人間について

苦しいときの友こそ真の友というけれど・・

困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。苦しいときの友こそ真の友というけれど・・僕には幸い本当の意味での「真の友」と言える人がひとりだけいるもう僕も50歳になるけどあとにも先にも彼ほど自己犠牲をも厭わず、僕を支えてくれる人は他にはいない人間、どんなに親密になろうとも本当に苦しいときには「本能的に」自己防衛的になるものだそれはある意味仕方のないことだと僕は思っているだから本当に苦しいときに、多少、保身に走っても恨んだり、憎んだりしないつもりだでも、上述の彼だけは自己防衛本能がないのではないかと思うほど保身に走ることはない僕に対してだけでなく、他人に対しても保身に走ったのを見たことがないそんな彼がいたからこそ僕は今、再生可能エネルギー関連の活動なんかをこんな身体ですることができていると思っている僕ひとりだったなら今頃、どうなっていたかわからないとさえ思う今、メガクラスのソーラー事業に関わることができているのもひとえに、そんな彼のおかげだ・・間違いなく・・そんな「本当の真の友」を人生の中で一人でも持つことができた僕は幸せ者だと思っ...
独り言

また、後遺症のしゃっくりで吐血した、、

昨夜未明からまたもや後遺症のしゃっくりが出始め、朝まで嘔吐の連続、、(T_T)とうとうまた吐血してしまった、、今度は少し鮮血も混じっていたこれはちょっとヤバイかな、、どこか内蔵疾患っぽい予感、しかし、このしゃっくりいつなったら止まるんや、、体力も気力も奪われる~!
人間について

侮辱と屈辱こそ我が宝であるのかもしれない

僕は障害者になってから(相手が意図しているいないに関わらず)正直、数多くの侮辱や屈辱を感じてきたでも今、振り返ると、、そんな悔しくて悔しくて涙が出そうな侮辱や屈辱を感じた自分があったからこそ今の自分があるような気がしているこんな身体で再生可エネルギーの普及なんぞとい大それた夢を持ったもんだから、それはできないことだらけ、、でいっぱいだった。いろんな関係者にも怒鳴られたり、そっぽを向かれたりもしたその都度、侮辱や屈辱を感じてきたでもそれが、僕の反骨心に火をつけ、エネルギーになったことも確かだそのおかげか、今では米国のソーラービジネスのデベロッパーに向け50MWクラスのメガソーラーのEPCまで自分で設計し、引き渡し時期とタイミングそれと引き渡し価格まで算出し、交渉するにまで至っている自分が今ここいる。(今さっきEPCと提案書と交渉価格を書き終わったところ・・)振り返ってみると・・・こんなことができるようになったのも僕の反骨心を引き出してくれた侮辱や屈辱のおかげではないかとさえ感じるのだそう思うと・・侮辱と屈辱こそ、僕にとって宝ではないかとさえ思えてくる。。
人間について

やっかいな自我

自我とは厄介なものだ、自我があると好きという気持ちと嫌いという気持ちが必ずできてしまう好きなれば手に入れたくなり、愛情が芽生えるそして手に入れることができないと欲しい、欲しいと手に入れられないと苦しむそして一度手に入れるとまたは愛情を持つとこれまた失いたくなくなる失う事を極端に恐れてしまいこれも苦しむ・・そして、最後に失う(どんなものでもいつかは必ず失う それが諸行無常)と喪失感に嘆き、悲しみ苦しむ今度は・・逆に嫌いになるとおのずと遠ざけたくなりsこには怒りの刄(やいば)が芽生えるそしてそれは敵意や、憎しみへと変わったりして自らも苦しむ、、好きになっても嫌いになっても結局は自らの心の生み出す感情に苦しむ自我なんて本当に厄介なものだと思う。