人間について

絶対的不幸・絶対的悲しみ・絶対的な貧困は存在しない

僕は左半身麻痺である。そのことは絶対的不幸か絶対的悲しみかそうではない。なぜなら、例えば、、僕は丼を食べるとき最後の米粒を丼ばちを持って口に掻き込めない。それは絶対的悲しみか?そうではない。周囲のほとんどの人が丼ばちを持って口に掻き込める僕だけが掻き込めない。。。だから悲しいのだ。周囲の人々も僕と同じように最後の一口はスプーンを使わなければ食べられないのであれば僕は自分を悲しいとは思わない。情けないとも思わない。その悲しみとはあくまでも相対的な悲しみなのだ。貧乏も同じだ。周囲が液晶薄型テレビを持っている。でも自分だけが持っていない。だから惨めだと感じる。縄文時代の人がテレビを持っていないからと言って惨めだと思うだろうか。勝つ人がいれば必ず、負ける人がいる。勝った人がいるから負けた人は悔しい。喜びも悲しみも苦しみも心に感じるすべての喜怒哀楽に絶対的なものは存在しない。僕の障害の苦しみも悲しみも絶対的なものではない。あくまでも相対的なものなのだ。だとしたら(絶対的苦しみの感情でないとしたら)、抜け出す方法があるのではなかろうか。
独り言

無は苦しみからの永遠の解放

僕にとって、、無は(障害者という)苦しみからの永遠の解放である。周囲はきっと、僕が後遺症の片麻痺を受け入れ乗り越えたと思っているのだろう。その事は僕を見る目や僕にかける言葉からひしひしと感じる。そんな事が分からない程僕は鈍感ではない。そして半身麻痺などという人間としての当たり前の機能を喪失した現実をそんなに簡単な受け入れられる程甘いものではない。だから、、今でも無は僕にとって苦しみからの永遠の解放である。重要な事はいつ、どのように無に帰するか、、であるいつ、どのように、どこで、誰にも迷惑をかけず、そして、誰にも知られずにであるそのときは近い早く方法を考えなければならない。
最新環境技術

徳島県上勝町で発見したすごい事!

只今、徳島県上勝町から帰ってきました。今回、徳島県上勝町ですごい発見があった!本来、徳島県上勝町にはバイオマス施設計画推進のサポートのために行ったのだが・・いっしょに行って頂いたバイオマスの専門家が驚くべき発見をした。。それは何気なく拾った川の石が白かったことから始まった。最初は石灰かと思ったらしいでもどうも珪石(シリカ「SiO2」)ではないかと思われたらしくすぐにネットで調べたら、、あった!のだ昭和40年代の文献だが、この一帯に2億トンの珪石(シリカ「SiO2」)が埋蔵されているという文献だ!上記のURLがその文献PDFファイルだ。思わず僕の以前の会社のホームページにアップロードしてしまった。しかもこの文献によると純度98%前後だという!これの何がスゴイかというと・・シリカは今やシリコン結晶型太陽光発電パネルに無くてはならない原料なのだ!もちろん半導体にも必要な原料だそのほとんどを中国から輸入しているという。その純度は93%程度2、3年前中国がこのシリカ突然値上げして業界が大騒ぎになったという代物なのだ。太陽光発電などの再生可能エネルギー普及が叫ばれているなかでこのシリカは日本にとっ...
独り言

徳島県上勝町全景

今日来ている徳島県上勝町の全景障害者になってからこんな山奥に仕事にくるとは思わなかったなぁ、、四国のスーパー林道のすぐ近くだ、、iPhoneから投稿したら、写真が横になってしまった、、(⌒-⌒; )From iPhoneShunsuke Okashita
独り言

上勝丼

徳島県上勝町に来て、この町のB級グルメ「上勝丼」とやらを食べてみた。カツが美味そうと思って食べてみたら驚愕!愕然、、中は豚肉でもなく、牛肉でもなく、鳥肉でもなく、魚でもなく、な、なんと!椎茸だった~!!(◎_◎;)そ、そんな、、詐欺じゃんと思ったけど、渋々食べてみたらこれが、な、なんと!美味い!肉厚の椎茸の歯ごたえと香りが絶妙の味のハーモニー!椎茸は上勝町の特産らしい。皆さんも是非、お試しあれ!上勝町の肉厚の椎茸イヤ、、上勝丼を、、ご家庭でも簡単に作る事ができると思うよFrom iPhoneShunsuke Okashita
人間について

