人間について

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信仰と心の安らぎ

ちなみに僕は魂の存在とか、神の存在を一切(論理的に)信じていない存在していないと思っている。最近流行った「スピリチュアル」とか言うものは論外である科学的根拠があまりにも希薄だからだ。こう言うと「文系」の人の中には、現代科学しか信用しない「理系教」だというような人が出てくる。しかしこういう人に限って、科学とは方程式などの数学に依存する。視野の狭い世界だと思い込んでいる人が多い。科学とは論証の世界である。 これは人間社会ににおいても重要なことである。論証できないものは弾かれる。これは「文系の世界」でも同じはずである。論証のために数字を使っているだけなのです。かのコペルニクスも地動説を、数学を使わなくても論証した。話はそれたが、その意味で、魂の存在とか、神の存在を一切信じていないこれは脳卒中という体験とその後遺症から確信したものだ。脳=心であり、死は心(魂)の消滅であり、「無」に記することだと思っている。魂や霊は生きている人間の心(=脳)の中に存在しているものだと思っているしかし、信仰というものは人間にとって重要なものだと思っている例えば今日は8月15日だが、先の戦争で亡くなった方の魂が靖国...
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思考停止は死と同じ 戦前の政治的思考停止を鑑み、現政治の思考停止への危機感

先の大戦で日本の兵士が、日本人があのように悲惨な状態なってしまったのは政治の思考停止の結果ではないかと思う。人間は考えることを止めたら死んだも同然だと思っています。ぞれぞれの兵士が私人と公人との葛藤の中で私人を捨て、あくまでも公人として、玉砕することを選んだことには日本人として誇りに思います。戦後生まれで本当の苦しみを想像することもできないが。。母の実家に帰っときには、母の兄で長男でもあった、戦士した叔父の写真をみていつも思うなんて済んだ目をしているんだ。。と叔父が出征時の20歳のとき写真だ。なぜ日本はあのとき思考停止状態に陥ったのであろう。日本人にはもっと苦境を乗り切る「知恵」があったはずだと思う、。明治維新の無血開城による明治政府の樹立[保守」をかざす人の中には、あの戦争は日本ににとって、アジア開放のための正義の戦争だったという人がいる。確かに欧米諸国がアジアを植民地化し、アジアの国々を奴隷のように扱い、日本をもABCD包囲網でエネルギーと断ち、食料を断ち、追い込んでいったのは事実であろう。あの時代の背景として、こういった状態に追い込まれたとき「戦争」という手段に出るのは欧米でも「...
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行動力

この世には、物事が起こるのをただ見ている人と何が起きたのかを知りたがる人と物事を起こす人がいる失敗したところでやめてしまうから失敗になる成功するところまで続ければ それは成功になる
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自分の頭で考えよう

今の時代、情報が溢れかえっている。インターネット、様々なメディアからたくさんの情報が入ってくるただその情報は、電波、もしくはインターネット回線を通して入ってくるものであって、情報発信者から自らの五感を通して入ってきたものではない、そこにはコミュニケーションや議論は存在しない活字・音声・映像を通して「一方的に」発信された情報である。だからその情報には発信者の意図が必ず入っている。悪意はないにしても、そのままの「真の情報で」はないことを念頭におくべきだと思う。悪く言うと歪曲されているのだ。このような情報を鵜呑みにするのは危険だ。第二次世界大戦で日本の兵士が、日本人があのように悲惨な状態なってしまったの日本人全体の、政治の思考停止の結果ではないかと思う。人間は考えることを止めたら死んだも同然だと思っています。当時のメディアといえばセイせいぜい新聞くらいものであった。大本営発表の記事を国民は鵜呑みににし、破滅への道を辿ったのだと思うぞれぞれの兵士が私人と公人との葛藤の中で私人を捨て、あくまでも公人として、玉砕することを選んだことには日本人として誇りに思います。戦後生まれで本当の苦しみを想像する...
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信念と知恵

常に信念を持って主体的に生きるためにはやはり心静かに、われ何をなすべきかを考えそのなすべきことをひたすらになしていくことが大切である苦難がくればそれもよし順調ならばさらによしという心づもりを常に持ち人一倍の働きを積み重ねてゆくことが大切だと思う知恵のポンプは汲めば汲むほど湧いてくる指導者に、ぜひともこれをやりたいという強い熱意があれば、それは必ず人を動かすだろうそしてその熱意に感じて、知恵ある人は知恵を才能ある人は才能をといったようにそれぞれの人が自分の持てるものを提供してくれるだろうこけたらたちなはれ・・これは松下幸之助の言葉です。何度こけても何度でもたちなはれ僕もこけたけど、今たっている。人間とは意外と強いものだ苦境になれば知恵が出る。順風満帆では知恵も出ない。
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マザーテレサの言葉に思う

