人間について

時は解決してくれない、時は悲しみを受容させてくれない

これを読んでくれている皆さん方の中にも「時が解決してくれる」とアドバイスされたことが一度はあるのではないでしょうかでも時が経ち記憶が薄れることで不安や怒りや悲しみが解消できるならば、それは「忘れる」ということです。どうしても忘れることができないとき「時は解決してくれない」のですその悲しみや苦しみが毎日に関わる重大なことならば、薄れる可能性より問題が、苦しみが更に深くなることだってあり得ます。このことは僕の祖母の事を思い出しながら書きます。時が苦しみを受容できるようにしてくれるということも聞いたことがある受容・・「悲しみの受容」「障害受容」受容という言葉・・なんと冷酷で残酷な言葉なのだ。愛する人の死の悲しみや障害を負った苦しみなどを「こんなものだ」と受けれること?不可能だ・・経験した事のない人が無責任に言う冷酷且つ残酷な言葉にすぎない。肉親や子供を亡くした方は時間の経過とともにその悲しい事実を受け入れることが本当にできるとでも思っているのか。時間と共悲しみが癒される?それは不可能だ。その人達の時間は亡くしたときの瞬間で止まっているのだ日常に涙が消えたのは、決して受け入れたわけではない心の...
人間について

輝いていた過去 僕の心の拠り所

この動画は僕が決して忘れることのない僕が元気で輝いていた過去に僕が撮影した写真集です。この輝いていた過去は僕にとって宝物です。そして心の拠り所ですだからこそこの宝物の過去を決して忘れることなく、そして大切にして、これからは上を向いて、前を向いて歩くつもりです坂本九さんの「上を向いて歩こう」の音楽を挿入していたのですが、著作権の関係でみることができなくなるようなので無音動画にしました(;_:)
独り言

全責任は我にあり

僕は脳出血を起こし、半身不随となり会社を破産させ、従業員も解雇したそして個人破産もした家族・親戚にも心配をかけた今思うとこれらの全責任は僕にあると思う病気なんて予測できないと慰めてくれる人もいる難病のもやもや病になったことも僕の責任ではないと慰めてくれる人もいるそれでも脳出血を起こし、上述のような状態になっ全責任は僕にあると感じているリーマンショック後会社の売り上げが落ち込みそれでも銀行から借り入れをしてストレスで血圧が上がり始めていたことも認識していたそれでも降圧のために病院に行かなかった明らかに健康管理不備であるなるべくしてなった脳出血であると思うだから全責任は僕にあると思うだからこそ、全責任を持って再起を誓いたい思うそれくらいの気概がなくてどうする!それくらいの気概がなければ、たとえ健常者に戻っても「社会の役に立てる人間」などなれるわけがない痛い 痺れるなどと弱音を吐いていてどうする!
人間について

痛みや苦しみを感じている事は生きている証拠

苦しみや痛みを感じていると言う事は生きている証拠だ!そして、苦しいときほどいろんなものが見えてくるような気がする人間の本質的な事自分の弱さや強さそして、自分が生きる意味そんな事が見えてきたような気がするそして、僕は健常者の頃より今の方が格段に成長したような気がする更には自分の世界が考えられない程広がりをみせているような気がするそう思うと苦しいときほど成長のチャンスではないか!そう思う事で苦しさに打ち勝つ事ができるような気がする
人間について

憎しみや怒りや悲しみの前に工夫を・・

僕を襲った病魔に対する怒りや悲しみや憎しみの気持ちが湧いてくることがあるでもその前にこの身体で生きる工夫をすることが大切だ怒りや悲しみや憎しみなどというネガティブな心を持っても決して何も良い方向には行かない意欲の減退の原因だこれは人に対しても同じかな・・と思う人に対しても怒りや悲しみや憎しみの気持ちを持つことがあるそんな気持ちをも持ったところで何も解決しないとにかく解決のための工夫・工夫・工夫意欲を持って工夫・工夫・工夫やべきことを粛々と、そして淡々と無心に解決のための工夫と行動をすることだそうすれば・・きっと何事も良い方向に行くに違いないそう信じることが希望につながるような気がするしっかし・・痛みと痺れを和らげる工夫だけは・・これだけはまだ試行錯誤の状態だ・・これだけはまだ工夫が足りんなぁ・・辛い・・
人間について

覚悟 心の糸が切れないために・・

今日は朝から心の糸が切れそうになっていたような気がする。きっとまだまだ覚悟この身体で生きていく覚悟この身体で役割(父親としての役割や夫としての役割)を果たす覚悟ができていないのはではないか障害者でも役に立つ人間であり続けるという覚悟そんな覚悟がないから心の糸が切れそうになる緩む今、心の糸の張りを緩めたり、切ったりすつわけにはいかないなぜなら今、僕の心の糸が切れたら、生きていく自信がないから心の糸が張っているからこそ頑張れる障害者になsってからもう3年も経つのに・・まだ辛いと思う自分覚悟がまだまだ足りないな
人間について

