人間について

不思議な事、、

これは自分でもとても不思議でならないのだが、脳出血で脳に損傷を負ってからというもの自分に不思議な能力がついてきている事に気が付いているよく盲目になってしまった方が聴力がものすごく超能力かと思うくらい鋭敏になると聞くけれど、それと似たようなことなのかもしれないいろんな人間としての機能を失った反面今までになかった能力が付いてきているような気がするそれは・・人の言葉の裏側というか、いわゆる本心のようなものが見えてしまう(感じとってしまう)のだ、それは何か超能力というものではなく僕がこの約5年生きる事について苦しみ、何度も死にたいと思った中で人間が生きる意味や人間の本質なんかについて四六時中思い悩み、周囲の人はなぜ生きているのか?などと考え続けきたせいか妙に人の言葉の「偽り」というか「ごまかし」というか「表目的に繕っている状態」に敏感になってきたような気がするそんなことのせいかも知れない。そういうとき、悲しいかなその人の言葉が(表面的に)どんなに正しくともどんなに良い事を言って自分の立場を優位にしたり、良くみせようとしてもその言葉の前後の言動や、或いは行動との辻褄が合わないと敏感に察知してしま...
人間について

しゃっくりが止まった\(^o^)/

述べ約48時間続いたしゃっくり止まった\(^o^)/指を喉の奥に突っ込み無理やり胃の中のものを吐き出すそうすると一時的には止まったが15分ほどするとまた始まるという始末・・最後には胃で食道がただれたのかおう吐物にはどす黒い血が混じっていたそれが完全に止まったようだ\(^o^)/止まった原因がまた不思議・・今度僕は山形と長崎にメガソーラーの打ち合わせに行かなきゃいけないいくら身体の調子が悪いからといってキャンセルするわけにはいかないそう思って、痛む胸としゃっくりをこらえながら、資料作りをしていたのだそうしたら、いつの間にか止まっていたのだ資料作りに神経が集中していた。。それも前向きに・・それが功を奏したのか!?実際のところはわからないけれどもしそうだとしたら人の心の持つ力の強さってすごいものだと思う反面人の心って一旦崩れると物理的な身体にまで大きな悪影響を与えるものだとつくづく感じた3日間だった・・
人間の生き方

身体が辛いと弱気になるもんだな、、

昨日朝からしゃっくりが始まって、もうかれこれ、30時間止まらない嘔吐も十数回、、胃液が、何回も逆流してきていい加減苦しいあんまり苦しいんで調べてみたら長引くしゃっくりは肝臓癌の典型的な症状だとの事、さらに、肝臓癌は当初は自覚症状進行がほとんどないが進行は早く、自覚症状が出た頃には手遅れで、大抵、余命1カ月~2ヶ月だとの事そういえば、肝臓癌で55歳で亡くなった叔母は肝臓癌だと発覚してから2ヶ月足らずで亡くなったよなどうせなら、さっさとこの世を去った方が楽かもこんな身体であと何年も生きていても苦しくて、辛くて、情けなくてイヤな思いばかりするだけ、、なんて身体が辛いと弱気になるもんだな、、しかし、もう嘔吐は勘弁してくれ!From IPHONE
独り言

しゃっくりがまだ止まらん!!!

しゃっくりが止まららなくて眠れんかった!昨日の朝から述べ20時間近く続いている・・こんなしゃっくりは脳出血直後の入院時以来や・・昨夜未明とうとう胃液が逆流して吐いた・・だから今食道と喉が痛む・・また脳に障害が起こってるんやろかそれとも胃に何かできとるんやろか脳出血直後に元に戻ってしもうたみたいやたかがしゃっくりやけど、この辛さ・・未経験人間しかわからんやろな・・(ーー;)
人間について

今思うこと・・

いつだって本当の気持を話そうとすると、それがいちばんむずかしくって厄介だってことがわかるとてつもなく厄介なことだってな・・夫婦の会話でも・・仕事における上司との会話でも・・病院での医者との会話でも・・本当の気持を話し伝えるのが一番厄介だ・・人はときによって、いつも自分が正しいからって、好むようには生きられないときには自分の望ましくないことにも全力を尽さなければならないことがあるものだ。自己犠牲の覚悟を持ってすれば何事にも怒りも悲しみも憎しみも覚えないなぜなら「自分を捨てる」ことができているから、そこには自我は存在しなくなるから・・どんな事にも動じず、冷静に対処することができる。人間が苦しみ、迷い動揺するのは自我の存在と自己保護の本能があるから、、それを捨てることができれば、怖いものはない恐れることも悲しむことも憎むこともないそして自暴自棄になることもない人は調子のいいときは自分のことしか考えないものだと思う。自分に不運が回ってきて、人にも世間にも捨てられ、その日その日の苦労をするようになると、はじめて他人のことも考え見るもの聞くものが身にしみるようになる。皮肉なもんだ世の中には賢い人間...
人間について

