人間について

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怒りと憎しみ

怒りとは許せぬ心、憎しみも 許せぬ心許せぬのは弱い心乗り越えてしまえば許せる心に変化するじゃあ乗り越えよう。乗り越えられれば許せるのだから心なんて自分次第
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与えられた運命

誰も恨まない誰も憎まない何にも悲しまない自分に起こった何にも怒らない、悲しまない出会う人出会う出来事出会う苦しみ出会う怒り出会う悲しみこれは与えられた運命乗る超えるのは自分だけ信じるのも自分だけ
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本当の強さ、強い心とは

僕がいちばん大切にしている言葉は、あのマハトマガンジーの有名な言葉このブログの冒頭にも書いてある以下の言葉です弱い者ほど相手を許すことができない、許すということは強さの証だこの言葉を僕は最も大切にしています。僕は脳出血で半身不随になってからというもの僕を襲った脳出血という病が許せない。と感じていたころもある。僕が障害者になってからというもの、(このブログの記事にはほとんど書いていませんが)僕の周りでは僕の病気が原因で様々な(僕にとって)許しがたいことがたくさん起こりました。僕の心の中が怒りと憎悪でいっぱいになったこともたくさんありました。そのせいで涙に明け暮れた日々もありました。でもそれは、今考えると僕の「弱さ」でしかなかったのだと思っています。人間は「攻撃」することよりも「許す」ことの方がずっとずっと精神的エネルギーを必要とすると思う。相手を攻撃したりに憎んだりする方が実は「許す」ことよりずっと楽なのだと思う。だから「許すことができる」人間は強いのだと思う。「相手を許す」ということは、決して相手を認めたり、受け入れたわけではない。相手に屈したわけではない。「許せないと思える相手の行為...
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楽しめることを楽しもう!

これからの人生、体は不自由だけれど、今の身体で楽しめることを楽しもうと決めた。できなくなったことはたくさんあるけれど、よく考えればこの身体でも楽しめることもあるじゃないか。できなくなったことをできないと嘆いていても心が損なだけ。この身体でできることをやり、楽しめることを楽しもう。スポーツはできないけれど、読書良し、映画鑑賞良し、飲み会良し仕事なら、得意なIT技術を駆使した資料作成の仕事でやりがいを作ればそれで良いじゃないか。身体を使って走り回るような仕事はもうできないけれど、やれることをやろう。やれないことをやろうとしても苦しむだけこの身体で楽しめることを思いっきり楽しもう。それで良いじゃないか。それで良いじゃないか。
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あの世なんて存在しない方が良い、死後は無になったほうが良いと考えるようになった理由

以前書いた記事でと同じですが、僕は死後にあの世なんて存在せずに、無になった方が絶対に楽だと考えています。あの世という世界を考えたのは人間は自分が死んだとき、自分の「意識」までも消滅するとは考えにくいからだと思います。それと自分で意識が消滅するということを想像することが難しいと同時にある意味自分の消滅に対して恐怖感を抱くからではないでしょうか。でも僕は違います。僕が「あの世なんて存在しない方が良い」「死後に(魂)なんて残らないない方が幸せだ」と考えるようになったのは、脳出血で障害を負った当初、「自分は何の役に立たない人間になってしまった」という思い駆られ自暴自棄になってしまった時のことです。自宅に居ても常時ベッドに寝ているだけ1日24時間天井を見ながら過ごす日が続きました。このとき味わった強烈な「孤独感」です。この孤独感というものは地獄でした。(多分味わったことのない方には理解し難いと思いますが、)役に立たない人間であると感じていると同時に人とのコミュニケーションが絶たれる状態と言うのは予想以上に辛いものです。この時に思ったのです。死後、肉体が滅び、「魂」とかいうものだけが残ったとしたら...
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苦しみが続くからこそ希望を持ち続けることができる

一昨日、ある年配の人とお話をしていたとき、岡下さん、脳卒中を起こしたことはあなたの人生の転機だったと思えるときがきますよ。きっとそれはあなたが事業を成功されたときですよ。そのころには「あの時が自分の転機だったのだなぁ」という風に思えると思いますよそんなふうに言われた。でも僕はi今、残念ながら違うと感じている。なぜなら僕の病気は「後遺症」だからだ。どんな病気にしても(癌などの不治の病以外は)いつか必ず治癒する。その病気をしているときは人生最悪の時だと感じていてもそれがきっかけで人生が大きく変わる人もいるだろう。そんな人にとっては病気が人生の転機だったと思えるかもしれない。それはその人にとっては「病気が過去になってしまった」のだろう。でも僕は、後遺症だからいつまでも「病気が過去にならない」のだ。脳出血を起こしたのはもう3年前だ。この3年間ずっとリハビリを繰り返してきたけれど、今も僕は障害者なのである。けっして過去にはなっていない。僕もこれまでいろんな病気をしてきた。腸閉塞による手術心臓WPW症候群とその手術幼児期には肺炎によって死にかけた。でもどの病気も全て確かに「過去」になってしまってい...
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福島にはメガソーラーだけでなく最新蓄電池を活用したスマートグリッド構築も・・

