人間の生き方

生きる意味って

僕は障害者になってからというもの、人間の(自分の)「生きる意味」についてさんざん考えさせられてきた「生きる意味」というと難しくなる。「あなたの生きる意味は何ですか」という問いに明確に答えられる人は少ないだろうもっと平易な言い方をすると「生きる楽しみ」とでも言えばよいだろうと思う僕は半身不随になって、健常者の頃の自分の「生きる楽しみ」をほとんど失ったと言って良いと思う好きなスキューバダイビングもできなくなった・・多少は体力があった方なのでジョギングやらテニスやらスポーツ好きだったが「スポーツ」という名の言うものは二度とできなくなったと言って良いと思うもちろん仕事にもやりがいがあり、好きだったこれも取り上げられたそれだけでなく、普通の旅行さえもできなくなったなぜなら・・半身不随のでろくに歩けない僕は「移動」ということが苦痛以外の何ものでもないからだだから旅行やツアーに関する広告は見るのもイヤになった京都神社仏閣散策の旅?散策?・・散策とは歩くことだ杖を付きながら、痛みを堪えてせいぜい100m歩く事が精一杯な僕にとっては苦痛以外の何物でもないそんなこんなで想像を絶するほどの「楽しみ」が奪い取...
独り言

もう息子は手術の必要なしとのこと・・

今、家内から携帯メールが入った脳血管造影検査の結果、2年前の脳血管吻合手術の甲斐あって新しい血管が伸びてきて血流も良好とのことそれゆえ今後更なる手術の必要はないだろうとの事・・あ~良かったこれで息子のことで心配事が少なくなったとはいえ、超極細のもやもや血管が消失したわけではないつまり僕と同じくらいの年齢になるとその超極細の血管は年齢と共に当然脆くなる・・だから高血圧には要注意だ僕と同じ目に遭う可能性が消えたわけではないいずれにしても一段落だ・・2年前のような術後のこんな姿は二度と見たくないそれにしてもこの病気・・遺伝するなんて困ったもんだ・・まだ気が早いけど孫にまで遺伝しないかとの心配もまだある
人間について

なりたい自分、希望を声に出して・・

僕は最近、なりたい自分、希望を声に出して言うようにしている例えば・・僕は、障害者になった悲しみや怒りや切なさなど様々なネガティブな感情がが込みあげてきたときには口に出して「無私・無欲!」とい言う僕はこういったネガティブな感情が心の中に出てくるのは「自我」が存在することが原因だと考えているだから自我をなくしたいと思っている滅私したいと思っているもちろん僕はごく普通の生身の人間だから本当に「自我」なんて捨てることができるわけがないそれでもそれを口に出して、声にだして、言いながらそう(滅私)になろうと念じると不思議とネガティブな感情が和らいできて心が平静になってくる他の人が同じようになるかどうかわからないけれど少なくとも僕は声に出して言うことによって本当に願っている自分になれそうな気がしてくるなれそうな気がするから気持ちが落ち着くのか前向きな気分になれる前向きな気分になりはじめたらしめたもの!くから知恵が湧いてくる知恵が湧くから、それを「行動」に移したくなる僕はさいきんそうやって自分をコントロールしている「希望」を声に出して言うことって 希望を実現する(現実にする)ために大切なことかもしれな...
独り言

今日から息子が検査入院だ、、

今、脳神経外科の待合室にいる今日から息子が検査入院だからだ息子も僕と同じモヤモヤ病(正式病名:ウィリス動脈輪閉塞症)であるこの病気は進行性なので、定期的な検査が欠かせない。放っておくと、血管閉塞が進行し、ヘタすると、脳梗塞を起こし、最悪の場合死亡するのだ。この検査は脳動脈血管造影検査(アンギオ)という決して、簡単な検査ではない脚の付け根のいわゆる鼠蹊部から大動脈にカテーテルを刺し込み、脳血管まで入れ造影剤を脳血管に流し込みレントゲン撮影するモヤモヤ病の場合、脳血管が細過ぎるからMRIでも正確な脳血管を撮影できないから、造影剤(放射性物質)を血管に流し込むという、こんな身体に負担のかかる検査をしなければならない。検査には全身麻酔もする全身麻酔だけでも、小さな子供の身体にとっては負担になり危険でもある僕自身がモヤモヤ病が起因で、脳出血を起こしたのだから、息子も油断はできない。この難病は一生つきあわなければならない。つまり、一生、定期的なアンギオ検査を受け続けなければならない。検査費用も、1回3割負担でも、5~8万円する今の僕にとっては負担が大きいでもしないわけにはいかない僕は思うなぜ、これ...
人間の生き方

