人間について

疑う心から不安が始まり夢や希望まで失われてゆく

自分を信じることができない他人を信じることができないこんな疑う心から不安が始まるこのところしばらくそんな状態が続いていたように思う。「疑う心」も「うつ」のときの心のように一旦疑い始めると、疑いが疑いを生み出し疑心暗鬼になってしまう。そして、そのうちに自分さえ疑うようになってしまう。結果として、自信喪失状態に陥ってしまい希望も何も持てなくなってしまう。そもそも、疑う心に根拠なんてないものではないかあの芥川龍之介も自らの命を断った理由が「漠然とした不安」だと言われている。「漠然とした不安」この心は人間にとって非常にやっかいなものではないか。だって「漠然としている」から不安の原因をつかむことが出来ない。原因が分からないから解決も出来ない。だからどんどん苦しくなって心の負のスパイラルに陥るでも・・・不安に根拠がないのなら、信じる心にも根拠なんて必要ないではないのか!どうせ根拠がないなら、信じる方を選んだ方が得ではないか!そんなことを考えて、少し思い直して自分自身も周りの人たちも信じてみようと思ったら急に心が軽くなってきた。そんな気持ちで、自分の状況を見てみるとなんと希望がいっぱいではないか!九...
独り言

まだまだ自我のある自分

苦しい時に慰めてほしいという自分頑張っているときにねぎらってほしいという自分それが叶わないと周りを恨んでしまう自分まだまだそんな自我があることに気づく。自我があるから苦しむ。。苦しみがなくなり楽になるなら自我なんて捨ててしまいたい。まだまだてんこもりに自我が存在する自分・・まだまだ人生修行不足かな・・無私無欲なんて不可能なのかな。。
人間について

それでも生きなければならないのか。

僕は、一体誰のために、何のために生きているのだろう。これまでこんな障害者でも、少しでも人の役に立つ人間でありたいと思い、頑張り続けた。でも僕は一体誰のために、なんのためにこんなに頑張っているのだろう。頑張っても誰にも感謝されない。感謝されないことが辛いのか?誰のために生きているのかわからなくなってきた。自分のために生きるのか?自分のために生きるとは?自分が幸福であるために生きるとはいったいどういうことだろう最近そんなことがわからなくなってきたように感じる。自分にとって幸福とはお金でも、地位でも、名誉でもない。やっぱり「人とのつながり」だと思う。互いに笑い合い、お互いに助け合い生きていく。そのことによって喜びは共有し倍増する悲しみも共有し、悲しみは半減するそんなことが最も幸せなことではないだろうか。そう思っていたけれど・・・なぜだか今朝はむなしい。。そんなことを感じることが出来なくなったとき、どうすれば良いのだろうか。いくらがんばっても誰にも感謝されることなく、どんなに苦しんでいても誰にも慰めてもらえるわけでもなく、ただ一人ここらえ続ける。それでも生きなければならないか。それでも生きなけ...
人間について

心に10%の「空」を作る

心の中にほんの少し強いから「空」を作りたい。「空」とは「自我をなくすこと」生身の人間であるから自我を100%なくすことなんて不可能だだから10%でも良い。心の中に「空」も作りたい。そうすればこの苦しみが和らぐような気がするから・・司馬遼太郎さんによるとあの西郷南洲(西郷隆盛)という人は心にほんの少し「空」を作ることができる人だったという。人はその「空」に魅せられたという(自我や我欲が見えない瞬間があったのだろう)心の中に「空」を持つことができる人は、憎しみや悲しみや怒りなどの負の心を持ってしまうような相手や自分の状況を素直に受け止めることができるのではないだろうか「素直に受け止める」これがなかなか出来ない。どうしても自我、つまり自分の思い入れやこだわりなどが邪魔をして受け止めることが出来ない。無理に受け止めようとすると(くだらない小さな?)プライドに傷がつき、心に悲しみや怒りや憎しみが芽生えてしまう。そしてこの悲しみや怒りや憎しみに人は苦しむ。僕も毎日の苦しい。だからこそほんの少しでも良いから心の中に「空」を作りたい、たとえ10%でも良いから。そうすれば持ちたくもない悲しみや憎しみや怒...
独り言

夢と現実の境目

昨夜、学生時代の夢を見た。大学時代の夢だった。そこにはたくさんの仲間がいた。僕はスキューバダイビングのクラブだったのでみんなで一緒に海に潜っていた。そこでは僕は体は普通の体だった。何の問題もなく水中を泳ぎ回っていた。頭のどこかで「なんだ障害者になったことなんて(将来の?)夢だったんだ!」という思いがよぎっていた。なにかとても幸せな気分だった。なぜかものすごく開放感があった。「良かった・・泳ぐことができている」次の瞬間、目が覚めた。目が覚めた瞬間、左手がしびれていることに気がつく。左足もしびれている。動かそうとする、、やっぱり鉛のように重い。。「嘘だ!・・これは夢だ。夢であっほしい」と頭の片隅で思った。しばらくの間、どっちが現実でどっちが夢なのかわからなくなっていた。何か心の中にものすごく重たいものがのしかかってきた。。そうやって夢と現実の境目の中でしばらくもがいていた。徐々に半身不随の自分の方が現実であることを認識できてきた。つらい気持ちが心の中を貫いた。。このままではいけない。このまま夢と現実の境目の中をうろついていては心が崩壊してしまいそうだ。歯を食いしばって、ベッドから起きあがっ...
人間について

