独り言

終わりのない苦痛

脳卒中の後遺症の苦痛というものと他の病気との最大の違いは「終わりがない」ということである大抵の病気はどんなに苦しくとも治癒すればそこで終わりである。痛みなどの苦痛も終わりである。骨折などしたとき足が不自由になったとしても、治癒すれば歩けるようになる。つまり「終わりがある」のである。しかし僕の苦痛には「終わりがない」のだ。この3年間というもの朝起きてから左半身の痺れが始まり、そして強烈な痛みへと変化する。それが24時間続く。さすがに睡眠中は和らいでいるようだけれど。朝起きるとまた始まるのだ。こんなことが毎日、もう3年間続いている。終わりがないのだ。いつまで続くのだろうか・永遠に続くのだろうかそんなことを考えると気が変になりそうになる。僕にとって痛みの終わりは死であると覚悟している。体の不自由さの辛さの終わりも死であると覚悟している。だから死を怖れることは無い。むしろ臨んでしまうときもある。この辛さから解放されるなら・・・とでもこんな身体ではあるけれど、「その時」が来るまでになにか人に役に立つこと一つは成し遂げたい。そんな思いだけが僕を生かしているような気がする。そんなものが僕の志の源泉で...
人間について

生きているだけで丸儲け・・そんな言葉何の励ましにもならん

これまでに何人かの人が僕に対して励ましのつもりか知らないが、「生きているだけで丸儲けですよ」と言ったコメントやメッセージをくれた。生きているだけで丸儲け?なんだその言葉は・・・こんなに苦しく辛く生きていることが何で丸儲けなんだ???朝起きた瞬間から全身の痺れに襲われ、さらに痛みに耐えながら毎日毎日生きている。こんなふうにして生きていて何で丸儲けなんだ。それは健常者だから言えることだろう。あるいは本人ではなく周囲の人が思うことではないのか。「体が不自由でも良いから生きていてほしい」それは周囲の人の気持ちにすぎないんじゃないか。本人の気持ちとは全く違うと思う。本人の気持ちを無視しているんじゃないか。僕はこれまでそういった周囲の人たちにの「生きていてほしいという」想いを受け止めそのために自分自身を励まし、自分自身を叱咤して生きてきた。別に生きていることが丸儲けだなんて感じたことは一度もない。こんなに苦しいのなら死んで無になった方がよっぽどマシだと思っている。それが僕の本音だ。だから僕はブラックジャックではなくドクターキリコが好きだ。ドクターキリコの言っていることは実感としてとてもよく理解でき...
独り言

僕は何のために生きているのか。何のために生きるべきなのか。

何のために生きているのか。僕は何のために生きているのだろう。またそんなことを考えている。3連休という休みがあったからだと思う。「あなたは何のために生きているのですか」この問いかけに答えられる人は意外と少ないのではないのではないだろうかと思う。事業に成功するため?大金持ちになりたいため?オリンピックで優勝するため?そんないろいろな答えが返ってきそうな気がする。でもそれはその瞬間の目標のようなものであって「何のために生きているか」という質問の答えにはなっていないと思う。でも僕は今、はっきりと答えることができる。僕と「人との「つながり」を持つために生まれ生きているのだ」と・・「人とのつながり」を持たなくなってしまったら死んでも同然だと思うからだ。この3連休、僕は人との「つながり」がほとんどなかったように思う息子はどこかに遊びに行きたそうにしているけれどどこにも連れて行ってあげられなかった。台風が近づき雨模様だったということもあるけれど昔の僕だったら屋内プールにでも連れていってあげることが出来ただろう僕自身が何を楽しんでいるのかからない。とにかく体を動かして楽しむことは一切できない。たかが基本...
独り言

自分で限界を作らない限り

自分で限界を作らない限り限界なんて無いんだよね。限界は自分の心が勝手に作るものだ。自分で勝手に限界だと思い込んで自らの命を絶つなんて愚の骨頂だ。自分の心が限界じゃないとおもえば限界なんて存在しない。そして命を楯にする気概があれば、万策尽きることなんて無い!今、この瞬間僕はそう自分に言い聞かせているiPhoneからの投稿
独り言

覚悟と不安

ここのところ僕にとって「覚悟」は何か、ということをいろいろ考えている。覚悟がないと不安に襲われるそれは分かるでは一体「覚悟」っていったい何なんだ。その結論が僕の心の中でやっと出たような気がする。不安に襲われるの原因は「策」がないからだ。つまり最悪の事態を想定したとき、対処できる「策」がないからだ。「万策尽きた」という言葉があるが、そもそも本当に万策が尽きることなどがあるのだろうか。そう考えたとき僕にとっての「覚悟」の意味が分かったような気がした。万策が尽きることなどないのだ。なぜなら最後の策は「死」だからだ。「死ぬこと」さえも策の一つであると思うのだ。昔、侍の勝ち負けは技の良し悪しではなく、自分の命を盾できるかどうかという度胸の有無が勝負を決めると聞いたことがある。つまり自分の命を盾するという「策」を持つことができるかどうかということではないだろうか。その「策」を選択するという選択肢を持つことができないから不安になるのだ。自分にとって絶対選択したくない「策」つまりその「策」を選択するというオプションを持つことこそが「覚悟」なのだということが分かった。このことが分かって僕の中のモヤモヤと...
人間について

