人間について

犀の角のように歩みたい・・・

原始仏教の教えで有名でだけど犀の角のように独り歩めという教え・・これは・・交(まじ)わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍(わざわ)いの生ずる朋友・親友に憐(あわ)れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。そこに「苦」が生じる親しみにはこの恐れのあることを知りただ犀の角のようにただ独り歩め。というだから仲間も組織も或いは家族でさえも捨てただひとり人生を歩めというのだ・・でも、今の僕は人の支えを必要する身体になってしまっているそれでもひとり歩まねばならぬのか所詮人間はどこまでいっても一人・・本当に心の底から分かり合えるなんてことはないだからといって「孤独」というわけではない「人は支えあって生きている」ということはすなわち「人はそれぞれ、一人ずつ」ということそして人間は、産まれるのも1人、病気で苦しむの1人、死ぬのも1人、所詮、皆1人だとしたらお互いひとり支えあって生きていかなければ生きていけない中でも心の中だけでも犀の角のように独り歩むという心構えを持つべきなのだろうでないとこの厳しい世の中・・こんな障害者・・生きていけないのような気がする
人間について

10m 7.51秒!

10m 7.51秒!何気なくポケットに入っていたリハビリテーション報告書をみたときその中に記載されていた数字だこれは僕の脳出血後の最高記録である。。毎月リハビリ病院で診察があるそのとき歩行速度をは測るのだそしてリハビリテーション報告書の中に記載され渡される・・10m 7.51秒全力でである決して50mではないこの数字を見ると何だかとっても虚しくなる・・だって中学、高校と監督にしごかれ、必死の思いで鍛えさせられた身体だったはず・・それが・・全力で10m 7.51秒・・?  そんな・・それこそ45年かけて積み上げ鍛え上げてきた様々な機能をあっという間に無にされてしまうそれが脳卒中の後遺症であるでも・・人間・・皆死ぬときは全ての機能が無になるんだいつかは消えてしまう機能そんないつかは消えゆくものに執着するから苦しむだけなのか・・それにしても長年努力して積み重ねて築き上げてきたモノを喪失するのは人間にとって辛いことには違いないそれが喪失の後に新たな何かが生まれるのならまだしも喪失だけで積み上げたものが無になるのはあまりにも辛い
人間について

HELPといえる勇気?

僕は障害を負ってからというもの人にHELPと言うのがこれほどむつかしいものだとは思っていなかった。僕は左側にモノが落ちたときには拾うことはできない。手摺の無い階段で杖がないと階段を降りることも、昇ることもできないにもかかわらず左側にモノが落ちたときに杖が手から落ちたときに「すみません取ってもらえませんか」のHELPの一言がなかなか言えなかったたぶんプライドとかこだわりのようなものが邪魔をするのだろうそんなものは心の問題に過ぎないのに・・これって仕事にも当てはまると思う「出来る人間」或いは「(余計な)プライドを持っている人間」に限って何もかも自分でやろうとする、、、周囲にHELPを求めようとしないだから周囲は何を手伝えば良いのか何に困っているのか何に躓いているのか全く分からない更に困ったことに「出来る人間」や「(余計な)プライドを持っている人間」に限って周囲は聞きにくいだから周囲が知らぬ間にもがき苦しんでいる・・今の僕もそうかもしれない・・半身麻痺お不自由さは苦しい・・でもなぜかHELPを言いにくいHELPを言うことによって多少ひとの手を取らせてしまう「迷惑?」なんかよりHELPを言わな...