人間について

イザというときや逆境に立ったときにその人間がわかる

人間、イザというときや逆境に立ったときにその人間がわかるというけれど、これは本当だと思うイザというとき、最後まで一緒に闘ってくれる奴は少ないそれも仕方がないと思う人間ってやつはそういうとき自己防衛本能ってやつが自動的に働くんだでもそういうとき、その自己防衛本能を抑え、理性で動ける人間は少ないイザというときや逆境にた立ったときこそ、その人間が如何に理性的だったのかってことがわかるのさほとんどに人間は自己防衛本能に負け、いわゆる「保身」に走るだからイザというときや逆境にた立ったときにその人間がわかるというは本当だと思うこれは親兄弟だって同じことさ、親子だからって、必ず身を挺するとは限らないましてや夫婦や親しい友人なんて、どういう行動をするか全くわからりゃしない。だから、自分のことは自分で守るって考えてりゃ絶対に間違いないそんなことを学んだ障害を負ってからの4年間だった・・だから少なくとも僕はイザというときや逆境に立ったとき、逃げ出すような人間で、ありたくない。たとえ障害者でもね。自己犠牲を払えるような人間で、ありたいと思っているそのためにも、自己防衛本能ってやつを捨てたい。そのためにも滅私...
人間の生き方

逆境に立ってみて・・

人間は調子のいいときは、自分のことしか考えないものだ・・順風万帆とは言わないまでも、そこそこ物事がうまくいっていれば何か自分も「できる人間ではないか」って勘違いするものだところが自分に不運がまわってきて、人にも世間にも捨てられ、その日その日の苦労をするようになってはじめて他人のことも考え、見るもの聞くものが身にしみるようになるもんだ人間はみんなが重い荷を負っている境遇や性格によって差はあるけれど、人間はみなそれぞれ何かしら重荷を負っている生きてゆくということはそうものなんだそしてその道は険しく、遠い・・だからこそ人間、互いに助けわなければ生きていけないのだと思う自分の荷を軽くすることは、それだけ他人の荷を重くすることにしかならない。人間の生きる道は遠く、生きることは苦しい、だからといって自分だけの苦しみや悲しみだけに溺れていてはならない障害者になってさんざん悔しい思いをして、僕はやっとそんな事に気づくようになった
人間について

本音・・

つらいよ毎日がね・・ブログでは結構強がり言ってるけどそうでも自分自身に言い聞かせなければ自分が壊れてしましそうだから毎日書いている障害をも負ってからもう4年辛くない日なんて1日もなかっただって立ったり座ったりという日常の動作でさえ辛いんだだから4年間、1460日ずーっと辛くて、痛くてたまらない。辛くない日なんて一日たりともなかったときどき知り合いから「元気そうだね」って言われる何もわかっていない「元気そうにしているだけ」なんだよ「いろいろできるようにんなって障害にも慣れてきたね」何もわかっていない何も言わなくなったから慣れてきたと思ってるのかな・・言わないように耐えているだけなんだよ辛い、辛いとい言ったところで周囲の人まで気分が悪くなるだけそんなことは分かっているだから言わないだけなんだよ障害にな慣れることなんて絶対に不可能だ何年経とうが何十年経とうが・・ね障害はいつまで経っても生きる「障害」でしかあり得ない「慣れる」なんて健常者のいう事健常者は環境適応できる能力がある生きる「障害」もないだから「慣れる」なんて平気で言えるんだ環境適応できなくなったのが障害者なんだよたかが階段でさえ、慣...
人間について

他人に理解されたい?

人は誰でも他人に理解されないものを持っているものだと思うもっと言えば、人間は他の人間に本当の自分を理解される事はないのではないか親と子、夫と妻、どんなに親しい友人との間にでも、、人間は常に独りだそう思っていると間違いない最近、心からそう思うだからこそ、心は強くなければ生きてはいけない
人間について

正しい事を伝えるって本当に難しい

僕は障害者になってからというもの「身を持って伝える」って事がほとんどできなくなったできたとしても、健常者に比べると非常にゆっくりしかできないせいか正確に伝わらないだから言葉で伝えるしか方法がないでも、この言葉ってやつがまた厄介だ特に相手の間違いを伝えるとなると、ヘタすると喧嘩になりかねないせめて「身を持って伝える」って事ができれば、相手が自ら「気付き」ってやつを気付いてもらう事もできようそんな「身を持って伝える」なんて事をしようとすると、この身体じゃあ健常者の頃の何倍もの労力も時間も必要になる困ったもんだ相手に気付きを与える事ができない自分がまどろっこしい
人間について