自分一人ではそんなに心を強くすることなんて出来ない。

この3日間ほど九州遠征の疲れが出てしまったのかなにごとに対しても妙にネガティブな思考に陥ってしまった。腹が立つこともたくさん起こった。自分だけが・・という気持ちになってしまった。これは自我をすることができていない証拠だ。自我があるから苦しむのだと頭では理解しているが人間そう簡単に自我など捨てることが出来ないものだ。今回もそんな状況の自分から脱出するために「無視無欲」「心のパラダイム転しよう」「捉え方を変えよう」などと努力したがなかなかブレークスルー出できなかった。結局、息子の笑顔に助けられた。息子の映像を見ると、それだけで訳も分からず、無条件で心が明るくなり前向きにやって来たのだ。人間いったん心が落ち込んでしまうとひとりではどうすることも出来ないものだ。ひとりでいくらもがいても、もがけばもがくほど泥沼に入って行ってしまうようなことが多いのではないだろうか。そんなことで今回人とのつながりの大切さを痛感した。やっぱり孤独はいけない。人間は信頼できるつながりを持ってこそ強くなれるのではないだろうか。そして今回僕を強くしてくれた、力づけてくれたのはまだ純真で無垢な7歳の息子だった。純真で無垢な...
独り言

緊急時に「待ち」の行政では対応できるわけがない

自民党災害対策本部から被災地へ飲料水化設備の供給が出来なかった理由が分かった。このブログを読んでくれた方が民主党の内閣にいる大物議員の秘書につないでくれた。その秘書さんと直接電話をして話を聞いた。自民党災害対策本部からも被災地へ飲料水化設備の供給が出来なかった理由は「内閣府に要望が上がってこなかった」からだということだった。だから決して提案を軽視したわけではないと言われた。その瞬間納得した。。けどよくよく考えてみると、これっておかしいんじゃないか?そもそもあれほどの大災害の被災地の人たちが内閣府にまで要望などを挙げることができるわけがないではないか。「内閣府」自体、頭によぎることもないのではないか思いついたとしてもどうやって内閣府に要望を上げるかその術が分からないではないか。要望が挙がってこないから何もしない?こんなことで危機管理はよいのだろうか。よいはずがない。現場は大混乱状態であるその時に、国が「待ち」の姿勢でどうするんだ。先に想定して動かなければならないのではないか。災害時のシナリオがゼロだったのではないかシナリオがなければどんな優れたツールも生かすことなんてできない。「想定が出...
人間の生き方

薄氷の心と体を支える家族のパワー

昨夜は心の何か限界に達したような気がする。そして心の糸がプツンと切れたような気がする。薄氷の様に薄くもろくなった心がボロボロとくだけてきたような気がするそして一気に気力が萎えてしまった。僕の心の限界が近いのかも・・NPO法人の動きが良い方向に進みだしたとはいえ、家計は火の車。身体は毎日毎日朝から晩まで痛みと痺れに苛まれ闘い続けなければならない。今朝は自分の心を自分なりに分析してみた。何がそんなに辛いのか。心のクラスターチェックかな気力が萎えてしまった原因が心の論理エラーだけであってほしい心自体のクラッシュでないことを祈る。そんな思いで、ひたすら自分の心を見つめ直した。しかしいつものようにうまく回復しない。やはり何か限界にきているような気がする。それは肉体的な痛みと痺れが原因なのか。。それとも、体が不自由になってしまったことへのつらさが実ははまだ残っていてひたすら「もう受け入れることができた」と自分自身に偽っていたのかもしれないその偽りの虚勢がストレスとなり溜まり続け臨界点まで来ていたのかもしれない。そして、、、、、今朝息子の顔を見たとき、「お早う」とお互い声をかけたその瞬間だった。壊れ...
独り言

もう疲れた

このからだでひとり奮闘するのはもう疲れたなぁ
最新環境技術

最先端技術を持つ底辺の中小企業が未来の日本を支える。

5月11日から13日にかけて九州にある再生可能エネルギー技術開発しているという企業に訪問をしてきた。またもや車移動による強行軍だったが、実に有意義な3日間だった。1社目は佐賀県にある最新太陽光発電パネル設備設置企業だ。2社目は久留米にある最新風力発電システムと高性能長寿命蓄電池を開発する企業だ。どちらも小さな会社だった。しかし現実は見事だった。世の中が変わると思った。その技術は決して実用化不可能な技術ではなかった。よくある「発想レベルで実現不可能」というものやまたは実験室レベルでの実証試験だけで、大規模化と実用化は不可能」というものでもなかった。そのためにNPO法人の技術に非常に詳しいエンジニアと同行したのだ。それでも実現可能だと確信ができた。僕は原子力発電は必要不可欠だと考えていた人間の一人だが、今回の九州の企業回りで考えが変わった。原発は必要ない。近い将来、原発なしで日本の電力は必ず賄うことができると確信できた。しかし色々な問題もあることがわかった。最大の問題はいわゆるエネルギー業界にはびこる「利権」なのだ。世の中、新しい技術が開発されるとその技術に太刀打ち出来ない既存の技術を持つ...