人間の生き方

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希望とは・・

僕は脳出血で半身不随になったとき僕の希望は全て消え去った・・と思った。。築き上げてきたモノが全て崩れ去りそれと同時に希望も消え去ったそう思った。そう思い込んでいた。でもそれは違った。確かにこの3年間苦しんだ。何の希望の存在しない状態で生きていくことは死んでいるに等しかったと感じた。でもそれは違った・・希望が無くなったのは僕の心の中だけだったのだ。そのことにやっと気が付いた。希望は外から与えられるものではない。世の中の状況の事でもない増してや健常な身体が希望を呼んでくるのでもない。希望は自らの心の中で作るもの希望が見えないと思ったら、そう、自分の心の中に作ればよいのだ。ただそれだけのことだった。希望は自分の心の中で作るもの。世の中がどんな状況であろうと、身体がどんな状況であろうと関係ない。そんなことに関係なく心で希望を作ればよいのだ。心の中に希望や志さえ作ることができればしめたもの!そこから行動が生まれる、そして知恵が生まれる。心の中に希望や志さえ作ることができれば半ば人生は有意義なものになったも同然だ。こんな考え方が正しいか正しくないかわからないけど、そんなことにやっと気づいた。そのこ...
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全てを許そう

今朝は久しぶりに気持ちの良い朝・・・・何年ぶりだろうと思うくらいだ。なんかよくわからないけどすべてを許そうという気持ちになっている不思議な気分だ。。僕を襲った脳卒中を許そう・・半身麻痺の障害を許そう・・そのことによって起こったいろいろな人間関係のトラブルも許そう・・・すべてを許そう。。許せるとても心が安寧した気分だ。。弱いも者ほど相手を許せない。許すということは強さの証だ。マハトマガンジーのこの言葉。。今、この瞬間の僕は何でも許せる気分だ。。さあ今日は今から徳島の山村にバイオマスエネルギーの導入提案に行く。。良い仕事ができそうな気がする。昨夜も確実な被災地用の放射性物質除去物質を見つけることができた。これで本当に人の役に立てる・・・と思えた。。そんなことがあったからかなぁ。。人の役に立てると思えることは素晴らしい。人は人の役に立つために生きることができるとき、心が最も輝くような気がするそれは大金を稼げたときとか、億万長者になれたときの気持ちなんかよりずっとずっとずっと光り輝くような気がする。そして心が穏やかになり、何でも許せるようになる。そんな気がする。さあ出発だ。
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生かされている

生かされている・・・以前まだ健常者だったころ、人間は生きているというよりも生かされていると言っていた人がいたのを覚えている。当時は「そうかなぁ・・」途いう程度にしか感じていなかったけれど今、正に僕は「生かされいている」と実感している。確かに「生きている」というより「生かされている」障害者となって、死んだ方が楽だと思う事も未だにたくさんある。できなくなってしまったことも挙げればキリがないくらいだ。特にスポーツという類のものは一切できなくなった。「スポーツで汗をかいて楽しむ」ことも二度とできないだろう。山のハイキングとかもできなくはないだろうけど、歩くこと自体まともにできないぼくにとっては地獄でしかない。。今日はある紙をカッターで切りたかったが片手では定規を当てて切ることができないので諦めた。昨夜は昨夜で温泉旅館で宿泊したが大浴場の温泉が石畳のうえ、手すりがないので入浴は諦めた。。できないことが多すぎる。楽しめない事が多すぎるこれで生きているというのかこんな状態で生きていて楽しいのか。それでも生きなければならないのかそうだ生きなければならないのだ。死んではいけないのだ。そんなことは分かって...
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やっぱり全てを許そう

やっぱり全てを許そうそうあのマハトマガンジーの言葉のように・・「弱い者ほど相手を許せない、許すということはと強さの証だ!」
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遅くても、能力がなくてもゴールした方が人生の成功

僕は左半身マヒで身体機能は人より劣るけど、痛みや痺れも手伝い、何をやるにも「トロい」けど、その不自由さに負けず、痛みや痺れにも耐え、ゆっくりでも良い(人生の)ゴールができれば良いじゃないか。ゴールとは決して経済的成功でなくても良い。素晴らしい仲間に囲まれ精一杯生き抜くことができたという満足感さえあれば良い。ゆっくりでもよい。ホリエモンさんのように性急に経済的成功をしたとしても信じていた仲間に裏切られ、社会の厄介者になってしまったらそれは人生の成功とはいえないそんな意味で僕は今素晴らしい仲間(同志)に囲まれているその仲間の力添えがあるからこそ進めることができることがあるそれだけで半分人生は成功したようなものかもしれない。本当は幸せなのかもしれない。そんな状況に感謝しよう。
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無私

