人間の生き方

気合いだ!気合いだ!気合いだ!

昨日から風邪をひいてしまったようで、熱っぽく気分は最悪状態レスリング選手のどこかのお父さんじゃないけど気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだ!病は気から!非論理的かもしれないけど病は気合いで治せる!どこかのアメリカ人が「日本人には風邪を引いたら気合が抜けているという人がいるけど風邪はウィルスが感染するんです。気合いでどうなるものでもない。日本人はおかしい」などと言っていたのを以前みたことがあるけど、僕は気合いで、心の持ち方次第で、脳からの指令が強くなり、免疫力もアップする!と勝手に信じてます。誰から唯脳論者と言われるかもしれないけど、人間の心=脳という考え方に変わりはない。心で病も、この麻痺も克服できる!と信じてます。神様仏様とお祈りするようなことは僕は死んでもしないだろう。死んだら「無」になると確信しているので、神様も仏様もあったもんじゃない。天国も地獄もこの世にある。人との関りを持つことができることこそが天国、孤独は地獄。気合いだ!気合いだ!気合いだ!
最新環境技術

循環型社会と再生可能エネルギー

循環型社会と再生可能エネルギー現在、地球資源の枯渇が近い未来に迫っていることが現実化してしたなかで、循環型社会の構築と再生可能エネルギーの研究開発が世界各地で進められている循環型の社会を作る。多くの環境に関係する人々、消費者、企業や行政の担当者が考えている共通のテーマであるはずだ。循環型社会をつくるということは、すなわち大量生産、大量消費、大量廃棄のこれまでの一方通行的な産業や社会の構造を変えるということである。  われわれは毎日、何らかの生産に携わっている。それが情報技術産業であれ、物づくりであれ、農業とか林業、漁業であっても、同じ生産の世界である。そのエネルギーはこれまでは石油や石炭などの化石燃料が中心だった。つまりエネルギーを使ってモノを作るのである。 出来上がったモノは消費される。消費したあとに残るのがゴミである。われわれはそれを自由に、好き勝手にゴミ箱へ捨ててきた。それを捨てずに、再資源化しようというのがリサイクルの世界である。 けれどもリサイクル技術がいくら発達しても、それだけでは循環型社会は完成しない。物づくりの基本であるエネルギーが、石油のような限りのある資源に依存して...
人間について

無私無欲

脳出血で障害者の仲間入りをし丸2年経った。。2年前の今ごろは、急性期病院で左半身の存在さえわからない状態の自分に呆然として自分の運命を受け入れることができていなかった。それがいつのまにか自分が障害者であることが当たり前になっている。健常者だったころの自分はもうとっく昔に忘れてしまっているようだ。苦しいこと、辛いこと、悔しいこと、たくさんあった。それでもなんとか乗り越えることができてきた。そんな中で、人間が生きる上で大切なこととは何かを考え続けた。いや考えさせられたという方が正しいでしょうこの2年で自分なりに考え、人間が生きる上で大切なこと、それは「無私無欲であれ」ということです。なぜなら無私であれば苦しむことも憎むことも悲しむこともないからです。「こんな自分は消えてしまいたい」と思ったことが何度もあります。どうせ「消える」なら「無私」になればよいではないか。それで柄にもなく、自分を戒め、勇気づけるためにも、柄にもなく、詩を作ってみた。無私は敵を作らず無欲は憎しみを作らず無欲は甘えを知らず無私は悲しみを作らず無私無欲は身体的苦痛をも癒す無私無欲こそ最大の心の平安の根源なり無私無欲に勝るも...
人間について

死の準備

正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなしご存知の方も多いと思いますが、これはあの有名な一休さん(僕の誕生日と同じなので僕にとってはなんだか昔から親近感のある人です。)の詠んだ有名な歌ですこの歌の意味は、お正月なんて死に向かって行く中での一つの一里塚にすぎず、正月が来れば来るほど、死に近づくわけだから、お正月なんてめでたくも何ともない。おめでたいと言ってる大衆は愚かだという意味の歌です。確かに人間は、生まれたその瞬間から死に向かって歩いている。生きるということは死への旅路と言っても過言ではないと思います。つまり、人間いつか死ぬ。この道に変更はない。しかし死を恐れてばかりで良いのだろうか。この旅路の終着点は動物も人間も同じだけれども人間だけがこの旅路にあらゆる方法で対処し、旅の道筋を変えることができるのではないだろうかいつ死ぬか分からないけれども、それをコントロールすることもできないけれども死ぬまでに「これだけをやっておきたい」「こういう生き方だけはしておきたい」と考え、それを実践できるのも人間だけだと思います。生きた証を残すこと、生きざまを残すこと、これは死への準備とは言えない...
人間について

謙虚さの大切さ

最近、日本人は謙虚さがなくなってきているのではないかと感じます。他人を敬う気持ち・・大切だと思う。たとえば上司を、先生を、敬う気持ちがなかったら、たとえそれが「本当に良いこと」を言ってくれていたとしても・・その人の言う事を聞く耳を持つことができないでしょう。これは人生において大きな損失だと思います。敬う気持ちを持つことによって、「聞く耳」をもつことができる。そうすることによって、結果としてたくさんの知識や知恵を自分のものにすることができるのだから・・最近は、総理大臣さえも尊敬する風潮にはない。確かに失政やそれを極端に煽るメディアの影響もあるだろうが本当にそれでよいのだろうか。学校の先生についても同じことがいえると思う。最近の生徒は先生を敬うという心がないように感じる親でさえ、学校の先生を馬鹿にする風潮があるように思える。これでは生徒が先生の言うことに聞く耳を持つはずがない。そして学校を軽視して塾に通わせる。何か間違っているような気がする。「謙虚さ」は日本人の特性ではなかったでのではないだろうか。 世界に誇るべき特性だと思います。西洋人や、中国人の特性として「目には目を」「歯には歯を」と...