たった今ニュースでマザーテレサ生誕100周年のことを報じていた。マザーテレサは、人間として最もつらいことは人として誰からも必要とされないと感じることだと言っていたそうだそのとおりだと思う。去年春リハビリ病院の長期入院から退院帰宅して、僕は[人間として当たり前にできていたことで「できなくなったこと」のあまりの多さに愕然とした。ちょっとした荷物が持てない。靴紐さえ自分で括れない。息子を抱っこできない。もちろん肩車なんて不可能だ。会社も破産した、収入の道は全くなかった。誰からも必要とされない人間になってしまったと感じた。本気で死にたいと思った。必要とされないと感じることがこれほど辛いことだとは思わなかった。そして、まだひとりで外出できる状態でもなかった。一日中自宅にひとりポツンと座っていることが多かった。 生き地獄だと感じた。人とのコミュニケーションができないことがこれほど辛いとは思わなかった。人間はまさに社会的動物であると感じた。コミュニケーションが取れないのは死んだも同じ。そしてなんとか人の役に立つことができることをしたいという思いでMY-JAPANのウェブサイトを作った日本の中小企業の...
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私の小さな希望

多くの今の小さな希望で、夢でもあるのですがそれはお茶漬けを食べることです左手にお茶を持ってごはんを食べることなのです左手は全廃です。お茶漬けを食べる時にはスプーンで食べるしか方法がありませんこんなことさえできなくなった自分に腹立たしさを感じますが、いつか左手が動くようになり器を持って食事ができるようになることが僕の夢でもあるのですこんな些細なことができないことがとてもつらいと感じます健常者であればごく当たり前にできることができないのです。僕の手の動きは生まれてから45年かかって生活の中で訓練されて器用に動くようになったわけなので、もう45年リハビリを頑張れば同じように動くようになるのではないかと信じるようにしています。そして92歳で再び水泳ができるようになる体に戻ることが僕の目標です92歳でシニア国体に出場することが僕の夢でもあり目標でもあります医学的にはそんなことは不可能に近いことは分かっていますがこの夢は一生捨てないつもりです何の根拠もありませんがこんな夢を持っています。
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癌活性酸素犯人説にたかる健康食品企業

「活性酸素」、、まことしやかに細胞を痛め、癌の原因といわれている。一部の医師まで本気でガンの原因だと考えているようだ。活性化した分子が細胞を酸化し傷つける?そんなことありえないそうです。(ある科学者の著書より抜粋)活性酸素とは、通常の酸素にくらべて、化学反応を起こしやすい酸素のことです。生体内で有害な過酸化脂質生成にかかわりますが、そのこと自体は特に問題ではありません。 活性酸素が原因とされる「うその病気」が騒がれ過ぎているために、活性酸素病があたかも存在しているように錯覚されています。それほどまでに、現代の医学、最先端の科学というものは、無力で役に立たないものなのです。医学で病気が治らず、ラチがあかないということで、そこへ出てきたのが活性酸素説でした。また、健康食品を売って儲けようとする人たちが、次から次へと現れ、世はまさに健康食品ブームです。 科学的事実の一部を取り出し、無理やり拡大解釈して、修飾して歪曲して、文学的ストーリーに仕立て上げてしまったのです。 医学界や科学界から、活性酸素説のウソを指摘する学者が、ちゃんとマスコミに登場しないことから、悪魔のような活性酸素のイメージが作...
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素敵なコメント

本日9月13日の金融機関の「優秀な小企業の見殺し・・」の記事に素敵なコメントいただきましたのでコメント欄でも見れますがここに記載しておきます以下そのコメントです。--------------------------------------------------------------------------------------------かつて、高い技術力を有する企業を緻密に審査し、タダで資金(基金)を提供する都市銀行がありました。もらえる資金は知れていますが、ただいわば「賞」もしくは、「お墨付き」をもらったようなもので、「技術力を評価する能力のない」他の銀行の凡庸な行員もそれを理由に稟議が書きやすくなり、どんどん資金調達が可能になりました。その銀行は小規模技術系ベンチャーを大切にし、いくらでもリスクをとって無担保で10億20億と貸し込みましたし、不動産担保などなくても、たとえば特許や著作権を担保に融資できないか等検討もしました。担保などなくても、確実に返済できることを証明できさえすれば、いくらでも無担保で貸すことがでいます。それは銀行員の腕と知恵の見せ所です。証明せよと融資先企...
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「生きがい」とは「生きている甲斐がない」という事とは

今日は朝から痺れが強くキツイ生きがいとは「生きている甲斐」がないと人は生きたいとは思わない。死にたいと思う。生きている甲斐とは、、何らかの生きていることの喜びが享受できることなのだろう人間は生きている限り欲求を満たしたいそれは本能だと思う。おいしいものを食べたいという食欲。素敵な場所に行って、すばらしい景色を見て清清しい気持ちになりたい運動をしてすっきりとしたい。その他、性欲、自己顕示欲、きい様小さいはあるが様々な欲求を満たしたい。何の欲求も満たせず、ただ息をして生きているだけ。よく植物人間や、寝たきり状態になった家族に生きているだけでうれしいというと言う人がいる。それは、家族の勝手な思いであって、本人の苦しみを無視したものではないか。僕も毎日が生きていることが苦しい。そう生きていること自体が苦しい。私の場合、手足が麻痺しているだけではない24時間四六時中、中枢性疼痛という痺れと痛みに苦しんでいる。椅子から立ち上がる。歩く、それだけのことにつらい。日常生活自体が苦しいのである。痺れや痛みが強く、手足や左わき腹も含め麻痺がひどく、ちょっとした動きがつらい日は本当に生きいたくないと思う。朝...