人間について

夢、希望、志、ロマン 昨日の続き

夢、希望、志、ロマンの記事を書く上で大事な人を忘れていたあのAppleの創始者であり、自らの命の最期の瞬間まで夢とロマンを捨てなかったスティーブンジョブズだ彼こそ、死の直前まで、夢、ロマン、志を追い続けた人間だスティーブンジョブズは創業当初から「世界を変えるコンピュータを作る」という夢であり、ロマンであり、志を持っていた売上は二の次であったというそしてその「売上は二の次」という考え方が反感を呼び1985年にアップルを追放されたその結果アップル社はどうなっかその後のアップル社のCEOはアップル社を利益を追うだけの企業に変えてしまったそんな方針(利益や売上を追うだけの方針)によるアップル社の凋落ぶりは周知のとおり、深刻な低迷期に入ってしまった。その最大原因は理念や夢が社内から失われた事だというその後、ジョブズはアップル社に復帰、復帰したとたん、自分がアップル社を創業したときのルーツに戻っていった当時彼は「自分が世界を変えられると本気で信じている人たとこそが本当に世界を変えている」と言っていたというそして、あくまでも自分の夢である「世界を変えるコンピュータをつくる」という方向につき進んでいっ...
最新環境技術

発送電分離・・

久しぶりに体調に余裕があるので再生可能エネルギーの記事を書いてみよう最近、「再び」脱原発・再生可能エネルギー普及のための発送電分離の論議が高まっている確かに発送電分離によって送電網を自由に使えるようにすることで新規発電会社の参入を容易にし、競争原理が生まれ、再生可能エネルギー普及に繋がるだろうでも、再生可能エネルギーの場合、風邪や天気に影響されるものだからどうしても供給が不安定になるという不安がふ払拭できない(これは今の電力会社も言っているが)それを唯一解決できるのが蓄電池だしかも大容量で長寿寿命の・・前にも何度かこのブログの記事で紹介しているけどレドックスフロー蓄電池というものだ。この蓄電池の普及を早急に急ぐべきだ福島源原発の事故でも一番の大きな問題だったのは原子炉冷却のための「電源喪失」だったのだこれに対して全国各地(市町村毎に)にこの大容量で長寿寿命且つ安全なレドックスフロー蓄電池を配置しておけば緊急時の「電源喪失」のような事態を抑止できる。そのためには今議論されている発送電分離による発電会社と送電会社の分離だけでなく蓄電会社が絶対必要だと思うこの蓄電会社は送電会社と結合して発電...
人間について

自立・・

地獄のような10日間が終わった・・実は10日前から家内と息子が息子の春休みを利用して家内の義母の住む長野のスキーに行っていたその間、僕は一人暮らし・・これが大変だったこの片麻痺の痺れる身体で朝から食事の準備、洗濯。様々な後片づけ・・これだけで体中の痺れが憎悪する・・だから毎日朝から体調は最悪・・朝の雑用で左半身から出現した痺れは全身に広がる・・それから仕事に向かう・・ただでさえ全身が痺れている状態で、仕事なんかするものだから・・そのつらさは尋常ではなかった・・それでも歯を食いしばって痺れで止まりそうになる思考を止めずに仕事の段取り、書類の作成・タイピング・・何とか仕事を終えて、帰宅すると待っているのが夕食の支度、風呂釜洗い、、片手。片足が痺れて不自由な状態での夕食の支度・・これもかなり辛いだからといって字でもコンビニ弁当は買わない・・だってあんなにまずくて不健康なものはないから・・野菜ひとつ刻むのに試行錯誤・・痺れに耐えるのに気力夕食ができたころにはもうへとへと(食べる気も失せるくらいだった)それでも気を取り直して、夕食後明日の仕事の段取りや準備作業終わったころには風呂に入る気も失せる...
人間について

普通のこと・・

いつも強がり書いているけれど、本当は毎日が結構つらいんだよな・・何が辛いかって・・?得意だった水泳ができなくなり、以前のように泳げない・・そんなこと全然辛くないんだよ好きだったスキューバダイビングができなくなったそんなことも全然辛くないんだよもうこれまでにさんざん潜ったし、、沖縄と八重山諸島、セブ島、パラオ諸島、モルジブ諸島・・これだけ潜ればもう十分なんだインストラクターにまでなれたんだし・・そんなこと()ダイビングができなくなったこと)も全然辛くないんだよPCのタイピングも片手でしか打てない以前の10分の1のスピードでしか打てないミスタイプもたくさんあるそれも全然辛くないんだよなでも、目の前のお茶碗が持てない。ズボンを履くとき麻痺側(左側)のベルトさえ通せない・・苦労する傘は左手鞄は右手、、とかいうように傘と鞄を同時に持てないから雨の日には鞄を持って外出できない片手で電話を掛けながらメモが取れないそんな日常生活の「ごく普通のこと」をやろうとして、、、どうしてもできないそんなときとても辛くなる・・ 情けなくなる「普通のこと」ができないときが何よりも辛いもう4年も経っているけど・・今でも...
独り言

