苦悩に耐えてこられたのも昔、水泳部のときに徹底的なスパルタ練習耐えたことが今の自分の心の強さの根源だと思っている。中学生のときだったからもう35年も前のことだが、あのころの練習にがよく耐えたなぁと思っている。夏休みの一日練習では2万m近くも泳いだなぁ・・午前中の練習インターバル 流し400mコンビ50m20本プル50m20本キック50m20本コンビ100m10本コンビ200m5本コンビ400m3本コンビ50m20本ダッシュ25m60本合計11200mそして午後も同じメニュー今の時代はあの北島でもこんなムチャな練習はしていないだろう。まさにスパルタだった。 「一日中練習してろ!そうしたら手に水かきがついてくるわ!」と怒鳴られたことを今でも忘れも竹刀タイム落ちてくると「気合が足らん!」とコース台にたったと竹刀で太ももを叩かれた、痛かった。。このとき僕は根性というものを教わった気がする。それまでの僕は運動苦手で、根性なしだったと思う。苦しいときはいつもそのときのことを今でも思い出す今、障害に苦しんでめげそうになっ...
人間について

世の中の役に立っているという感覚こそ人間の生きる力

自分が何らかの形で世の中の役に立っている・・この感覚この感覚こそが、人間が生きるための力であると思う。僕は去年のい今頃、半身麻痺になった現実に直面し、人間として当たり前にできることができなくなっている自分に愕然として、もう社会の役に立たない人間になっしまった。。いや世社会なんていうと大層に聞こえるが、社会の最初単位である、家族に何の役にも立たない人間になってしまった。。父親として、夫としての役割・・小さな会社でしたが、社長としての役・・全ての役割を果たせなくなった。死にたいと何度も本当に思った。そしてあるとき、残っている健常の右手で何ができないか・・いやまだ僕には右手があるではないか!左手でお茶碗を持ってお茶漬けを食べることはできないけれど右手でキーボードは何とかこうやって打てる。これで何かできないかと思い立ち、遅いタイピングで日本の環境・防災技術を世界に紹介するサイトを作り始めた。日本のモノ作り企業の役に立てるのではないか。現在景気の閉塞感の中で、日本の企業の発展の礎になれないか・・思って必死で片手でなんとか下記のサイトを作り上げた。他人からみれば、「思い上がり」かもしれない。自己満...
独り言

相対性理論は人間関係の理論?

あの有名なアインシュタインの相対性理論は実は人間関係のことではないかと思う。一般相対性理論は時空の相対性というものから光を軸にして、速度の速いものは時時間がゆっくりと進む(実は相対的に時間がゆっくりと進んでいるように見えるだけだが・・)ここでこれ以上一般相対性理論のことを書くのは無理があるので、それはまたの機会に・・ところで人間関係も相対的なもので、例えば「自分が正しい」と思った瞬間に相手は「正しくない」ということになってしまうのが人間である。あくまで相対的なものなのだと捉え、捉え方を変えると全く変わってしまうものである。以前も書きましたが、下記は有名な「7つの習慣」の本の一節です━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ある日曜日の朝、ニューヨークの地下鉄で体験した小さなパラダイム転換を、私は忘れることができない。乗客は皆、静かに座っていた。ある人は新聞を読み、ある人は思索にふけり、またある人は目を閉じて休んでいた。すべては落ち着いていて平和な雰囲気であった。 そこに。ひとりの男性が子供たちを連れて車両に乗り込んできた。すぐに子供た...
独り言

こんなアメリカ人もいるんだ~

このテキサス親父っておもろい! 日本政府も「調査捕鯨」などとごまかさず、堂々と「捕鯨しています」て言ってほしい。
最新環境技術

病を味わう・・か

病気になってそれが治って、治って息災を喜ぶうちにまた病気になって、 ともかく一切病気無しの人生というものは、なかなか望み得ない。 軽重のちがいはあれ、人はその一生に何回か病の床に臥(ふ)すのである。 五回の人もあろう。十回の人もあろう。 あるいは二十回、三十回の人もあるかも知れない。 親の心配に包まれた幼い時の病から、不安と焦燥(しょうそう)に悶々(もんもん)とする明け暮れに至るまで、 人はいくたびか病の峠を越えてゆく。  だがしかし、人間にとって所詮死は一回。あとにも先にも一回きり。 とすれば、何回病気しようとも、死につながる病というのも一回きり。 後の何回かは、これもまた人生の一つの試練と観(かん)じられようか。  いつの時の病が死につながるのか、それは寿命にまかすとして、 こんどの病もまた人生の一つの試練なりと観ずれば、 そこにまたおのずから心もひらけ、医薬の効果も、さらにこれが生かされて、 回復への道も早まるであろう。  病を味わう心を養いたいものである。そして病を大事に大切に養いたいものである。                                 松下幸之助今思う...
人間の生き方

僕が成すべきこととは?