苦境を「試練」と思えるか

僕は障害者になってからというもの、なぜ僕がこんな目に遭わなきゃいけないのか何か悪い事でもしたのか?というような「なぜ」という疑問だらけであるなぜこんなに不自由にならなきゃいけないの?なぜ、会社を破産させなきゃならなかったの?なぜ、今僕はまともに普通の仕事ができないの?なぜ、なぜ、なぜ?こんな風に日々苦しんでいるでも、もしこの苦境が僕に与えられ何らかの「試練」と思えたなら乗り越えようと思えるだろうなぜなら、「試練」はそれを乗り越えた後には今の自分がより強くなって「器」も大きくなるものだろうと思うから・・でも現実には「試練」と思うのは難しい・・なぜなら自分がより強くなれるなんていう何の確証もないから・・それでも乗り越えなければならない「苦境」というどこまでも続く果てしない壁を登り続けなければならない少なくともこの苦しみを受け止め続けなければならない生きている限り・・だからときどきもう生きるのはイヤだと感じる本当に「試練」と思えるようになるのはいったい、いつになるのだろう
独り言

警察の「民事不介入原則」の疑問

唐突な話題ですが、「民事不介入原則」 について僕の疑問を書いてみたいと思います。「民事不介入原則」という言葉を一度は聞いたことがあると思いますけれど、これは簡単に言うと警察は「刑事事件」を扱うのであって、「民事事件(金銭の貸し借り上のトラブル)」には「一切」関わらないということです。「あの人は貸したお金を返してくれない。返せないものはしょうがないだろうなどといって、申し訳ないの一言もない。あつかましくけしからん、早く逮捕でもして下さい」と交番に駆け込んだところで相手にしてくれませんここで問題になると思うのは悪徳業者のサラ金などでお金を借り、脅迫まがいの取り立てをされたたときでさえも警察は一切か関わろうとしないということです。なぜこんなことを書くのかというと、僕自身がこの「民事不介入原則」を盾に警察から追い返された経験があるからですもう十年以上前の話になりますが、サラ金からの借金まみれになっているある人の自己破産を手伝ってあげた事があるのですが、そのときに警察から民事不介入原則」を盾に警察から追い返されたのです。借金まみれになったその人がもう会社も辞めざる得ないような状況に追い込まれて退...
人間について

真っ当な生き方をしたところで報われるわけじゃないけど・・

人間、真っ当な生き方をしたところで必ずしも報われるわけじゃねえ悪事の限りを尽くした人間だからといって、必ずしも天罰とやらが下るわけでもねぇ悪事の限りを尽くし、人に迷惑をかけまくっていても、そのまんま天寿を全うできるやつはいくらでもいる悪事を働く人間には必ず天罰が下る?真っ当な生き方をした人間はいつか報われる?もし、そうだとしたら、一昨年の東日本大震災で亡くなった方々の中にもただコツコツと真面目に生きてきただけの人もたくさんいるはずだ。なのにあんな津波に飲込まれ死んでしまうんだあの3月初旬の寒い東北の海の泥水に溺れて死ぬなんてあまりにも残酷すぎるじゃないかそんなに悪い事をしたわけでもないのに・・であるこんな地獄絵を見せられると神や仏がいるなんて信じられるわけがない祖先の霊や守護霊が守ってくれる?そんなこと信じろって?笑わせるじゃねぇ!って感じがするそれでも・・僕はこんな身体でも真っ当な生き方がしたいんだそれは神や仏に助けてもらいたいなんてことじゃない自分自身が生き方に納得したいだけ自分が満足できる、いや、納得できる人生を送りたいだけだからこそ、こんな身体でも人に役に立ちたいって思うんだそ...
人間の生き方

不安は口にしない

不安は口にすると、不安が的中し、不安が本当になる希望も口にすることで、希望に向かって動き出す。そんなの単なる強がりかもしれないけれど、それでも笑顔を作れば、そして希望を口に出して、声に出して言えば不思議と元気が出てきてできるような気になるそれだけで良いのだだから笑顔を作り、希望を口に出して言おうそして不安は口にしない
人間について

人の人生なんて儚い

人はいろいろ考えたり悩んだりする仕事に意義を見い出だしたり何もかもが無意味だと思ったり、やることなすことが徒労だと感じたり希望に燃えたり、絶望したりするが、人は生き、人はいつかは必ず死ぬ。そして それだけはなにものもそれを変えることはできない
独り言

僕の苦の根源の真実(序説)

僕が本当に苦しんでいる原因は、脳出血による障害という身体的苦痛が全てではない本当に苦しんでいる原因は、そんな病や身体障害などではない。病や身体障害なんて恨めしく思ったって所詮どうしようもない。人は病に襲われるときは襲われるものだ人間の力ではどうしようもない人間がいつか必ず病に襲われるのは自然の理法であるもやもや病という難病だって、生き物である限り、何パーセントかの割合で、遺伝子が突然変異して起こるものだ。人間の力で避ける手立はて今のところないだから、なってしまった事自体はどうこう言ってもはじまらない。ボヤいたところで治るものでもない大切なのは、なってしまったあとどうやって生きるか、どうやって乗り切るかである僕が苦しんでいるのはその点である大黒柱である僕が病に襲われ、倒れたとき。いやそのあとを皆で力を合わせてどうやって生きのびるかそれを本当に真正面から立ち向かい、最善を尽くしてこれたのかという問題であるこの4年間本当に最善を尽くす事ができたのか、僕は大いに疑問視しているそして、その事に今、最も苦しんでいる。そして、無念であり、死ぬほど悔しいのであるいったい何の事?と思われるかも知れないそ...