人間の生き方

真剣に考えてこなかった半分の人生

真剣に考えてこなかった・・なんとなく僕のの人生は悲惨であるはずがないと考えていた。・・ただなんとなく・・45歳までは・・その津波は突然やってきた。脳出血という形で・・全く予期していなかった。。というか真剣に考えていなかった。いつか来るかもしれないと思いながらも・・ダメだ!負けちゃダメなんだ!どんなに身体が辛くても、不自由でも・・負けちゃ・・終わりなんだよ。勝たなきゃダメだ!何としても乗り越えなきゃ!障害者だから・・・なんて言い訳にならない。障害者だかこそ、瞬間、瞬間を負けられない。少しでも負ければ、奈落の底に転落だ!自分を信じろ、希望を信じろ。不安に慄いていても何もできない。思いやり?そんなお人よしはもうヤメにしておけ。本当の思いやりとは正々堂々と闘いを挑むことだ。それこそが相手に対する思いやりだ。これまでの半分の人生は生半可な生き方だったと思う。でもこれからの半生は誰よりも真剣に生きてみせる。結果なんて出なくてもよい。人が言う「成功」なんてしなくてもよい。人生の最期の瞬間に、真剣に生き抜いたことを誇りに思えるだけで良い。
最新環境技術

Facebookに太陽光発電のファンページを作ってみた。

Facebookに太陽光発電のファンページを作ってみた。太陽光発電のファンページ以前やっていた日本刀販売も知り合いの社長の支援で運用開始したのでそのファンページも作ってみた。日本刀のファンページどちらも英語でコメント書いたのでつらかった・・(^_^;)
人間について

不確実性の世の中で希望を持つということ

「不確実性の世の中で希望を持つことができるのが人間だ」という。これは脳科学者の茂木健一郎氏の言葉です。世の中不確実性に満ちている。明日自分が交通事故で死ぬかもしれない。そのような中でもほとんどの人間は自分が明日交通事故で死ぬとは思っていない。明日も生きていると思っている。これっていわるゆる明日の希望じゃないか。明日自分が交通事故に遭わないなんて希望に何の根拠もない。でもほとんどの人間がそう「確信」しているのではないか。何の根拠もないのに・・もし明日自分が交通事故に遭うかもしれないなんて思っていたらビクビクしてい生きていけないだろう。こんな不安にも根拠がないのだ。もっと言うと、男と女の結婚ほど不確実性に満ちた行動はないのではないか。自分たち二人だけは幸せになれると確信して結婚している。。何の根拠もないにも関わらず・・誰も自分たちは不幸せになると思って結婚する男女はいないだろう・・・でもその「確信」があるからこそ二人幸せになろうと努力し、知恵とアイデアを出し切磋琢磨するのではないだろうか。結果として幸せになれる。。のではないか。そういうことが不確実性に満ちた世界で希望を持つということではな...
独り言

天候のすぐれない日は体調も、、

今、事務所に向かう阪急西宮北口駅のカフェ。今日は朝から曇天模様、午後からは雨模様らしい。朝から左半身が猛烈に痺れてツラい思考停止と鬱気味情けない無私無欲自我を捨てれば火もまた水のごとしじゃないか。冷静に、冷静に、湧き上がる根拠なき不安は捨て去ろう根拠なき不安なんか持つより根拠なき希望を持った方が得だ。根拠なき不安を持つと知恵もアイデアも枯渇する。根拠なき希望でも希望ならば心は前向きなり、知恵もアイデアも湯水のように湧き上がるさあ今日も希望に燃えて頑張るとするか(^O^)/iPhoneからの投稿
人間について