自律神経失調・・しゃっくり

一昨日からしゃっくりがとまらない・・たかがしゃっくりといっても尋常ではない全然止まらないのだ・・挙句・・胃液が喉元まで戻ってきて激痛・・これって・・そういえば脳出血で倒れて入院した急性期病院でも酷かったことを思い出した・・そのときも尋常ではなかった・・何度も何度も吐いた・・・・食べるもの全てといっていいくらい吐いた・・当時、担当の脳外科医も原因が不明で「脳出血により自律神経が何らかの刺激を受け続けている」のだろうと言ってとりあえず、鎮静剤のような点滴で眠らせられた今回、原因が分かったような気がする。。実は3日前強烈なストレスを負う出来事があったそのストレスが自律神経失調を引き起こし、しゃっくりが始まったのではないかと推測しているこうやって書いている今もしゃっくりが止まらないそのストレスとはある人の僕に対する暴言だいわゆる人格否定と言う言葉・・かなりショックを受けていたのだろう脳出血で倒れたときも脳出血という自分でも受け止め切れない病に倒れ、これから先(会社の事や家族の事)の事を考えるだけで死にたいくらいの気持ちだったそのストレスが自律神経を失調させ、(止まらない)しゃっくりを引き起こし...
人間について

障害者の能力低下の原因は心の障害かも

最近、自分自身の能力低下(判断能力、記憶力等々)が気になる。。そして、危機対応能力低下・・臨機応変な対処・判断ができない・・対人対応能力低下(つまり人とのトラブル起こし易い)いわゆる何事においても「器」が浅くなったように感じるこれ脳に損傷を受けたことによる根本的な能力低下なのだろうかと・・不安になるでもよくよく自分なりに自分をできるだけ客観的に分析してみたその結果、いわゆる「能力」そのものが低下しているわけではないのではないかという結論に今、達しつつある。それは「心」の問題が「表面的な能力の低下」に繋がっているような気がするのである僕は中途障害者であるだから先天性の障害者の方の気持ちは理解できるわけもないけれど少なくとも中途障害者である僕は、健常者の頃の自分のイメージを否が応でも記憶の中に引きずっている。これはどんなことをしても消すことは不可能だそこで日々の生活や仕事の中で過去の自分と否が応でも対比させられるそんなとき・・心の中に自己嫌悪の念がどうしても芽生える更に自分自身に対する悔しさ、悲しさ、怒り、せつなさ、そして焦りと自信喪失・・これらのネガティブな他人には表現しようのない心の苦...
人間について

あらたな志・・・

この2、3日・最悪の日々であった・・けちょんけちょん・・あることで自己嫌悪に陥っていたところが不思議なもので・・自分でも僕は「マゾ」ではないかと思うくらいであるあるつながり・・それもこのブログの読者と先々週上京したときに初対面の人とのつながりから・・あらたなこ志が生まれたのである。それは・・これまでは再生可能エネルギーや環境技術の「普及」のあくまでも「支援」であったでも今度は僕自身がメガソーラーの太陽光発電所事業を「行う(経営する)」と決めた。それも九州と山形で・・資金的支援、構築支援をしてくれる人が突然現れた何年かかるかわからないけれど、(この身体だからそれほど先が長くないことは覚悟できているけれど)生きている間に必ず実現する
人間について

5年間痛いという事・・・忘れられない医師の言葉

もう・・中枢性疼痛の痛みが始まってから5年(正確には4年6カ月)だ・・こんな痛みが5年続くとうことがどういうことか想像すらできていなかったでも恐怖でもあったなぜなら予測はできていたから・・・少なくともこの痛みがいつ終わるか分からないということだけはは理解できていたある医師の言葉で・・この痛みが始まったのは脳出血で倒れ、急性期病院(倒れた直後運び込まれICUで応急処置をされた病院)を退院し回復期病院(いわゆるリハビリ病院)に入院しリハビリをして約5カ月くらい経過した頃からだった実際、この中枢性疼痛というやつは脳卒中発症当初から出る場合もあったり、脳卒中発症後半年から1年、2年経過後出る場合もあり正確には分からないらしい初めはこの痛みがいったい何の痛みか自分でも全く理解すらできなかった表現さえも不可能だったただ、左半身が不快な痛みで苦しいとしか言えなかったように覚えているこれが中枢性疼痛というものだと分かったのはずっとあと(リハビリ病院を退院後)になって自分で勉強してからのことであるたぶん医師には分かっていたのだろうと思うけど・・担当医にはそんなことでリハビリができなくては回復できませんよ...
人間について

怒り、悲しみの原因は常に人のような気がする

僕はいったい何に怒り、何に悲しみ何に苦しんでいるのだろうふと、そんな事を考えていた確かに半身不随という不自由はつらい確かに後遺症の中枢性疼痛の痛みと痺れも辛いじゃあ半身不随やそれを引き起こした脳出血に対して怒っているのか?というとそうではない半身不随や中枢性疼痛に対して怒りや悲しみを感じているのか?というとそうではないよくよく考えてみたら半身不随という不自由になっ事によりその後、日々の生活の中で僕に起こった屈辱的な出来事または、中枢性疼痛という痛みと痺れに対する周囲の無理解(これには残念ながら医師も含まれる)そういった僕の接する周囲の人つまり人間に対して怒り、悲しみ嘆き、苦しんでいた病気そのものではなく病気をきっかけに起こった様々な「人間関係」の中に僕の怒りや悲しみが存在していたそんな事にふと気付いた例えば「怒り」というものは「人」に対して以外には起らない感情ではないだろうか車が故障したとき車に対して怒りの感情は起きない起きるとすれば、その車を作った自動車メーカーの「人」に対してか或いはそのようをメンテナンスした自動車修理工場の「人」に対して怒りを感じる事はあるだろうまた、或いはキチン...