人間について

痛みと痺れが激しいと・・

痛みと痺れが激しいと心ま卑屈になってくる自分がわかるそんな自分が情けないでも僕には志があるこの志を想う限り・・痛みにも痺れにも負けない負けたくない
人間について

心に響くブラックジャックのストーリーの言葉ー2

心に響くブラックジャックのストーリーの言葉 第2弾ブラックジャックが本間丈太郎先生を助けよう外科医として力の限りを尽くすが死を迎えてしまう本間丈太郎先生が落胆するブラックジャックに死に際の本間丈太郎先生がブラックジャックにかける言葉・・-------------------------------------------------に・・人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいは思わん・・かね・・------------------------------------------------今朝もNHKでIPS細胞による再生医療特集をしていたが、長生きすることが人間にとって本当に幸せなのだろうか・・そのことは以前の下記の記事にも書いているけど僕は自分だけ長生きしたいとは全く思わない
人間の生き方

ドクターキリコの言葉が今僕の心に染みる

僕は高校生の頃、少年ジャンプに連載されていたブラックジャックに嵌っていたそのとき、ブラックジャックの宿敵でもある安楽死請負人のドクターキリコがブラックジャックに向かって言った言葉を、今頃思い出した。そして、今の自分の心に強く響いてしまうのはなぜだろうあれほど嫌いだったのに、、-------------------------------------生き物は死ぬときには自然に死ぬんだ・・・・・・それを人間だけが・・・・・・無理に生きさせようとするどっちが正しいかね--------------------------------------でもこれに対するブラックジャックの言葉も今でも好きだな・・----------------------------------------それでも私は 人をなおすんだっ 自分が生きるために!!-----------------------------------------
人間について

不安を蹴散らす

不安を蹴散らすには、どうしたらいいのだろう。何をやっても不安がつきまとうのなら、視野を広げて、新たな価値観をつくりあげたい。心から「やりたいこと」を定めるのだ!やるべきことが定まったとき、不思議と不安は消え失せていく
独り言

苛立ち

今日はなぜか、朝から苛立っている左半身が思うように動かない 痺れる・・どうにもならないことは分かっているはずなのに・・なぜか苛立つ・・健常なときの自分を忘れようとしても忘れることができない右半身には健常な手足があるから・・惨いと思う・・半分健常で半分障害・・なんだこれは・・苛立つ
人間について

神も御先祖の霊も人の心の中に棲んでいる

僕は以前から神とか霊の存在を一切否定しているでも神とか霊を。いや宗教とでもいうのかそういうものを信じる事自体を悪いと言っているつもりはない(但し、神に「依存」して自らが思考停止する人は軽蔑するが、、)この相反するような考え方にどう自分の中で折り合いをつけ、納得させれば良いのかなやんでいた。ところが今日、ある読者さんの一言で吹っ切れた。それは神が心の中にいない人はダメ、、という意味の事だった、その瞬間、吹っ切れた!そうだ!神も御先祖の霊も僕の心の中に棲んでいるのだ、、と例えば、僕の母の一番上の兄(僕にとっては叔父)は戦時中、満洲で戦死したそうだその叔父は秀才で、且つ働き者で、優しい人間だったと幼い頃から祖母から聞いていたもちろん会った事はない母の実家の床の間に軍服姿の若かりし叔父の掛け軸の優しい顔をした叔父の絵を見た事があるだけだった。それでも僕の心の中には叔父が居るようだそして、障害に負けるなと言ってくれているように感じるのだそう、叔父の霊は僕の心の中に棲んでいるのだ!母や祖母から聞いた叔父のイメージが、僕の心の中で鮮明に浮かぶそして僕に声をかけてくるのだ、確かに心の中に棲んでいるだか...
人間について

blackbird&Mother nature's son

BlackbirdとMother nature's son・・僕が唯一フルコーラス歌う事ができ、ギターを弾けたビートルズの2曲左利きだった僕は、中学生時代からポールマッカートニーに憧れギターの弦をわざわざ逆に張り替え、左で弾き一生懸命練習して弾けるようになった2曲その左手も今は全廃・・・弦を張り替えたギターだけがまだ押入れに眠っている二度と誰にも弾いてもらえないだろう・・
人間について

道行く人々を眺めていると・・

最近、自動車からでも部屋からでも外の道行く人を眺めているとふと思う・・なぜ・・あんなにうまく脚が運べるのだろう・・うまいな・・それに比べて僕はなぜこんなにぎこちなくなぜこんなにも脚が重いのだろう・・まるで壊れたロボットを操縦しているようだ・・決して脚そのものが悪いわけではない筋肉もある骨もしっかりとしているなのにうまく運べない・・脳がコントロールできないだけ・・ただそれだけなのになぜこんなに辛い?
人間について

守護霊とか神様とかは【絶対に】存在しないと確信するもう一つの理由

良いおこないをしていたら祖先の霊が、守護霊が、神様が、守ってくださるという奴がいるだったら僕の息子はたった5歳でなぜこんな苦しい思いをしなければならないのか3年前のもやもや病の虚血発作防止のための脳血管吻合手術後のICUの息子教えてくれ試練?!まだ物心もついたかつかないかの年齢だぞなのに試練?アホかと言いたい。前世からの輪廻?これもアホか僕にとっては前世なんて関係ない目の前の苦しんでいる息子が全てだ!現実だだから僕は僕の脳出血も「自然そのもの」息子に遺伝したもやもや病も「自然そのもの」そして「現実」に過ぎない。だからもやもや病も自然の生き物の中に一定の確率で起こる血管奇形にすぎない。難病も自然の一部!守護霊も神もクソもないそして死も自然の一部であり、「無」以外のなにものでもない。だって僕亡くなった僕の叔父、叔母、祖父、祖母はどこにもいない焼却されてCとOとHに分解された人間としては無そのものだただ唯一、、、僕の心の中にだけはその面影が、言った言葉が、遺っているだから心が全てだと思う。その心さえも脳である(だって脳が病むと心も病むのだから)脳であるが故に死後脳が消滅すると同時に消滅する
人間の生き方

苦から逃れる術

僕の苦から逃れる術・・それは僕の苦の根源が病や障害そのものではないということから病の治癒を、障害の克服を目標や希望にしても苦から逃れることができないことに今頃気付いた。病(障害を負った)の結果起こった思わぬ人間関係のトラブル予想だにしてなかった・・それがトラウマになり痛みや痺れまで憎悪させてしまっているそれを今頃悟った・・ならば、やはり病の治癒とは違う人生目標・・というか、それらトラブルをすべて飲み込むレベルの胸を張れる志を達成するしかないのだろう今、この瞬間、決めた新たな志 どでかい志・・今ここでは言えないけど・・すぐに動くつもりだ・・一か八か!行動あるのみ!身体は動かずともできることはある!