僕なら日本の財政赤字をこうやって乗り越えるのだが・・

首相が野田首相に代わって日本の財政赤字からの脱却策として増税を打ち出した!僕は今、正直「政治家ってなんてバカなんだ」と思っている。財政赤字になったから税金を上げる???僕も昔零細企業なりに企業経営をしていたから分かるのだが「財政赤字になったから税金を上げる」などということは企業で考えると従業員から出資を募るようなものだ。所得税を増税するということは給与カットすることと同じではないか!企業経営者がやるべきことは売上げアップ以外にないではないか!そんなことは当たり前じゃないか。売上アップするためには何が必要か単純なことだ。営業努力もしくは新商品開発以外にないではないか。つまり国で言えば営業は外交ではないか。新商品開発は技術立国日本のだから科学技術の開発以外にはないではないのか。外国に売り込む魅力のある商品を作らなければならないのだ!そんな努力もせずに財源がないから増税したり赤字国債を発行するなどということは銀行から借金をするに等しいのではないか。財務省は企業でいえば銀行や会計事務所と同じだ。彼らに営業戦略が分かるわけがない。商品戦略を理解できる訳がない。ただお金が足りないから融資とか増資に...
独り言

僕の人生最大の挑戦

いよいよメガソーラーによる再生可能エネルギー発電事業に海外からの投資を呼び込むためのファンド創設が動き出した。ファンド組成会社が動き始めてくれた。このファンド創設が成功すれば、世界の投資家の目は日本の再生可能エネルギー技術に向かうと信じている結果として技術立国の日本の経済が復活することを願っている。ファンド対象事業の概要は以前記事にした以下のようなものだ。総理大臣交代し、国家財政の再建策として増税路線を走りだそうとしているが僕は間違っていると思う。経済再生無くして増税することは非常に危険であると感じている。だからこそこのファンド創設は何が何でも成功して欲しい。半身麻痺いう障害を負ってからというものこんな障害者でも世の中に役に立つことができるのかということを自分に問い続け、痺れに痛む動かない身体ででき得る限りのことをやってきた結果の集大成だ。障害者となってからも無職無収入の状態でわずかながらの預貯金を切り崩しながら進めてきたことだ。ここで失敗すれば資金も底を尽きるからどこかに障害者雇用してくれる企業に就職しなければならないことになる。そうなったらこの僕だけのプロジェクトも終わるかも知れな...
人間の生き方

生かし合う

人間の命は尊い。自分の命は当然尊い。しかし人はともすれば自己の命だけを考えがちになるものだ。自己のと同様に他人の命も尊いはずだ。でも自分が苦しくなるとどうしても自己の命にばかり目がいくものだ。ビジネスなどにおいてもどうしても自己の利益を優先しがちになってしまうものだと思う。僕自身、障害者となった当初は自分の命ばかりが気になった。他人のことを考えるような余裕は全くなかった。ただ「自分が役に立つ人間でありたい」という思いばかりだった。そのこと自体も「自分のため」のエゴなったような気がする。これも自分のことしか見つめることができていなかった状態だったと思う。それでもいつの頃からか人に役立つためには自分を捨てなければならないことに気がついたように思うまずは自己を捨て相手を生かす。まずは相手を生かしてから、そこから自分が生きるきっかけが生まれるそんなことに気がつき始めた気がする。まずは自分を捨てることが大切なのだと思うのだけれどしかしこれがなかなかできるものではない。何かにつけて、どうしても自己を優先してしまいがちになる自分がいることに気が付くことがあるそんな時障害者だから自分を優先してもらって...
独り言

ネガティブな孤独とポジティブな孤独

僕は今、ポジティブな孤独に苛まれているポジティブな孤独?なんだ一体それ?と思われる方もいるでしょう。当然です!僕が作った造語だから・・誰も知るわけがない・・笑)僕は孤独にはネガティブな孤独とポジティブな孤独の二つがあると思っている。これは僕の経験上から感じていることだ。ネガティブな孤独とは僕が3年前脳出血で半身不随となったときまともに動くこともできず、「自分はもう何の役にも立たない人間になってしまった」と感じながら1日中ベッドに横たわっていたときに感じた強烈な孤独である。「自分はもう何の役にも立たない人間になってしまった」と感じることは生きて行く上で「人とのつながり」を断たれてしまったという感に襲われるものだ。実に孤独だった。こんなに孤独なら生きている意味がないと感じた。死んでいるのも同然だと思った。本当に死にたいと思っていた。こんな孤独な「ネガティブな孤独」であると思う。でも今は何とか「人とのつながり」を持ち始め「ネガティブな孤独」からはかなり脱却できていると思う。でも今、孤独から脱却するために自分の心の中に持った希望と志が逆に僕を孤独にすることがある。なぜなら今僕が持っている希望や...
独り言

挑 戦

自分の人生を今振り返ってみれば、我ながら挑戦の人生だったと思う。僕は子供の頃、今回の脳出血の原因となったモヤモヤ病の虚血発作はを起こし、よく左半身が一過性の麻痺に襲われていた。そのせいで小学校などの体育の時間プールは禁止だった。いつも見学だった。子供心に悔しかった・・だから中学生になり虚血発作の頻度が少なくなり水泳の禁止が解かれたらすぐに水泳部に入部した。何としても泳ぐことができるようになりたかったからだ。中学校でも最も厳しいクラブである水泳部に入部したのだ。今まで泳ぎの練習をさせてもらえなかった分人一倍泳ぎはヘタだったにも関わらず・・やらなければならない・・負けてたまるか・・そんな気持ちで練習に励んだ・・夏になると授業のある日は放課後から6000mの練習量をこなした。今から思うと本当によく練習に堪えたと思う。現代はあの北島でも1日の練習量は2000mくらいだと聞く。あの頃の練習は現在のような科学的な練習ではなく、いわゆるスパルタだった。現代はあの北島でも1日の練習量は2000mくらいだと聞く。僕の中学生の時は夏休みになると午前と午後の練習を合わせて2万メートル近い練習量をこなした。僕...