障害者になった今私が成すべきこと 左手は全廃である。 麻痺した左手足が脳の可塑性により再構築され回復する可能性があるという 「決してあきらめるな」と 私も今日までそう思っていた。決して回復をあきらめない そういうあきらめない気持ち。それはそれでよい でも「坂の上の雲」を読んでいて思った。 正岡子規は結核の病に侵されながらも近代俳句を作り上げた。 そのとき私は思った。。自分のか身体の機能回復にこだわっていて良いのだろうか。 もちろん、機能が回復すればそれはそれですばらしい。 でも私の人生に何が残るのだろうか 他に成すべきことがあるのではないか 左手足はそう簡単に機能回復しないであろうことは自分自身でわjかる。 リハビリ医師が何と言おうと、自分の身体は自分が一番良くわかる。 そう簡単には回復しない。 それに再出血のリスクも高い。残された人生そんなに長くはないだろうということは感じ取れている。 ならば残された機能でできることを考えることの方が大切ではないか 幸い右手は完全に健常である。タイピングスピードは両手を使えたときの10分の1以下ではあるがこうやって文章を書くことができる。PCを操作で...
人間の生き方

私の心の支え

以下は障害者となって私の心の支えになっている言葉だ。自分のためにもう一度書いておこう死ぬまで一生こうやって生きるきる意味を問い続けるだろう。。この地上に棲むあらゆる生き物のうちで人間だけが自分自身の生き方、あり方を変えられる人間のみが、自分の運命を築くことができる行動はいつも幸せをもたらすものではないが行動なくしては幸せはない無暴力とは、悪を行う人間の意志におとなしく服従することではなく、暴力者の意志に対して全霊を投げ打つことである。束縛があるからこそ 私は飛べるのだ悲しみがあるからこそ 高く舞い上がれるのだ逆境があるからこそ 私は走れるのだ涙があるからこそ 私は前へ進めるのだ希望とは世界の状態ではなく心の状態である。 希望、この深く力強い感覚は、 物事がうまくいっているときの喜びや成功が明らかな企業に投資する意欲などとはまったく異なるものだ。 むしろ、価値があるという理由で働くことのできる能力である。人生は道路のようなものだ。 一番の近道は、たいてい一番悪い道だ。よろしければ下記のボタンをポチッと押してやってください
独り言

中枢性疼痛・・それでも私は生きている。

末梢性の痛みに比べて頻度は低いのだが、より苦痛を伴い、難治性で厄介なのが中枢性の痛みである。去年6月ごろから、私はこの中枢性疼痛に始終悩まされている。これは脳卒中の病変が直接の原因となって痛みをきたすもので、視床出血や視床梗塞による視床痛のほかに、大脳の出血や梗塞による中枢性疼痛、脳幹病変による中枢性疼痛なども知られている。痛みを感じとるセンサーは体中至る所に張り巡らされていて、その信号は末梢の感覚神経のケーブルを通り、脊髄を経由して脳の視床というところで情報処理され、最後に大脳皮質の感覚中枢で痛みとして感じられると考えられているのは周知の事である。普通の痛み、すなわち末梢性の痛みは痛みセンサーの刺激で生じるのだが、中枢性の痛みの場合は、手足の末梢には痛み刺激が加わらないのに、視床や大脳の感覚神経の情報処理の異常のために、いわば「脳の中で」痛みを感じてしまうわけだ。だから安心していていいのは、例え痛みが強くても、この痛みが原因で脳卒中の再発を心配する必要はないということだ。 痛みは、脳卒中の発症直後から起こることもあるが、多くは何ヶ月かしてから始まる。半身、特に手足のうずくような耐え難...
人間について

人間は皆自意識過剰で当たり前

自意識過剰とは 他人が自分をどう見ているかを気にしすぎる状態。 反意語に、無意識過剰。 また、無意識過剰の隣接語として、オタクを採るという解釈もある人間は社会的動物である以前ににも書きましたが、孤独では生きていけない,だから自意識過剰になるのである自分が社会に受け入れられるのか?以前にも書きましたが、昨年のいま頃私は孤独感に苛まれ、何度も自殺を考えた時期でした。人間はコミュニケーションを断ち切られると生きていけない、長期間独房に入れられると発するのもこのせいだ。自分が世の中で認められているのか・・まだ自分に存在意義があるのか・・脳卒中などで身体の機能を失った人々のほとんどの人がもう自分は役に立たなくなったのではないかという心境に陥り自殺を試みるという。自意識過剰という言葉はときに悪いイメージ(「高慢」のようなイメージ)で捉えられるが、これは人間の本能だと思う。自分の存在を認めて欲しい・・これは人間だからこそである日本人に自殺者が多いのは自己アピールがヘタだからなのではないかと思う。自己の苦悩を自分の中に押し込めてしまう・・今の日本の中小企業のようなものだ。優秀な技術があるのにアピール下...
最新環境技術

ただ今,中国人の悪質なWEBサイト攻撃に遭遇中!!

僕が片手で必死で作った日本の環境・防災技術を世界に紹介する下記のサイトが 2,3日前からSQLインジェクションというネット攻撃に四六時中さらされ、データ改ざん、サーバーのシステム妨害に合ってます調査したところ、中国東部の上海近くからの攻撃と判明した。現在復旧作業。セキュリテ対策を講じていますので、やむなくメンテナンス中画面にしています。やはり中国人のメンタリティを疑う。こんな事ばかりしているようじゃ、信頼をなくし、いくら人件費が安くとも世界の工場とはなり得ないだろう。googleからも見放され、自分で自分の首を絞めていること気付かないのだろうか。許せない!あかんあかんこういうときこそこの言葉を繰り返そう-------------------------------------弱い者ほど相手を許すことができない許すということは、強さの証だ         マハトマガンジー--------------------------------いつまでも日本を許さん、許さんと言いながら、国内で民族迫害を続けるどっかの国の指導者に聞かせたい言葉だ。