やはり全ては心である。

今日は朝から麻痺側の足が異常に痺れていて歩くのがとても辛かった。そもそも気分がすぐれていなかった。一昨日からあまり良いことがなかったから・・そしてNPO法人の事務所に出向いてメンバーたちと今後の話をしたりして、前向きな話が出てきたころから不思議と足の痺れが少なくなってきた。(自分は決してひとりではないという感覚が沸いてきたころからだと思う)朝、あれほどツラかった歩行だけど、午後には坂道でも「なにくそ」という気持ちが湧いてきた。我ながら不思議なものだと思った。身体的障害を克服させるのも人の心なんだ。身体にどんなに障害があっても強い心さえ持つことができれば身体的な怪我などでさえも乗り越えることができる。そしてその心を癒してくれたり、励ましてくれたりするのも人の心であり、人との「つながり」なんだとつくづく感じた。そして精神的障害を克服させるのも人の心であると思う.人との「つながり」こそが人の心を強くし、希望を持たせるのだと思う。それはきっと「絆」というものだろう。人は一人では生きていくことはできない人の病んだ心を治癒できるものは人の心しかないのではないか。決して薬ではないと思う。そんな心さえ...
人間について

物事が達成できない理由

物事が達成できないのは、能力(身体機能や頭の良さ)の欠如ではなく、執念の欠如である今、そう自分に言い聞かせている自分自身のために・・・
人間について

志が達成しつつあるのかな

先週末、九州の会社のソーラーパネル技術に対してインドからのオファーを取り次ぐことができた。なんと5エーカー(約20000㎡)の広大な土地にそのソーラーパネルを設置したいというオファーだ。日本の中小企業の持つ技術を世界にアピールし繋げたい。そのことで僕がまだ役に立つ人間であることを証明したいそんな思いで立ち上げたホームページから、いつのまにかできたNPO法人の本物の実績が上がろうとしている。さらにこの会社に対する数十億円ものメガソーラーファンドのスキームもスタートできそうだ。ファンドの世界なんてど素人だった僕だけど、「何とかしたい」という思いだけで、恐いもの知らずでファンド会社にダメ元で直接飛びこんでいった結果、意外にも強い関心を示してくれ、ファンドにど素人な僕に対して、考えられるスキームについて教えてくれ、ポジティブな姿勢で接して頂き次のステップに進むことになりそうだ。あまりにも大きな話なのでまだ現実感がないが、これまで諦めなかったことが功を奏したような気がする。こんな身体でもここまでできるものなんだと我ながら感心してしまっている。まだまだこれからさまざまな壁が立ちはだかるだろうけれど...
独り言

息子の運動会

昨日は息子の小学校の運動会だった。息子の走る姿を超望遠の一眼レフで撮れた!麻痺した左手が震えて大変だったけどsシャッタースピード1/5000秒にしたらうまく撮れた。1年半前に脳手術したとは思えないくらい頑張っていた。。親としてはな涙が出ほど嬉しかった。
人間について

僕が本当に本当に辛かったこと

僕が脳出血で半身不随になって本当に辛かったことは 身体が不自由になったり、痺れや痛みなどの身体的なことなどではなかった。その結果として後に起こったいろいろな出来事だった。そしてその結果、さらに起こった身内の揉め事・・そしてそれらの処理だった。脳出血で倒れたとき僕はサラリーマンでは無かった。そのことが後で大きな負担となった。簡単にいうと一つは会社の清算という決断の苦しみだった。会社の清算=借金が残るその数千万の借金がこの半身不随の身体にのしかかってきた。。たかが数千万といえど半身不随という身体になってしまっては身体の不自由さを受け止めることで精いっぱいだった僕にとてもそんな借金など返せる自信はなかった。倒れる前の僕だったら日雇いの土木作業員でもして一生かかっても返すというような気力も沸いたであろう。でもとてもじゃないけど、こんな身体で数千万の借金を抱えて生きていく自信はなかった。このままだと間違いなく妻子を路頭に迷わせてしまうと思った。自死した方が楽だ。そしてその保険金で借金を返そうと考えたことも無理はなかった。そんな苦しみに苦しんだ末、選んだ選択が会社の破産であり自己破産だった。この処...