人間について

後悔の無い人生

脳出血で倒れるまで、全速力で走ってきた人生だった。障害を負ってからも全速力だった。猛烈に痺れる身体を引きずりながら、必死で仕事をしている。もし、今死んでも人生に後悔は無い、ベストを尽くせたと思う。無念だが、後悔はないと言い切れる。それだけが心の幸せだ。ただ、40歳過ぎて親の援助を受けてしまった自分は情けないと同時に親には感謝である。生きている限り、この恩には報いる。
独り言

世界の水中写真

ブログネタ:ブログにのせる写真は何が多い? 参加中健常者のときはダイビングが得意で、そのとき撮影した世界の海の写真が自慢パラオの迫力あるバラクーダ魚群の写真が最高かな皮肉なことに素潜りで写真を撮った方がキレイに撮れることに気付いた矢先に脳出血に見舞われた・・もう二度と潜れない・・海よさらば・・(;_;)/~~~
最新環境技術

人なぜ生きるのか

人間いつかは必ず死ぬ。死ぬときは病気になるか怪我だ。必ず死ぬ生きとし生けるのもの全て必ず死ぬ。では何のために生きるのか死ぬために生きるのか生まれた瞬間から、死へ向かって歩んでいる。死ぬとは?土に返る?地球上の生き物は全て地球の子ではないか地球に生まれ、地球で死ぬ、だからこそ地球環境に適応してきた。障害者になって初めてわかったことだが、人間の身体は見事の地球の重力に適応しているのだ!じっとしているときでさえ、その姿勢を保つため、人間の細胞一つ一つが重力に反発しているのだ。僕の左半身はそれができなくなった。。ほんの少しの傾斜で重力に負け、バランスを崩すのだ地球環境に適応するとは?今、地球環境が悪化しているという・・「悪化」なのだろうか。それはあくまで人間の都合では・・そもそも地球の環境なんて40億年の間どんどん変わってきている。当初は硫酸の海だったというそれでもその環境に適応した生き物がいた。今の人間も如何に「環境適応」をするかを考えるべきなのだろう。「「温暖化防止!」といと地球環境をコントロールしてやろうという人間の科学のおごりに聞こえる人がこの地球上で生きることそのものが環境適応を続け...
最新環境技術

今の地球温暖化防止策論は人類のおごりではないだろうか

先程NHKで、水木しげるさんんが大きな影響を受けた言う遠野物語のことについて放映していた。の内容は天狗、河童、座敷童子など妖怪に纏わるものから山人、マヨヒガ、神隠し、死者などに関する怪談、さらには祀られる神様、そして行事など多岐に渡るそうである。そこには、現代の日本人が忘れかけている。自然そのものをを神とし、自然への畏れを妖怪にたとえている物語がある。人間自体が目に見えない何か「大きな力で生かされている」というものを感じ取り、それに対する敬いの心や生きていることへの感謝が感じられる。今、地球温暖化という人類にとって大きな苦境が迫ってきているなかで、人類はその原因をCO2が原因だとし、地球温暖化を食い止めようとしているが、なかなか進まない。CO2原因反対論者の台頭、経済成長優先派の国や人々からの猛反発これは考え方によっては、人類が自然をコントロールできるという大きなおごりの結果なのではないだろうかと感じるのであるそもそも地球温暖化の原因なんて、非常に複雑で、簡単に原因に特定できるようなものではない。地球全体の気候を人類がコントロールしようというのだ・・もっと自然を畏れ、この大自然に生かさ...
独り言

もうちょい頑張るか・・!

脳出血から1年半・・僕の後遺症?は、麻痺よりも痺れがつらい・・もうそろそろ和らぐかと思いきや、ひどいときはまだまだ辛い何とかならんものか・・調べてみた何ともならんようだ・・<住友病院名誉院長(日本脳卒中協会名誉会長)亀山 正邦論文の抜粋>━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━脳の中の病変で痛みや痺れが生じることを初めて報告したのはドイツの有名な医学者(Eddinger,1891)で、100年余り前のことです。その患者さんは視床出血のあと耐え難い痛みにおそわれて自殺した方でした。中枢性疼痛は他人にはなかなか理解してもらえない苦痛で、意外と知られていません。このため、適切な治療を受けられず、苦しんでいる方が少なくないものと思われます。末梢性の痛みや痺れに比べて頻度は低いのですが、より苦痛を伴い、難治性で厄介なのが中枢性の痛み⇒痺れです。脳卒中の病変が直接の原因となって痛みをきたすもので、視床出血や視床梗塞による視床痛のほかに、大脳の出血や梗塞による中枢性疼痛、脳幹病変による中枢性疼痛なども知られています。脳卒中後のしびれが、麻痺のある側の手足、体や...
人間について

願いはかなう

Ameba人気ブログランキング2010年06月度 月間段位アップ賞 「願いはきっとかなうよ♪」カードAmeba人気ブログランキング>>願いはきっとかなうと信じること、これが人間にとって大きな力になると思う。希望とは世界の状態ではなく心の状態である。 希望、この深く力強い感覚は、 物事がうまくいっているときの喜びや成功が明らかな企業に投資する意欲などとはまったく異なるものだ。 むしろ、価値があるという理由で働くことのできる能力である。
人間の生き方

強い心であり続けるために・・

人間は苦境の空気が流れ続けると、心が弱くなる。心が弱くなると、余計な行動に出る。例えば苦境を他人のせいにしたくなるものだ。そうなるとお互いに信頼関係を失い、争いになる。強い心は明るい笑顔を作れる心が弱いと相手許せなくなる。ガンジーの言うとおり、許すということ強さの証であると思う。心の弱さは、ときに悲劇を生むその典型がヒトラーのユダヤ人の虐殺である。古今東西、世の中に「苦境」の空気が流れれば、それを「誰か」のせいにしたくなる人々が出てくる。第一次世界大戦後のドイツでは、その「誰か」とはユダヤ人であり、その空気がナチスの擡頭をもたらした。ナチスの擡頭と第二次世界大戦は、古くからの反ユダヤ感情に「ユダヤの連中なら、やりかねん」」といった類の「陰謀論が招いた災厄であった今、世界はなんともいえない苦境の空気に包まれている感じがする。リーマンショック、地球温暖化、大地震の多発、政治の崩壊・・こういうときこそ強い心が必要なのではないか。強い心は笑顔を作り、信頼を生む、信頼は(前向きな)団結を生み、苦境を乗り切るアイデアや発想を生む。僕も正直、苦境である。障害者・・いつのまにか・・約1年半前に脳出血で...