苦しいときほど生きている実感が沸く

朝、目が覚める。左半身が猛烈に痺れている。ベッドから起き上がるのに右手右足だけの力で起き上がる苦しいいつまで続くのかこんな朝・・20分かかって着替えをする。。足がふらつきながら手摺を伝ってリビングに行く痺れは顔にまで来ている~ボーっとしている朝食のコーヒーを作る。片手で水をT-FALのポットに入れ、お湯を沸かす。足がふらついてツライ・心がメゲそうになる片手でインスタントコーヒーのキャップを取り適当にコーヒーカップにコーヒーの粉を入れる半分沸いたお湯を入れる僕は左利きだったから右手の力が弱いからT-FALのポットが重く感じる。やっとコーヒーができる痺れがやはりツライ朝食の食パンをトースターで焼くやっと朝食だ。このころからだ。。心の中に「負けるもんか」という気持ちが沸いてくる。このとき不自由負けずに生き抜くぞ!とやっと思えるそう思えたとき、我ながら「一生懸命生きている感」を感じるきっと辛くなかったら毎朝「負けるもんか」てなんて思わないだろう。人間って苦しいのはイヤだけど実は苦しいときほど生きている実感が沸くものではないだろうかさあ今日はこれから徳島へ直行だ!頑張るぞ!負けない! 絶対に!こ...
人間について

人生は長距離マラソン

人生は長距離マラソンなんだから百メートルで一等をもらったってしょうがない障害者でもゆっくり最後まで完走する方がいい勝たなくても・・
独り言

やっぱり苦しいな・・

やっぱり苦しいな・・24時間365日半身の痺れに耐えているのは・・苦しい・・人には決して苦しい顔はしないけれど・・「大丈夫!大丈夫!」って笑顔を見せているけど苦しい・・いつまで我慢しなきゃいけないのかな・・いやいやそんなこと考えたら余計苦しくなる。何も考えず、ただひたすら何かに打ち込んでいたい。夜、眠るときが一番苦しいだって静かだし、痺れを余計に感じてしまう。いつ終わるのかな・・この不自由さと痺れにおさらばできる日は来るのかな・・それとも死ぬまで来ないのかな・・じゃあいっそ・・止めとこうこんなこと考えるの・・でも考えてしまう。だって痺れを感じているんだから手も動かないんだから・・大きなビジネスなんかできるよりも左手でお茶碗を持ってご飯を食べれるようになりたい。両手で息子を抱き上げたい。肩車もしてあげたい。キャッチボールもしてあげたい。こんな僕の望みはそんなに大きいのかな?手の届かない高い望みなの?もう考えまい。考えたところで何も変わらない。なぜか今日はネガティブだなぁ・・
人間の生き方

遅くても、能力がなくてもゴールした方が人生の成功

僕は左半身マヒで身体機能は人より劣るけど、痛みや痺れも手伝い、何をやるにも「トロい」けど、その不自由さに負けず、痛みや痺れにも耐え、ゆっくりでも良い(人生の)ゴールができれば良いじゃないか。ゴールとは決して経済的成功でなくても良い。素晴らしい仲間に囲まれ精一杯生き抜くことができたという満足感さえあれば良い。ゆっくりでもよい。ホリエモンさんのように性急に経済的成功をしたとしても信じていた仲間に裏切られ、社会の厄介者になってしまったらそれは人生の成功とはいえないそんな意味で僕は今素晴らしい仲間(同志)に囲まれているその仲間の力添えがあるからこそ進めることができることがあるそれだけで半分人生は成功したようなものかもしれない。本当は幸せなのかもしれない。そんな状況に感謝しよう。
人間の生き方

やっぱり全てを許そう

やっぱり全てを許そうそうあのマハトマガンジーの言葉のように・・「弱い者ほど相手を許せない、許すということはと強さの証だ!」