まだ負けられない

まだ終わりじゃない!まだ終わるわけにはいかないこれしきの障害で終わるわけにはいかないだから諦めない決して・・良い結果が出るかどうかはわからないけれど、まだ最善は尽くしていないできることはまだあるまだ終わりじゃない限り、痛い、苦しいなんて言っていられないできることはまだある自分の人生にまだ策はあるできることはまだあるからまだ諦めない諦めたら、そこで本当に終わるから・・まだ負けられない負けちゃいけないのだ
人間の生き方

不遇は不幸ではない

人間、長い人生、生きている間には不遇な出来事もあるだろう病気、解雇、失業、離婚、etc.でこれらは確かに不遇ではあるでも不遇=不幸ではない!僕も脳卒中により、左半身の身体機能を喪失した。いつも痛みと痺れになやまされる羽目になった、脳卒中の後遺症のせいで、自分の会社も清算(破産)したこれらの出来事は、自分でも確かに「不遇」だと思うでも、不遇な状況を不幸にしてしまうかどうかはその後の自分次第だ!不遇なんて生きている限り誰しも必ず出会うものだ人間が人生の中で何らかの不遇に見舞われるのは、自然の摂理のひとつではないかとさえ感じる自然の摂理ならば、避けようがない要は見舞われた不遇な状況を不幸にするかしないかは人間の心の持ち方次第ではないかと思う僕は「何としてもこの状況を乗り切ってやる!」というような「激情」が必要なのではないかと思う。そんな「激情」こそが不遇な状況を「不幸」にせず、状況を好転させるのではないかと思うただ、そんな「激情」だけではなく、そこには、客観性も必要だと思うのだなぜなら、客観性のない激情、つまり主観的な激情で物事をすると、ひとりよがりになり、トラブルを引き起こすいずれにしても...
独り言

痛み・痺れと闘いに勝つことが大事な勝負

今頃、気が付いた・・実は、僕は身体機能の不自由に対してはそれほど苦を感じていないのだむしろ、毎日必ず襲ってくる痛みと痺れとどう向き合うかどう闘い、勝つかが重要である身体機能の不自由なんて、正直工夫でどうにでもなる今の時代は様々な自助具があるし・・でも、痛みと痺れだけはどうにも耐え難い痛みと痺れが憎悪してくると、思考さえもおかしくなってくる正直何も考えられなくなる・・その痛みは左半身の表皮をめくられ、風を吹きつけられれているような激痛だこの痛みと痺れにさえ勝ち、乗り越えられればしめたもの・・身体機能の不自由なんて些細なことにさえ思えてきて気持ちが前向きになるだから、この痛みと痺れに襲われたときには何もしないようにしよう・・そしてただ痛みと痺れとっの闘いだけに集中しようどうせそんな状態で何かを考えたり、行動したってまともな事はできないのだから・・そして、闘いに勝つこと!「痛みと痺れ」さえ乗り越えれば、こんな身体でも何でもやってやる!何でもできるような気になってくる脳卒中の後遺症なんてこんなもである。たぶん、体機能の不自由は「目に見える」ので「(同情ではなく)理解」してもらえるけど、「痛みと...
人間の生き方

前向きに生きるために・・

前向きに生きるために唱える言葉・・努力をした者が必ず成功するとは限らないが、成功した者はすべからく努力していた。「努力」より先に「成功」が出るのは辞書の中だけ。なぜ迷うか。地図がないからじゃない。無いのは目的地なんだ。結果の無い自信は過信。等身大の自分を認めること、つまりそれが自信。あなたが無駄にすごした今日一日は、昨日死んだ人が生きたいと切実に願った一日。生きているときに楽しかったら、死んだあとも楽しんじゃないかな。高望みするな。他人を見下すな。上を見ても下を見ても首を痛めるだけだ。人生の分岐点で、どっちが幸せになるかではなく、どっちで幸せになろうと考えろ。諦めることはいつでもできる。だけど諦めないことは今しかできない。凡人は「明日からやる」と言う。少し賢い者は「今からやる」と言う。だが、今からでも遅いのだ。賢人は昨日から始めている。何事も成さないには人生はあまりに長いが、何事かを成すにはあまりに短すぎる。生きるとは呼吸することではない。行動することだ。努力する者は希望を語り、怠け者は不満を語る。なぜベストを尽くさないのか。失敗は恥ずかしくないが、志が低いのは恥ずべき。何が正しくって...