人が生きるということ

この世に生きてゆくには苦しいこと悲しい辛いことを耐え忍ばなければならない。たいていの人間が身に余る苦労を負って、それこそ歯をくいしばるような思いでその日その日を暮しているのと思うでも残念ながら他人にはその本当の苦労がわからないもんだ人は皆めいめいの悲しみや辛さのなかで、独りでじっと辛抱しているのものではないだろうかそれは今も昔も変わらないと思う人間というものはそうやって生きていくしかないようにできていると感じる そんな中で精一杯生きることができればそれで充分幸せな人生と言えるんじゃないかと僕は思う
人間の生き方

僕の心の師匠

マハトマ・ガンジーは今の僕の心の師匠であり、その言葉は今の僕の心の支えだ僕の好きなガンジーの言葉・・・---------------------------------------------------明日、死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい。臆病なものは愛を表明することができない。愛を表明するとは勇敢さの現れである---------------------------------------------------
人間の生き方

「自己犠牲」はネガティブ思考だろうか

今年に入ってから僕は度々「自己犠牲」をテーマに記事を書いているそのせいか、最近のネガティブな記事が多いですね・・というコメントやメッセージを頂く「自己犠牲」という言葉の語彙からくる暗いイメージなのだろうかでも僕は時分では決してネガティブになんかなっていないし、この言葉が人をネガティブにさせることはないと思っている「自己犠牲」とは僕の解釈では「己を捨てる」事だと思っている僕のブログの冒頭に僕自身が気持ちを強く持つため・・と題して書いている文章の中の「無私無欲」とほぼ同じだと思っている人が苦しむ根源は己(つまり自我)が存在するからだと思う自我があるから、悲しみ、怒り、憎しみ、、といったような感情が出てくるのだと僕は思う自我はいわゆる仏教で言う「煩悩」の根源だと思う。それゆえ、自我さえ捨てることができれば、悲しみ、怒り、憎しみ、、といったマイナスの感情をも捨てることができ、どんな事象でも冷静に観ることができ、そして粛々と進めることができるいわゆる「心頭滅却すれば火もまた涼し」である自我さえ捨てることができれば、障害の物理的な痛みや苦しみにさえも「勝つ」ことができるそして僕は自我を捨てることが...
最新環境技術

自民党の経済対策・公共事業拡大の効果?

とうとう自民党政権になった安部政権は景気対策として金融緩和・公共事業の拡大を掲げている公共事業・・ケインズ経済学の象徴でもあるニューディール政策でその経済効果は証明されているでも、従来の公共事業、、つまり道路建設・ダム建設等でも経済効果はあるのか僕は少しも方向性が間違っていると思う金融緩和にしても円の増刷・・それだけで良いのだろうかこれも間違いではないが、僕は少しも方向性が間違っていると思う道路建設・ダム建設等の公共事業で確かに雇用は一時的に増えるだろうでもその雇用は低所得者層に限られる特に日雇い肉体労働者の仕事は増えるだろうでも本当に雇用を増やしたい層はいわゆる中間所得者層ではないか道路建設・ダム建設等の公共事業ではこの中間所得者層の増加は見込めないそして更に問題は、、必要のないムダな道路建設・ダムの建設をしても使わないそうなると一時的なカンフル剤にしかならないじゃあどうすば良いのか僕は思う時代が必要としている公共事業をしなければならないそして製造業ではなく、ベンチャー企業などの開発業が活躍できる公共事業投資画必要ではないかと・・感じてる具体的には・・今社会が必要としているのは・・例...
人間の生き方

「人生は結果より、どう生きたかが大切」なんてキレイ事かもしれない

僕はこのブログで「人生は結果より、どう生きたかが大切」なん書いてきたけど、そんなのキレイ事だ、結果を出す事がすべてだと言われるかもしれない。よく考えてみた確かに現実は結果を出さなければ、それまでの生き方も努力も何の意味もなくなるでも、僕はもうその(些細な仕事でとさえ)「結果」を出す事ができない身体になっているそれは自分が十分認識している「結果」に生きがいを見出すことができないだから「生き方」に生きがいを見い出すしか自分を心を保つ方法がない「人生は結果より、どう生きたかが大切」なんてキレイ事を言うのは(考えるのは)ただそれだけの理由かもしれないた今の自分を自分に納得させたいだけ・・たぶんただそれだけそう今、僕は自問自答している