心の疲れ・・

どうも今日は心が疲れ切っているような気がする。朝からなぜか痺れが、痛みが激しい。。辛い辛いとしか言いようがない何か大き心身の苦しみの波が押し寄せている自分でも全くコントロールできない苦しい・・苦しいからベッドに横になると、今度は気持ちが塞いでくる・・ダメだと思い、立ちあがるとやっぱり痺れが憎悪するいったい何と闘っているのかわからなくなってくる身体の痛みや痺れと闘っているのか障害者になったという(心の)苦しみと闘っているのか僕は今、一体に何とt闘い、何に苦しんでいるのかこのブログは僕の心の叫びである周囲の人には言えない心の中の叫びを書き綴っているそうすることで自分の苦しみのはけ口を作っているのかもしれないとにかく今日は苦しい苦しみの大きなうねりの中でもがいているもっと強くなれ!身体の痛みや痺れと心の苦しみを一色単にするんじゃない!身体の痛みや痺れと闘っているときに心の苦しみを持ち込んでくるな敵を増やすだけだ!負け戦さになるぞ!負けるな花が咲くまであともう少しなんだ負けるな絶対に負けるんじゃない身体の痛みや痺れの苦しみならただひたすら耐え、通り過ぎるのを待て!心の苦しみと闘うのはそれからだ...
人間について

資本主義という現実社会の中での人間として大切なものって何?

昨日、ユダヤ系の投資家の投資家グループと華僑系の投資家グループにコネクションのある方から再生可能エネルギー技術への投資促進のための打ち合わせがあった話を聞いていると僕の今まで生きてきた世界とからは想像もできない途方もない金額の話だった帰ってきてから何か心の中にしっくりこない何かが残っていた僕は3年前、脳出血により半身不随という身体になってしまい会社も破産、自分も自己破産身体機能も無くしてしまったまさに自暴自棄状態だった。そのとき感じていた最大の辛さは何度も書いていますが「人の役に立たない人間になってしまった」のではないかという自暴自棄感だった当時5歳だった息子を抱っこするとさえできなくなりキャッチボールの相手さえもできなくなったそんな簡単な父親としての役割さえ果たすことができなくなった本当に役に立たない人間になってしまった・・と感じていただから障害者でも少しでも役に立つ人間でありたいという思いだけで今日までやってきたさらに発症当時はほとんど外出できなかったの自宅のベッドで横になっている時間がほとんどだった経験したことのない痛みや痺れにも苦しみながら毎日自宅のの天井を見ているだけの状態だ...
人間について

華僑マネーとユダヤマネー

とんでもないことになってきた・・僕のもっている再生可能エネルギー技術案件に華僑投資家グループとユダヤ投資家グループにつながりにあるブレーンからお声がかかってきた・・今日、僕は(片手に杖を持つと傘がさせないので)大雨の中びしょ濡れになりながらその人に会ってきたどちらもそれら投資家グループにベンチャー企業でもよいから持っている最先端の再生可能エネルギー技術のプレゼン資料を作成してほしいと・・そして・・これらの投資家は技術が良ければいくらでも投資する7月下旬にそれら投資家の会合とプレゼンテーションの場がシンガポールであるというそのためのプレゼン資料作りだそれもこれらの投資家グループの投資できる金額というのが僕の想定を遥かに超えた金額なのだ数千億円から多ければ2兆円規模までいけるという・・(@_@;)これまでの僕の世界とはまるで違う別世界の話であるあまりにも雲を掴むような話が舞い込んできて今、戸惑っている・・華僑マネーとユダヤマネーどっちがすごいのだろうそしてどっちが信頼できるのだろうそもそもそんな世界が本当にあるのか??という心境である
人間について

待つということ

障害者になってからというもの「待つ」ことが多くなった歩くのが遅いからどこへ行くにも1時間は早めに行って待つ電車に乗り遅れそうになっても走れないから仕方なく乗るのをあきらめて次の電車を待つそして痛みや痺れがきたとき、ただひたすら耐えて痛みや痺れが通り過ぎるのを待つ家族とも同じスピードでいっしょに行動できないから家族には行かせて適当なベンチで僕だけ待つ人間にとって「待つ」というのは辛いものだ仕事でも同じやるべきことをやって結果を待つ待つときには焦りは禁物焦りの心を持つと余計に苦しくなる人事を尽くして天命を待つという言葉があるけれどなぜに人間にとって待つということはこれほどにも辛いのだろうどうせなら、、待ったあとに希望が見えてほしいものだ僕もはもうリハビリを続けて3年・・3年間、リハビリを続けながらいつ回復するのか待ったそして今も希望を諦めず待っているやるべきことをやり、待ち続ければ希望は見えてくるのだろうか