今、僕が九州で進めている産業用メガソーラー普及のためのファンド組成プロジェクトをベースに原発事故で問題になっている福島県にもメガソーラー普及プロジェクトを展開しようと考えていたがもう一歩進んで、最新型の蓄電池「東京電力と日本ガイシが特許を持っている大容量蓄電池NASバッテリーよりも高性能で安全な大容量長寿命(30年)の大容量蓄電池」を活用して日本初(世界初かも)スマートグリッド構築を目指す方向になった。これには原発推進派の経産省などの利権の圧力が相当あることは覚悟の上だ。でも勝算はある勝てない勝負はしない。オープンにはできないが大きな隠し玉がある障害者でもここまでできることを証明してみせる。
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苦しみの中にこそ生きる力が湧いてくる

不思議なことだけど、左半身が痺れて中枢性疼痛の痛みのためにもがき苦しんでいるときほど、心の奥底に隠れていたような僕の「負けるもんか」いう負けん気が湧いてくる。そして「無視無欲」と心の中で唱えると、苦しみから来る悲しみや怒りの気持ちが不思議なほどに薄らいできて、今度は希望と志の気持ちが湧いてくるのだ。それがなぜかはわからない。障害者であることも、左手足が動かないことも「平気」になってくる。こうなってくるともう志と希望を掴むための知恵を絞りだすのに無我夢中になっている。なぜか僕は苦しみの中にこそ生きる力が湧いてくる気がする。「M」なのだろうか・・と思う・・苦笑)
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男の美学,人間として美しく生きる

よく有名人で脳梗塞で倒れた人の中に「ただ今自宅療養中です」という報道を聞く。一時そんな「自宅療養」できる環境がうらやましいと思ったことがある。僕は零細企業の社長だったから、仕事がができなくなった(仕事をしなくなった)その瞬間に収入が途絶える。この3年間どんなに体が痺れても、どんなに痛くてもどんなに動かなくても仕事を途絶えさせることはできなかった。重たい身体を引きずりながら何度もハローワークにも通った。今考えると自宅療養なんてできなくてよかったのだと思う。自宅療養なんてしていたら今の自分はなかっただろう。自分でなんとかしなければなない。一度起業家になると起業家であり続けなければならないのだろう。結局は自分で起業しようとしている。古い考えかもしれないけれど男である以上、一度(起業)を決めたことだから最期まで自分の足で立ち続けたい。そんな思いがどこかにあったのだろう。障害者で無職、無収入、労災もなし、、女房、子供もいる 自宅療養なんていしていられない。お金に余裕のある有名人のようにはいかない。そんな追い詰められた状況があったからこそ、男としての「意地」のようなものが起業に向かわせたのだろう。...
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志だけを見つめ続ける

目の前の苦しいことがある。毎日の生活で悔しいこともたくさんある。目の前の悲しいこともたくさんある(左手でお茶碗さえ持つことができない自分が悲しい)目の前の憎いこともある(僕を襲った脳出血が憎いと思うことがある)そんな目の前に(僕の心の中に)辛く悲しいことが出てきたとき、僕はそんなとき、幸運にも持つことができた志を想うようにしている脳出血で半身不随となって僕の人生はもう終わったかなと覚悟したこともあるけれど幸運にも僕には健常者の頃には無かった新し志といえるものを持つことができた。身の丈に合わない志だけれども、、その志を想っているときだけが目の前の苦しいことや身体の痛み何度も薄れることが分かってきた。だからその志がある限り、どんなに苦しい状況でもどんなに悲しい状況でも、その志だけを見つめて、そして前だけを向いて歩こうと思う。過去に失ってしまったものに囚われていていけない。目の前の苦しみや悲しみだけに囚われていてもいけないと思う。こんな身体では何をやっても遅く、毎日が悔しいことだらけだけれど、そうやって前だけを向いて歩きつづけていればいつか必ず志が叶うと信じたい。そうしていれば、もし志が叶わ...