あの西郷隆盛は「無私の人」だったと言われている。西郷隆盛を前にするとそこに自我が全く感じられなかったという。ただ社会のため、国家のための事だけを考え「自分を空白する」ことができたから人心を惹きつけたのだという。無私・・その心境は周囲の人心を惹きつけるだけではないと思う。究極にまで無私になり心に「空」を作ることができたなら人間のネガティブな怒り・悲しみ・憎しみ、そして悲しみといった心さえも苦だと感じられなくなるだろう。じゃあ無私になるためにはどうすればよいのか僕は大きな志を持つことだと思う。自分の枠を大きく超越した志を持つことによって自分の目先の怒り・悲しみ・憎しみ・悲しみがほんの小さな事に見えてくるのではないかと思う。僕は半身不随という障害を負ったことによってそのことに気付くことができたような気がする。それは半身不随という人間ならだ誰でも当たり前にできることがある日突然できなくなってしまい、普通の人間なら当たり前に味わえる喜びや楽しみさえも奪われてしまい、悲しみ、怒り、憤りでいっぱいになったそしてそこから逃げるために本能的に大きな志を想うようになった気がする。大きな志を想うことによって...
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やっぱり希望

生きるためには生きるための希望が必要だと思う。それは決して大きな目標でなくてもよい。希望の無い人生なんて死んだ方がマシだ。でもその希望とは自分の環境(身体機能も含めて)に関係無く、自分の心の中で作りあげるものではないか!そう信じていたのに、この2、3日僕は自ら作りあげようとしていなかったのではないかそれどころか、これまで作りあげてきた希望や志まで自ら崩そうとしていたのではないだろうか半身麻痺は正直つらい辛くないといえばウソになる俺が辛い人生だからこそ人よりも大きな希望や志を持つべきなのではないだろうか。たとえそれが夢物語のようなものでも良いじゃないか。心さえ前向きになれば、そこから何か新しい知恵も勇気も湧いてくるはずだ。今、そんな風に自らを反省している。もう一度心の中に希望や志を作りあげてみよう!
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生きるために必要なものは、やはり希望と志

生きるために必要なものはやはり希望と志である希望と志のない人生なんて死んだほうがマシ「生きるために生きる」なんて生き方はしないほうがよいどうせ生きるなら希望と志を持とう。「幸せになりたい」という漠然として希望と志でもよいじゃないかそこから「何が何でも幸せになってやる!」という意気込みが出てくればしめたものだ。今が不幸だと感じていてもそんな強い意気込みの希望と志さえあれば達成したも同然じゃないか。僕は障害者でも幸せになってみせる。社会の役に立って見せる!社会の厄介者になんか絶対にならないと思っていた。そして今日もう一度その志を心の中に打ち込んだその志の杭は熱く真っ赤に燃えている。決して簡単には冷えない。冷やそうとする奴(自分)が出てきたらこの熱で蒸発させてやる。
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張り合い

男って「守るべき人がいるという張り合い」がないと生きていけないのかな最近僕が精神的不安定になっていたのは、息子と家内がいなかっ事が「張り合い」を無くしてしまっていたからのように思う。自分の心をいろいろ分析してみてそう感じる。よく妻に先立たれた夫が後を追うように亡くなってしまうパターンがあるしかしその逆はほとんどないように感じる。女性の場合は夫よりも子供ではないだろうか。子供に先立たれることが最もつらいのではないだろうか。でも男は子供だけではないと思う。守るべき人がいるだけで張り合いになる。それは誰でも良いような気がする。妻や子供とは限らないのではないだろうか自分に頼ってきてくれる人の存在が生きる張り合いになる僕自身、僕を頼って来てくれる人、僕の環境技術関連の情報網や人脈に期待して頼って来てくれる人がいることが何よりの生きる張り合いになる。それがないと自分を「役に立たない人間」と感じてしまい、自己嫌悪にまでなってしまうことがある。僕はそうなりたくない、だからこそ障害者でも社会の誰かに役に立つ(頼られる)人間でいたい。絶対に介護のような人の世話ばかり受けるしかない人間にはなりたくない。今度...
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全てを失ったことが新しい世界への扉だったのかもしれない

僕は脳出血によって身体機能の一部を失った。僕の場合、自分で会社を経営していたので同時に今までの仕事もすべて失った。。大切な会社も、大切な従業員も全てを失った。サラリーマンと違い、労災も出ず、リハビリである程度杖つきで歩けるようにまで回復したものの、仕事への復帰は不可能という状況だっただって戻る会社が清算してもう無いのだから・・正に無職無収入だった。本当に絶望的な状態だった。とにかくこの身体で一から仕事を探すしかなかった。でも現実はき厳しかった。そもそも50歳前の、、しかも身体障害者を雇用してくれる会社など皆無だった。ただでさえ、リーマンショックの後の不景気である。採用してくれる企業などあるはずもない。過去の職務経歴など何の役にも立たなかった。企業は即戦力が欲しいのだ。身体障害者のような厄介者を採用する余裕などない。。そのことを身に染みて痛感した。正直もうダメだと思った。自分で何かするしかない。といってもこの半身麻痺の身体で何ができるのか。本当に思いつきだった。。。何か社会の役に立つことそう役に立つことをしなければ報酬などもらえるわけがない。既にそこには「仕事をもらう」という概念はなかっ...